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古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

杉晴夫『論文捏造はなぜ起きたのか?』(光文社新書)を読む

ある時期から、「はてなブックマーク」でホッテントリを追ったりするのに飽きてきて、それよりも本を読んで感想文をメモしておこうと思うようになった。読書は月平均10冊を目標としており、今年はここまで96冊読んだからほぼ目標通りにきているが、先月あたりから息切れ気味だ。また感想文のメモは、書くのに時間とエネルギーを要するので億劫になってサボりがちになっている。

そんなわけで、下記の本も先月27日に読み終えてからだいぶ時間が経つ。


論文捏造はなぜ起きたのか? (光文社新書)

論文捏造はなぜ起きたのか? (光文社新書)


出版社のサイトより。
論文捏造はなぜ起きたのか? 杉晴夫 | 光文社新書 | 光文社

論文捏造はなぜ起きたのか?
杉晴夫/著

世界を騒がせた、理化学研究所STAP細胞事件。この背後には、日本の歪んだ科学行政があった。半世紀にわたり国際的な研究活動を続け、今も現役研究者として活躍する生理学者である著者は、この出来事を、わが国の生命科学の惨状を是正する機会と捉え、筆を執った。外圧によってもたらされた、分子生物学再生医療分野の盛況と、潤沢すぎる研究資金。大学の独立行政法人化により伝統と研究の自由を蹂躙され、政府・産業界の使用人と化した大学研究者たち。学術雑誌の正体と商業主義など、研究者を論文捏造に走らせる原因の数々を、筆者ならではの視点から、科学史を交えつつ鋭く指摘する。研究者の自由を取り戻し、論文捏造を根絶するための提言も行なう。


■ 目次

はじめに
第1章 理化学研究所STAP細胞事件とは
第2章 研究者はなぜ、データを捏造するのか
第3章 明治時代の生命科学の巨人たちはいかに活躍したか
第4章 近年のわが国の生命科学の沈滞
第5章 科学史上に残る論文捏造
第6章 分子遺伝学の歴史と、今後の目標
第7章 わが国の生命科学の滅亡を阻止するには
おわりに


■ 著者紹介

杉晴夫(すぎはるお)
1933年東京生まれ。東京大学医学部助手を経て、米国コロンビア大学国立衛生研究所(NIH)に勤務ののち、帝京大学医学部教授、2004年より同名誉教授。現在も筋収縮研究の現役研究者。編著書に『人体機能生理学』『運動生理学』(以上、南江堂)、『筋肉はふしぎ』『生体電気信号とはなにか』『ストレスとはなんだろう』『現代医学に残された七つの謎』『栄養学を拓いた巨人たち』(以上、講談社ブルーバックス)、『天才たちの科学史』『人類はなぜ短期間で進化できたのか』(以上、平凡社新書)、Current Methods in Muscle Physiology(Oxford University Press)など多数。日本動物学会賞、日本比較生理生化学会賞などを受賞。1994年より10年間、国際生理科学連合筋肉分科会委員長。


著者は今年80歳でありながら現役の生物学者であるが、現在流行の分子生物学再生医療ではなく、古典的な生理学の専門家である。そのため、分子生物学再生医療に対する敵愾心を露骨に示している。ために本書の評価は評者の立場によって大きく分かれるだろう。

以下に、アマゾンのカスタマーレビューから、星5つと星1つの評価をしたコメントを1件ずつ紹介しておく。

★★★★★ STAP細胞事件の背景を鋭く指摘している, 2014/9/21
投稿者 RdoaW5eC
レビュー対象商品: 論文捏造はなぜ起きたのか? (光文社新書) (新書)

これまでSTAP細胞事件と論文捏造について多くの論評が書かれているが、いずれも研究者としての立場で書かれたものではなかった。
その点で本書の筆者は半世紀をこえて研究活動を続ける国際的生理学者であるので研究者の視点からSTAP細胞事件の問題点の本質を指摘している点が新鮮である。
ネイチャー誌の商業主義や、インパクトファクターの無意味さもさることながら、欧米の学問の我が国への移植に果たした国立大学の重要な役割と、この歴史的役割を無視して強行された国立大学の独立行政法人化こそが論文捏造蔓延の原因であると指摘しており、この論旨には極めて説得力があった。
しかし、日本の分子生物学者、分子遺伝学者を俎上にのせ、彼らがさしたる実績がないのにもかかわらず外圧により学問の主流を占め研究費を独占しているとのくだりの文章は、きびきびしていて痛快ではあるのだが、この部分はやや主観、独善に陥っている感は否めない。
そして筆者は、日本の研究費申請審査制度の改善を提案している。
巻末では筆者自身の研究を例にとって、これにたいする国内と国外との著しい相違が記述されている。筆者の研究にたいする高い国際的評価が確立しているにも拘わらず、日本では無名であるという事実は、筆者が本書で指摘しているように、この国の科学行政や学会が構造的に偏っており、特定の分野以外の研究に対しては閉鎖的であることを端的に表した例であると言える。
本書は筆者にしか知りえない多くの興味深い話題に満ちており、従来のこの分野の解説書に物足りなさを感じる人にこそおすすめしたい本である。

