kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

小保方晴子の比ではないシェーンの「高温超伝導」捏造を生み出したもの

黄禹錫(ファン・ウソク)のやらかしたことは覚えていたが、ヤン・ヘンドリック・シェーンの事例は、話題になったのが黄禹錫の少し前に過ぎないもかかわらず、すっかり頭から記憶がすっ飛んでいた。シェーンの捏造は、生物学ではなく物理学の分野で、しかも、ドイツ人*1アメリカでやらかしたものだった。だから、ことはアメリカ人東大教授にして『故・たかじんの極右番組』出演者のロバート・ゲラーなる俗物がほざくような、「日本の科学技術教育の問題」などにはとどまらないのである。

ヘンドリック・シェーン - Wikipedia より

ヘンドリック・シェーン


ヤン・ヘンドリック・シェーン(Jan Hendrik Schön 1970年 - )はドイツ人の元物理学研究者である。現在では科学における不正行為を行ったことで最も知られている人物である。

精鋭が集うベル研究所で研究者として勤務し、科学的な大発見を発表し、科学者らからは傑出したスター級の科学者と見なされ、2001年にオットー・クルン・ウェーバーバンク賞、ブラウンシュヴァイク賞、2002年に「傑出した若手研究者のための材料科学技術学会賞」を受賞し、ノーベル賞受賞も間違いなしと言われたが、その後、彼による「大発見」が実は捏造によるものであったことが露見し、科学界に衝撃を与えた。

シェーンのスキャンダルは科学者のコミュニティにおいて、

  • 共著者・共同研究者の責任、
  • 科学誌の査読者の責任

についての議論などを引き起こした。


来歴、大発見、栄光


シェーンの研究領域は物性物理学とナノテクノロジーである。

ヘンドリック・シェーンは1997年にコンスタンツ大学から博士号を授与され、1997年後半にベル研究所に雇用された。

シェーンは、フラーレンにおける高温超伝導研究で脚光を浴びた。

2000年に52Kで超伝導を観測したと発表し(Science 288, 2338 (2000))、有機物における超伝導転移温度の最高記録を塗り替えたとされた。2001年にはこの記録を117Kに更新したと発表し(Nature 414, 434-436 (2001))、世界を驚かせた。また、同2001年には、科学雑誌『ネイチャー』において、分子程度の大きさのトランジスタを作成したと発表し(Nature 413, 713-716 (2001))、注目を浴びた。

また、シェーンは、電気回路を組み立てるために薄い層の有機色素の分子を使ったところ、電流が流れているときにトランジスタとして動作した、と主張した。

彼の研究成果は(もし本物であれば)、人類がシリコンベースのエレクトロニクスから離脱して、有機エレクトロニクスに向かう出発点と成り得るものであり、非常に画期的なものであった。また、チップの小型化を、シリコンが壊れる限界点を超えて継続させ、(最近たびたび限度が指摘される)ムーアの法則が現在の予測よりも長期間続くことを確約してくれることであっただろう。シェーンの発明はエレクトロニクスのコストを劇的に下げていくであろう、と評価されもした。

傑出したスター級の科学者、あるいはカリスマと見なされるようになり、2001年にオットー・クルン・ウェーバーバンク賞、ブラウンシュヴァイク賞、2002年に「傑出した若手研究者のための材料科学技術学会賞」を受賞した。そして「超電導の分野でノーベル賞に最も近い」ともいわれた。

シェーンは論文を量産し、2001年には、シェーンが著者に名を連ねる論文が、平均して8日に1本のペースで量産される状況となっていた。


大発見についての疑惑と調査


当然、科学者全般および世間一般の人々は、シェーンの挙げた諸成果は本物だと信じ切っていた。

シェーンの研究成果について(ほんの少数ながら)何らかの「違和感」を覚える者がいたのだが、たとえそれが口にされても、シェーンの研究成果の華々しさや人々の賞賛の声のあまりの大きさに、すぐに打ち消され、特に問題にもならなかった。

