kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

隋の煬帝の墓 中国の江蘇省で発見か(NHK)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130415/k10013939021000.html

隋の煬帝の墓 中国の江蘇省で発見か


中国東部の江蘇省で、都市開発の工事の際に偶然、1400年前に大運河を築いたことなどで知られる隋王朝煬帝のものとみられる墓が見つかったと、地元の当局が発表しました。

中国国営の新華社通信などによりますと、墓が見つかったのは江蘇省揚州の郊外で、都市開発の建設工事の際に偶然、面積が30平方メートルほどの古代のれんがでできた石室2つが見つかりました。
地元の文化財当局が調査したところ、石室のうち1つから「隋の煬帝」と書かれた墓誌のほか、銅製の工芸品や玉がちりばめられた金のベルトなどの副葬品が発掘されました。
盗掘の跡があり、人骨などは見つかっていませんが、地元当局は、発掘された副葬品は高貴な人物にしか見られないことなどから、墓の主は隋の第二代皇帝、煬帝と基本的に認定できると発表しました。
煬帝は中国の南北を縦断する大運河を築いたほか、聖徳太子が当時の中国を日本と対等にみて「日出づる処の天子」で始まる手紙を書いたことに激怒したことなどで知られています。
江蘇省揚州には、別に煬帝の墓とされる陵墓がありますが、歴史の資料に煬帝の墓は何度も移されていると書かれていることから、地元当局は今後、今回発見された墓との関係を詳しく調べることにしています。

NHKニュース 2013年4月15日 22時59分)


なぜこのニュースを取り上げようと思ったかというと、「煬帝」というのは暴君に送られる悪諡であり、隋を滅ぼした唐王朝が前王朝最後の皇帝(と言っても2代目だが)を貶めるためにこんな諡をつけたことを思い出し、そういや日本にも武烈天皇っていうやつがいたな、あれも確か次の継体天皇に倒されたために「武烈」なんて名前をつけられたんだよな、と思ったあと、「暴君」を共通項として突如連想が橋下徹に飛んだからだ(笑)

兵庫県で「維新と大阪都構想から兵庫を守ろうとするキャンペーン」を起こされ、「維新と言うと嫌な顔をされる」事態に立ち至った、「一歩でも大阪を出れば通用しない」橋下が天下を取る可能性はもはやほとんどなくなったかに見えるが、ついこの間まで、橋下は飛ぶ鳥を落とす勢いで、脱原発派のはずの飯田哲也が橋下のブレーンになったのを代表例として、小沢一郎鳩山由紀夫前原誠司渡辺喜美もみんなみんな橋下にすり寄っていた。小沢一郎に至ってはたびたび大阪に参上し、橋下と密談しては「私の考えは橋下市長と同じだ」と繰り返した。政権を奪回する前の自民党も同じで、安倍晋三ももみ手をせんばかりに橋下にすり寄っていた。そんな事実があるから、いつまた橋下の人気がぶり返さないとも限らない。そして、万一橋下が天下をとって悪逆非道の限りを尽くしたあと何者かに滅ぼされれば、死後煬帝武烈天皇と同じような名前で呼ばれるかもしれないと思ったのだ。その時には、現在報道されているサッチャーの死を祝うイギリス人たちの騒ぎに似た現象も起きるかもしれない(笑)。

私より若い橋下の訃報を聞くことなどできそうにもないから、つまらない妄想に過ぎないけれど。