★ 老人の繰り言になってしまっている, 2014/9/20
投稿者 本が好き
レビュー対象商品: 論文捏造はなぜ起きたのか? (光文社新書) (新書)

悲しい。杉先生、どうしちゃったの。。という本である。悲しい例を挙げる。

  1. 頁19:世界の三大医薬品といわれる、アドレナリン、タカジアスターゼ、アスピリン。。。。とあるが誰が“三大医薬品”と決めたのか?不肖私聞いたことがない。勝手な定義が多すぎる。“学聖”なる言葉を第6章で勝手に使っているが、誰が誰を“学聖”と決めたのか?。。。著者が尊敬する学者を“学聖”と称するならそれはそれで勝手だが、、。どうやら著者の頭の中では勝手な妄想による言葉の定義が渦巻いているらしい。そんなモノにつきあってはいられない。
  2. 頁35:ハクスレーの写真はいるのかな?他にも不要な写真が多すぎる。
  3. ご自身が推薦するJournal of Physiology のIFが4-5と繰り返し出てくる。例えば頁36 頁81には2回も出てくる。くどすぎる。いくらか始まっているのではと思われる。編集者は注意すべきである。
  4. 欧米の学部長からの推薦状を依頼される話も頁42、頁83に出てくる自慢話である。二度もでるとくどい。 
  5. 第3章は何のために(本論と全く外れる)書かれたか不明である。高峰が上中から業績を取り上げたように書いているが、間違いである。「ホルモンハンター: アドレナリンの発見 」に詳しい。石田三雄 (著).
  6. 第5章は「背信の科学者たち―論文捏造、データ改ざんはなぜ繰り返されるのか (ブルーバックス) ウイリアム・ブロード、ニコラス・ウェイド」からの引用であろう。それならそうと明記すべきであるというか、第5章もいるのかな?と思われた。。。
  7. 頁229からの著者ご自身の研究説明がこの本に必要なのだろうか?。。。

まあ、第3章、5章は割愛して、何度も同じ記述が出てくる箇所を正す様に助言する編集者がいたら、本書の分量は1/2になり肉質がしまった良い本になったであろうと思われる。国立大学の独法化やそれに伴う弊害については杉氏と同感であるだけに残念である。分量が半分になり要旨が変わらないなら、もっと評価が変わったと思う。


私なら「星4つ」といったところか。確かに我田引水が鼻につく箇所もあるが、傾聴すべき指摘も多いと思った。

まずしょっぱなから痛快だったのは、野依良治に対する痛烈な批判である。以前にも何度か書いたと思うが、私はこの野依が2001年にノーベル賞を獲った頃から大嫌いなのである。それは野依の悪評をさんざん耳にしたためであり、野依の前年、2000年に野依と同じノーベル化学賞を受賞した白川英樹博士が人格者として尊敬されているのとは対照的に、野依はたいした業績も上げていないのに政治力でノーベル賞を獲ったなどと陰口を叩かれていた。そういう評判を耳にすると、野依がいかにもそれらしい風貌の男であることも相俟って、いかにもありそうな話に思えてくる。だからそれ以来ずっと、私は野依を嫌い続けてきたのであった。

以下本書より引用する。

 さて、近年理研に起こった変化は、地下の高峰譲吉を嘆かせる方向に進んでいったようである。あとで説明する大学の独立行政法人化と同時期に、理研を支配する理事長に就任したノーベル化学賞受賞者、野依良治氏は、行政的手腕の持ち主で、理研の規模と予算を飛躍的に増大させた。
 筆者は個人攻撃の意図はまったくないが、野依氏が名古屋大学勤務時代、高額の所得を申告せず、税務署から重加算税を含む追徴課税を受けたことをまず、指摘しておきたい。
 この問題は、当時新聞で報道されたものの、世間から執拗に糾弾されることなく忘れられた。しかしその後、野依氏が理研に移り、ついで理研の頂点に立つ理事長に就任したことに、筆者は釈然としない思いを持った。理由の如何を問わず、重加算税を課された事実は重く、これを自覚すれば、理事長就任を懇請されてもこれを辞退する、という生き方もあったであろう。(本書21-22頁)