シェーンは当時、ベル研究所の研究室以外に、ドイツにある自身の出身大学にも研究室を持っており、それらを往復していた。シェーンの成果に違和感を持ち、それを実現したという実験機器類を自身の眼で確かめてみたいと思った一部の同僚も、シェーンから「重要な実験は出身大学の研究室のほうで行っているので、お見せできない」などと説明されてしまうと、それ以上あえて追求することはできなかったという。

そのような状況が続いていたがついに、ある物理学コミュニティから、シェーンのデータがおかしい、と申し立てられた。

申し立てによれば、特にシェーンのデータは異常なまでに正確で、一般的な物理学上の常識から導きだすことができないようなデータも含まれていた。カリフォルニア大学バークレー校のリディア・ソーン教授はある日掛かってきた電話で、主に二つの論文を見比べるように告げられた。そして、ある二つの実験において温度がまったく違うのに、(それらに含まれる)ノイズが同一であることに気づいた。「ネイチャー」の編集者達がそのことをシェーンに指摘したときには、彼は「誤って同一の実験のグラフを提出してしまった」と主張した。また、コーネル大学のポール・マッキューン教授はシェーンの論文の、別の(三番目の)温度においても、またしても同じノイズが含まれたことを発見した。

マッキューン教授とソーン教授および他の物理学者の追跡調査によって、シェーンの論文のデータの多くが重複していることが明らかになった。合計すると、シェーンの論文25本と共同執筆者20人に嫌疑がかけられた。

論文発表時の研究グループのリーダーはバートラム・バトログ(en:Bertram Batlogg)であるが、彼は不正についての関与を否定した。

2002年5月、ベル研究所スタンフォード大学のマルコム・ビーズリー教授を不正調査委員会の議長として任命した。委員会は告発の受付を行ったところ数件程度と思われた告発が1ヶ月で24件も集まった。委員会はシェーンの共同研究者全員に質問書を送り、主要な共著者3人である鮑哲南、バートラム・バトログ、クリスティアン・クロックに聞き取り調査を行った。また、加工された数値データを含む論文の原稿を調査した。生データの記録をシェーンに要求したが、研究所のノートには記載されていなかった。彼の生データが記録されたファイルは彼のコンピュータから消去されていた。シェーンによれば、ハードディスクの容量が限界にきていたので削除したとのこと。さらに、実験サンプルはすべて捨てたか、修復不可能までに破損してしまったとのこと。

2002年9月25日、調査委員会は調査報告書を公にした。調査報告書には24の不正行為に関する詳細な申し立てが掲載されていた。このうち少なくとも16件について、シェーンによる科学における不正行為の証拠が発見された。多くの実験において、実験データが組み合わせて再利用されていたことが分かった。実験データからプロットされたとしていたいくつかのグラフが、実は数学曲線によって作り出されていたことも発見された。

ベル研究所は報告書を受け取った日にシェーンを解雇した。ベル研究所の歴史において初めて不正が発見された事件であった。
(後略)

シェーンの専門分野は高温超伝導。高温超伝導の現象は、1985年にIBMチューリッヒ研究所のミュラーとベドノルツによって発見されたが、1986年に東大・田中昭二教授(故人)の研究室が実証したことによって、日本でも一時大フィーバーになった。当初セラミック材料で確認されたこの現象を有機材料で実現しようと、各国の研究者がしのぎを削る中、シェーンの捏造事件が起きた。

この件に関して、『論文捏造』(中公新書ラクレ)の著書がある元NHKディレクターの村松秀氏が書き、電子情報通信学会誌の2007年第1号2-3頁に掲載された「『史上空前の論文捏造』から考える科学の変容と倫理」という解説を読んだ。
http://www.ieice.or.jp/jpn/books/kaishikiji/2007/200701.pdf