筆者が指摘する理研の急膨張に伴う問題点は下記。

 理研の急激な膨張は、以下のような因果関係により、「一瀉千里」、あるいは「雪だるま式」に進行した。
 文部科学省は、他の省庁に比べて、いわゆる「天下り先」に恵まれない。主な天下り先は、国公私立大学の事務員、事務長、学長、理事、理事長などであろう。しかしこれらのポストの多くはすでに埋まっており、ここに割り込むことは容易ではない。
 ところで、理研が急激に組織を膨張させれば、これにともなって研究業務をバックアップする事務長などの職員が大量に必要となり、これらの新設のポストは、理研の膨張に貢献する文部官僚にとって、願ってもない天下りの機会を提供する。理研のような研究組織の拡大のためには、財務省との折衝が不可欠であるが、文部官僚はこの努力に対する報酬として天下りが準備されているので、この業務に熱心に取り組むであろう。
 このようにして、理研の研究組織の膨張は、急激に、「雪だるま式」に進行したのである。
 なお、このような研究組織の膨張そのものは、それ自体は少しも悪いことではない。しかし、この膨張があまりにもはなはだしく、大学の研究予算の恐るべき削減をもたらしたことが大問題なのである。
 何年か前に、理研の研究者の驕りを象徴する事件が起きた。理研が数億円の巨費で購入した核磁気共鳴装置が、購入後数年間、まったく使用されていないことが新聞紙上で指摘されたのである。
 この指摘に対する理研の回答は「この装置を使用できる研究者がいなかったので……」という、厚顔、無責任極まるもので、新聞紙上でも非難された。
 しかしこの件もすぐ忘れられてしまった。そして理研STAP細胞問題を迎えたのである。(本書23-25頁)


さて、「STAP細胞問題」に関する著者の見立ては、一言でいえば「小保方晴子1人に全責任を押し付けて責任逃れをする理研は怪しからん」というものである。本書は、まだ笹井芳樹が自殺する前に大部分が書かれたが、最後の第7章執筆時に笹井芳樹の自殺を知ったとのこと。それはのちほど紹介するとして、本書でもう一つ痛快に思った『ネイチャー』誌批判を紹介する。第1章第5節は、まるまる『ネイチャー』批判に当てられているのである。以下本書より引用する。

(5)権威ある学術雑誌『ネイチャー』の正体は商業主義


 『ネイチャー』の商業主義

 小保方氏らのSTAP細胞の発見を報ずる二編の論文が英国の『ネイチャー』誌に掲載された直後、理研の華々しい記者会見の席上での発表とともに、この偉業は一時賞賛につつまれた。
 ある著名なわが国の科学随筆執筆者はこの報に接して、「あの権威ある『ネイチャー』誌に、論文を二編も続けて発表するとは素晴らしい」「しかもSTAP細胞の歴史的発見は、論文中の『盤石の』実験事実によって支えられている」と、手放しで賞賛した。
 この当初の賞賛は、『ネイチャー』のような絶大な権威の学術誌に発表された論文が真実でないことはあり得ない」という、一種の信仰によるものであった。この学術雑誌信仰の裏にある実態を考えてみよう。
 すでに説明したように、筆者は神経・筋肉研究分野の「古典的」生理学が、「遺伝子研究」に学問の主流の地位を譲る変動期にめぐり合わせた。当時筆者がもっとも苦々しく思ったのは、この『ネイチャー』誌の態度であった。
 筆者はこの雑誌に時々論文を発表していたが、ある時、投稿した論文を「筋肉研究者は数が少なく、したがってこれに関する論文は大多数の読者に注目されないので掲載できない」との理由で、論文審査なしに編集者によって却下されたのである。
 筆者の国外の友人たちも、みな、同じ目にあい、「『ネイチャー』は筋肉の論文をもはや受け付けないそうだ」との噂がひろまり、彼らは『ネイチャー』を論文発表の際、考慮の外に置くようになった。
 ノーベル生理学・医学賞受賞者のハクスレー氏は、筆者と三十年にわたり親交があったが、やはり同じ理由で、論文掲載を拒否され、筆者の自宅を訪問された際、「Nature is no longer useful!」(『ネイチャー』誌はもう役に立たない!)と憤懣を述べられた。
 このように、一般に絶大な権威と信用があると見なされている『ネイチャー』誌の正体は、現在流行の、したがって研究者数も圧倒的に多い学問分野の論文を恣意的に優先して掲載することによって購読者数を増やし、利益を増大させる商業誌、つまりビジネスに過ぎないのである。


 インパクトファクター」とは「流行ファクタ−」

 この『ネイチャー』誌の「見かけの」権威を支えているのが、現在流行の「インパクトファクター」である。
 これは、ある学術誌に一年間に掲載されたすべての論文が、他の研究者の論文中に引用された回数を示す値であり、研究者の多い流行の分野をあつかう学術誌のインパクトファクターが高い値を示すのは当然である。この結果、過去に絶大な権威のあった『The Journal of Physiology』(この雑誌は英国生理学会の機関誌で、ケンブリッジ大学出版局から出版される)のインパクトファクターはわずか「4」から「5」にすぎないのに対し、『ネイチャー』誌などの商業主義の雑誌は、この値が「30」台である。
 つまりこのインパクトファクターは、研究者の数を反映する「ポピュレーションファクター」あるいは「流行ファクター」にすぎず、個々の論文の学問的価値とは何の関係もないのである。
 このように、インパクトファクターの実態は浅薄極まるものであるにもかかわらず、わが国では軽薄にも、この値を過度に尊重し、多くの大学、研究機関で、職員の採用、あるいは昇任に、候補者が過去に発表した全論文のインパクトファクターの合計値を、人事決定の最優先事項として用いるようになった。
 さらにわが国では、不合理極まりないことに、『ネイチャー』誌掲載論文の共著者に名を連ねれば、ほんの一部の実験の手伝いをした未熟な研究者であっても、インパクトファクター「30」が加算され、昇任人事で圧倒的優位に立つのである。
 この結果、筆者の所属する医学部の多くの研究室の後任人事でも、従来の古典的生理学者は、次々と流行分野を専攻する研究者に敗北し、大学、研究機関の職員の学問分野は遺伝子研究に置き替えられていった。(本書34-37頁)


さて、この調子で引用を続けていると、どんなに長い記事になるかわからないので、以下、途中を少しはしょることにする。

第2章「研究者はなぜ、データを捏造するか」は、国立大学の独立行政法人化に始まる政府の管理や民間(=私企業、評者註)的発想による経営的手法や経営原理の導入によって、研究者たちは

  1. 研究者本来の自由を奪われ、
  2. すぐに結果が出るような研究に駆り立てられ、
  3. 研究費が使い切れなくても使い切らねばならず、
  4. ある期限内に成果(インパクトファクター機械的に評価される」)を出さなければ研究者としての生命を絶たれかねない、

という厳しい環境におかれた研究者が、論文捏造に走らなければむしろ不思議ともいえるであろう。(本書89-90頁)

と著者は指摘する。

第3章「明治時代の生命科学の巨人たちはいかに活躍したか」では、野口英世を「論文捏造の先駆者?」として論難している*1のが面白い。私はこの本を読む以前から野口英世に対する悪評を耳にしたことがあった。

第4章「近年のわが国の生命科学の沈滞」では、分子生物学における2つの大きなブレイクスルー、すなわちエイブリーが核酸が遺伝を担う物質であることを示した研究と、ワトソンとクリックによるDNA(デオキシリボ核酸)の二重螺旋構造の発見に日本人研究者が寄与しなかったことを述べる。

第5章「科学史上に残る論文捏造」では、ガリレオニュートンもデータの捏造を行っていたという話から始めて、ご存じというか、日本ではSTAP細胞事件で改めてその名前が思い出されたファン・ウソク(黄禹錫)の捏造までが紹介される。分野違いのヤン・ヘンドリック・シェーンは出てこないが、なぜか考古学の世界で捏造を行った藤村新一の例が出てくる。

第6章「分子遺伝学の歴史と、今後の目標」でまず目を引くのはDNAの二重螺旋構造発見でノーベル生理学・医学賞を受賞したジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックに対する批判である。とはいえ、私は知らなかったのだが、ワトソンとクリック、特にワトソンに関するドス黒い話とワトソンに対する批判は、ちょっとネット検索をかけてみただけでも山ほど出てくる*2。ここでは、そのいくつかにリンクを張るにとどめておく。