非常に興味深い内容だったので、以下に全文を引用する。

 2002年,科学界を震撼させる事件が発覚した.「史上空前」ともいうべき大規模な論文捏造が明らかになったのである.昨今,国内外で相次いでいる論文捏造疑惑・事件の中でも,最大級の規模といってよいだろう.
 捏造の舞台はアメリカが世界に誇る科学の殿堂,ベル研究所.過去にノーベル賞受賞者を11名も輩出している名門だ.ここに所属していた,当時まだ30歳そこそこの若き天才科学者,ヤン・ヘンドリック・シェーンが,有機物の超伝導を全く新しい仕組みで実現,その臨界温度はなんと117Kもの高温を記録するに至った.有機物では文句なしの世界記録である.シェーンの研究成果は計63本の論文にまとめられ,うち「ネイチャー」誌に7本,「サイエンス」誌には9本もの論文がわずか3年のうちに掲載されるというとてつもない快挙を成し遂げたのだった.世界中の100以上の研究チームが慌てて追試に追われ,10億円以上もの資金が使われたという.物理界は熱狂の渦に巻き込まれた.やがてシェーンは,ノーベル物理学賞の有力候補とまでいわれるようになる.
 シェーンが不正行為を働いていた,というベル研究所調査委員会の発表は,正に衝撃だった.委員会はシェーンの16の論文を捏造と認め,他の論文も後に共著者らから撤回されるなどして現在では事実上論文すべてが捏造とみなされている.正に空前絶後の捏造事件である.ただし,調査委員会の調査も,次の質問には答えてはいない.「一体なぜ,捏造が起きてしまったのか?」そして「一体なぜ,これほどの捏造を3年もの間,だれも見抜くことができなかったのか?」というなぞである.
 筆者はNHKの番組ディレクターとして,シェーン事件の取材に臨む機会を得,この二つのなぞに挑み,事件の真相に迫ろうとした.そして,1年にわたる長期取材の記録を「史上空前の論文捏造」というタイトルのBSドキュメンタリー(2004年10月放送,50分)およびハイビジョン特集(2005年3月放送,90分)の2本の番組,さらに書籍(1)にまとめた.取材では,発覚から時間がたっていたこともあり,多数の関係者の証言をスクープとして得ることができた.そこから浮かび上がってきたのは,科学界が内包する構造的な問題点だった.
 本来,不正を見抜くための方策は幾重にも設けられているはずであった.共同研究者,上司,研究所,ジャーナル,他の研究者,科学コミュニティ....ところが,シェーン事件の場合,そのどれもが捏造をきちんと見いだす機能を果たすことはできなかったのである.
 例えば,正確無比で信頼を担保するはずの科学ジャーナルは,実は再現性も正確性も全く保証していなかった.取材では「ネイチャー」「サイエンス」両誌の編集トップ自身が,「ジャーナルは実際に不正を見抜いたり不正確な論文をチェックしたりする機能を持ち合わせていない」,と答えたのである.その一方,レフェリーを務めた人物への取材によると,シェーンの論文に疑問を呈したにもかかわらず,編集部はそれを真しに受け止めないまま出版していた.科学ジャーナルが「科学の番人」というのは私たちの思い込みだったのだ.他誌との競争の中で一刻も早くセンセーショナルな注目論文を出版したいという思惑を持った科学ジャーナル編集部が,吟味が不十分なまま論文をえり分け急ぎ掲載した,と指摘する声もある.
 また物理のコミュニティには,捏造の疑念を告発する仕組みが存在していなかった.追試に臨んだ研究者たちも,シェーンの人柄の良さと親切さ,そして直属の上司であった超伝導の大家・バトログ博士やベル研究所という「権威ある名前」を当然のように信じ,何ら研究への疑いを持つことはなかった.さらに後になって疑念を抱いても,捏造を科学的に証明することの困難さに直面した.真実を証明するより,不正を証明することはあらゆる可能性を検証する必要があるため何十倍も難しい.研究競争に遅れてはならない研究者たちが,結局自ら時間をかけてまで不正を実証することは発覚の直前までなかった.
 20名を超える共同研究者たちも,驚くべきことに研究全体を把握しておらず,しかもシェーンが実現したという超伝導の現象自体をこの目で見た者は一人もいなかった.さらに上司・バトログ博士は「科学者同士が対等な立場で行うのが共同研究なのだから,その信頼を壊すように,不正があることを前提にしてシェーンに質問をしたり調査をしたりするようなことは決してできない」旨を証言し,研究リーダーとしての監督責任を事実上無視する姿勢を貫いた.ベル研究所に至っては,かつては論文審査よりもベル研内部の審査の方が厳しいとの評判だったのに,親会社の不況の波をかぶって経済性を最優先するようになり,将来性の高そうなシェーンの論文を手放しで賞賛するのみで,しかも内部告発があったにもかかわらず真っ当な調査を行うことはなかった.ありとあらゆるチェック機能が全く働かなかったのである.