また、ワトソンはレイシストとしても悪名高い。


レイシストノーベル賞受賞者としては、私などはトランジスタの発明者として知られるウィリアム・ショックレーの名前が直ちに思い浮かぶのだが、ワトソンも卑劣さにかけては負けていないようだ。このワトソンは、86歳の現在も健在のようだが、「憎まれっ子世に憚る」という言葉が思い出される。

クリックは、ワトソンほど激しく世に憎まれてはいないようだが、ロザリンド・フランクリンの撮影したX線写真を盗み見して二重螺旋構造の発見につなげたことは疑えないだろう。クリックも長生きしたが、2004年に88歳で亡くなっている。

ワトソンが特に厳しく指弾されるのは、1968年に刊行された自著『二重らせん』で、1958年に早世して、著書刊行時には既にこの世の人でなかったロザリンド・フランクリンを「死人に口なし」とばかりにこき下ろした悪行のせいだが、『二重らせん』の読後感は人によりさまざまのようだ。興味のある方はアマゾンのカスタマーレビューを参照されたし。★の多いレビューの中にも、ワトソンをこき下ろしているものが少なくないから注意が必要である。

さてワトソンの話から戻ると、第6章の終わりの方で、著者は山中伸弥教授のiPS細胞に対する国の異様なまでの予算の傾斜配分を批判している。以下本書より引用する。

 この山中の、世界に先駆けてのヒトの体細胞からの万能細胞作製の成功は、わが国の研究者ばかりではなく、政治家たちも熱狂させた。山中の論文発表からわずか1か月で、文部科学省京都大学にiPS細胞研究センターを設立することを決定し、さらに政府は、iPS細胞の研究に巨額の資金を投入することに決めた。
 このような政府の素早い対応は、以前に政府の先見性の欠如から、和田昭允のヒトゲノム計画を挫折させ、米国に主導権を奪われた苦い経験があったためである。「羮に懲りて膾を吹く」ということわざがあてはまる。
 しかし、わが国のiPS細胞研究の進展は、その後の政府の(あまりにも)手厚いサポートにもかかわらず、研究の進展度は米国に後れをとりつつあり、山中の評価では、わが国と米国との争いは「一勝十敗」の状態であるという。巨大な金を注ぎ続けても、しょせん「金は研究をしてくれない」のであり、柔軟な研究体制と研究者、特に若い研究者の意欲が大切なのである。
 このiPS細胞をめぐる政府の対応が性急であり、民間会社の営利主義の発想であった主な理由は、米国主導で開始されたヒトゲノム解読国際プログラムが、民間会社によるヒトゲノム情報の独占をたくらんだベンターにより、攪乱され翻弄された事実が影を落としているためであろう。当時、わが国の分子生物学者、分子遺伝学者の間でさえ、政府の再生医療分野に対する、あまりにも他の研究分野に対するバランスを欠いた研究資金の投入を危ぶむ声があがっていた。(本書206-207頁)


自殺した笹井芳樹が、iPS細胞への予算の傾斜配分に異を唱えたという話が思い出される。

その笹井芳樹の自殺は、前述のように最後の第7章「わが国の生命科学の滅亡を阻止するには」の終わりの方(本書245頁)で言及されている。実はそれまでの部分にも、「STAP細胞」の論文撤回を言い出した共著者として、笹井芳樹の実名こそ挙げていないものの、それとわかる書き方で笹井芳樹を批判しているくだりがあるのだが、笹井氏の自殺を受けて文章のニュアンスが変わる。これは致し方ないことであって、私自身にも思い当たるふしがある。