 シェーンの勇み足ともいうべきうかつさによって,同じデータを別の論文で使い回したことが発覚するまでの3年もの間,シェーンの捏造は見抜けぬままになってしまったのだった.
 シェーン事件や国内外で相次ぐ捏造疑惑の反省から,論文のチェック機能の点検・強化や,科学倫理教育の徹底,不正を犯した科学者へのペナルティの強化などが叫ばれている.どれも正論であるし,個人の科学倫理観を高めていくことはもちろん必要不可欠であろう.
 その一方で,これらはいわば対症療法的であり,科学界のより良い発展を考える上では中途半端な対応となりかねないことも認識しておく必要があるだろう.なぜならば,事件の本質は科学そのものの大きな「変容」にあるからである.
 20世紀,科学者の心に沸いた興味だけにのっとって現象の真理を真しに求めるような,純粋な科学はすっかり鳴りを潜めてしまった.
 代りに,科学界には成果主義の波が押し寄せてきている.価値のある科学的研究成果をほかよりも少しでも早く見いだすことが,そのまま研究者の評価につながり,ポストや地位,給料まで決定していく,そんな時代になっている.そのとき,ともすると成果の得やすい研究や失敗の少ない研究,一般受けしやすい研究をチョイスする力が働きがちになる.それはもはや,純粋に科学的興味を追求する科学とはいい難いだろう.
 科学と経済性との結び付きも極めて強固になった.科学的成果が商品開発や生産技術などにたちまち生かされ,金銭的な価値を生み出して経済発展に直結する時代である.今や,その国の科学技術のレベルがそのまま,国力を測る重大なる指標となっており,国の科学予算配分にもそれにまつわる意図が働いている.
 科学はもはや一科学者の興味の元にあるものではなく,国家にすら囲われた状態に置かれているのだ.さらに,研究成果を特許にして金銭的メリットを確保することも急がれている.こうした状況の中では,秘密主義やだましといったことが生じやすくもなる.多くの企業が献金や委託研究も含めて様々な公的研究に関与している現状ではなおさらである.
 実現したと成果主義と経済性重視の中で,研究者自身が抱かざるを得ない強烈なプレッシャーはいかばかりであろうか.さらには,科学の根幹だったはずの「再現性」が,先端科学では必ずしも十二分に保証されないままになる,という点も重大である.余りに最先端の研究ゆえに,国家プロジェクト級の大規模な装置や,多額の研究資金が必要となる精密なマシン等でしか実験をなし得ることができなかったり,研究者自身の「神の手」ともいうべき真似のできないテクニックが,実は現代科学を支えていたりもする.その場合は極端にいうと「再現性がない」こと自体がステイタスになって,科学的に正しいと認められていく傾向すらある.つまり,本来の科学には不可欠なはずの再現性が,今や不必要な局面が実際に存在しているのだ.しかも,再現性を検証するはずの,最先端科学のコミュニティ自体が,現実には極めて少ない人数であり,国際学会に出向けば大抵の人と知り合いになれる程度しかいない.まして,それ以外の分野の研究者が再現性を疑うこと自体,事実上不可能でもある.科学が「深く細く」なりすぎた弊害ともいえよう.
 20世紀に生じたこうした科学の大きな「変容」は,捏造・不正の原因や誘因となっている.にもかかわらず,科学の論文発表,審査,学会発表の方法やスタイルは全くといっていいほど変わっていない.変容の是非はともかく,旧態依然とした発表制度とのギャップゆえ,不正を防ぐことができていない.そもそも科学の劇的な変容自体,多くの科学者はリアリティを持ってとらえていないのではないか.21世紀の科学の有り様,新たな科学の望ましい姿を,科学界全体が共有していないと感じる.捏造や不正は,実際にはこうした科学の変容を研究者や科学コミュニティが見つめ直していないところに本質的な原因があるのではないだろうか.
 対症療法は必要だが,大本に立ち戻って,科学の変容の是非を問い,21世紀の科学は一体どうあるべきかの議論をもっともっと深め,コンセンサスを得たその上で,科学倫理の有り様,不正への対策を決めていくべきであろう.一たび失われた科学界への信頼を取り戻すことは容易ではない.だからこそなおのこと早急に,科学そのもの,科学界そのものの価値やあり方を原点に戻って論じるこ
とこそ,21世紀の科学倫理観を形成するために必要不可欠ではないだろうか.


文献
(1) 村松 秀,論文捏造,中央公論新社,2006.

(平成18年8月6日受付 平成18年9月8日最終受付)

(電子情報通信学会誌, Vol.90, No.1, p2-3 (2007))

科学技術と経済(資本主義)の関係が問題の本質だというのは、私のような者でも認識していたところだが、この解説文の特筆すべき点は、

科学の根幹だったはずの「再現性」が,先端科学では必ずしも十二分に保証されないままになる

という問題点を指摘し、論じていたことだ。これには瞠目させられた。今回の「STAP細胞事件」における再現性の問題は、幹細胞に関する研究という生物学の一分野の研究が有する特異性によるところが大きいのではないかなどと、私はぼんやりと考えていたのだが、それはとんでもない間違いだった。

科学者の研究分野が極端に細分化された現在、特定の研究分野で成果を競うライバルは世界でもほんの一握りしかいないことや、政府による予算の配分が、特に近年、経済効果(金儲け)につながる特定の分野に極端に傾斜していることは、素人である私にも容易に想像できることだったが、その特定の分野の中でも特定の研究機関に極端に傾斜するため、上記のシェーンのような人間が捏造を行っても、それを検証できる人間はほとんどいない(予算が不足して、検証できるだけの装置を備えられないから)ということなのか。この視点は、これまで私が持っていなかったものだ。なるほど、そう考えれば笹井芳樹の意図も理解できようというものだ。あまりに騒動が大きくなったので、安倍政権は、理研の「特定国立研究開発法人」指定を先送りしたが、その意図を放棄したものではなく、他に世間を騒がせる事件が起きて人びとがこの件への関心を失った頃、つまり「ほとぼりが冷めた頃」を見計らって、理研を改めて「特定国立研究開発法人」に指定しようとたくらんでいるに違いない。そのための落としどころを得ることが笹井芳樹の記者会見の目的だったのだ。この件における笹井芳樹のかかわりを、単なる「ギフトオーサーシップ」の問題として片付けるのは、やはり間違いではなかろうかと、少し考えを改めた。ただ、笹井芳樹の「STAP細胞」への関わりは、論文の再提出及び国際特許出願の少し前からに過ぎないことは確かで、一部で「捏造の黒幕」とか「真の巨悪」などと言われるほどの存在ではあるまいとは依然として思う。とはいえ、この件で笹井芳樹を処分せずに終わらせてしまうことは、大きな禍根を残すことになる。小保方晴子のみならず、笹井芳樹の処分は厳正に行われるべきであろう。

ただ、笹井芳樹理研の誤算は、小保方晴子があまりにも無能だったことだろう。有機物の高温超伝導捏造劇の主役、ヤン・ヘンドリック・シェーンや、韓国で今も熱烈な支持者が復権を待ち望んでいるという黄禹錫と比較して、小保方晴子はあまりにもしょぼ過ぎるとの印象は否めない。

*1:「シェーン」は明らかなドイツ語だが(但し、名は体の正反対を表している)、「ヤン」という名前はドイツ語では普通「ヨハン」になるはずだから、この人にはドイツ人以外の血も入っているのではないかと勝手に推測している。