以下関連箇所を抜粋する。下記引用部分の最初の方は、笹井芳樹の自殺をする前に書かれ、執筆の途中で自殺が報じられたもののようだ。

(5)研究不正防止の提言書についての感想


 iPS細胞への対抗意識が招いた事件

 筆者が本書の原稿を脱稿しかけている時点で、STAP細胞事件に関して理化学研究所理事長のもとに、研究所外部の委員による「研究不正再発防止のための改革委員会」(委員長、岸輝雄)の提言書が提出され、その内容が発表された。
 この提言書で、まず本事件の原因として指摘されたのは、小保方氏の採用にあたり、小保方氏の英語による自分の研究の説明会の開催など、採用のための既定のステップがことごとく省略されて採用が決定されたことである。そもそも小保方氏の採用は、理化学研究所サイドから彼女に対して提案されており、京都大学・山中氏のiPS細胞研究に勝るSTAP細胞研究に魅力を感じたことが、その動機であろうと推論されている。
 つまりSTAP細胞事件の原因は、理化学研究所の、京都大学iPS細胞研究所に対する対抗意識であった。この対抗意識そのものは、学問の進歩の原動力であり、少しも悪いことではない。iPS細胞は遺伝子の導入により作製されるため、ゲノムの改変による癌化の危険があるのに対し、STAP細胞ではこの難点が克服されており、もしこの細胞が実在すれば、再生医療を飛躍的に進歩させるであろう。
 しかし、理化学研究所は、功を焦るあまり、小保方氏を筆頭著者とするSTAP細胞発見の論文作成以前に当然なすべき、研究内容の検討、点検を怠り、論文が『ネイチャー』誌に発表されるや大々的にこの成果を誇示し、STAP細胞作製の特許を出願した*3ことは軽率極まる行為であった。
 同改革委員会は、この『ネイチャー』論文に疑義が生じると、理化学研究所がただちに研究所内部で調査委員会を設置し、この件は小保方氏個人の論文捏造と決めつけた行為を、「事件の発生の背後にある問題を隠蔽し、事件の矮小化を図ったもの」と厳しく非難している。まったくその通りであり、第1章で説明した「海軍乙事件」の曖昧な処理の再現であったと言えよう。


 カス論文の山を築かないために−−

 同改革委員会の研究不正再発に対する防止策の検討は、おおむね正論であるが、ここでの説明は省略する。筆者が本書で論議したように、どんな対策を講じようと、現状のように政府が学問の世界に土足で入りこみ、研究者を「自己の目的に従う使用人」扱いをする限り、研究不正と論文捏造はますます盛んになるであろう。そして後に残るのは、学問の進歩とは無関係な、カスの論文の山である。たまたま筆者が本章を執筆中、STAP細胞事件の責任を、小保方晴子氏と並んで厳しく追及された、笹井芳樹氏の自殺が報じられた。痛ましいことである。少々脱線して、この悲劇について考えてみよう。
 テレビでの報道によると、笹井氏と小保方氏との出会いは、第5章で紹介した、米国のラッカーとスペクターの出会いを連想させる。著名な研究者ラッカーは、発癌の生化学的仕組みに関心を持っており、新進の研究者、スペクターが彼の研究室に持ち込んだ「リン酸化酵素のカスケード理論」に魅了された。これは再生医学の権威、笹井氏が、STAP細胞の発見という目覚ましい業績を引っ提げて現れた小保方氏に傾倒したのと同じである。
 そしてラッカーはスペクターの仕事を信じて、共同で論文を発表し、『サイエンス』誌上でその業績を誇示した。一方、笹井氏は、小保方氏の実験データを信じて『ネイチャー』誌に共同で論文を発表した。しかし不幸にも、どちらの発表も幻に終わった。
 さて、ここからの反応は、米国とわが国とでは極端に異なっている。米国のジャーナリズムは、ラッカーの過失を仰々しく咎めることはなかった。米国の人々の考えは、事件の当事者たちはすでに打撃を受け、社会的に罰せられているとして、このような事件は忘れ去ってしまうのである。
 ところがわが国では、事件の当事者たちを無慈悲にも執拗に報道し続け、一方、理化学研究所の幹部は、当事者たちを非常に突き放すかのような態度をとり続けている。笹井氏の悲劇は、このようなわが国の風土が原因なのである。この風土は、野口英世を依然として日本の代表的科学者とみなすことに繋がっているのであろう。(本書243-246頁)


引用文中、第5章で言及されたスペクターとラッカーとの関係は、小保方晴子笹井芳樹との関係よりも、有機物の高温超伝導で研究不正を行ったヤン・ヘンドリック・シェーンとバートラム・バトログとの関係に近いように私には思われる。というのは、ラッカーとスペクター、バトログとシェーンは、明らかな上司と部下の関係にあったが、笹井芳樹小保方晴子は、おそらく竹市雅俊が「STAP細胞」論文のテコ入れの業務命令を笹井芳樹に下す前には、直接の上司と部下の関係ではなかったと思われるからだ。

また、小保方晴子の採用に、どこまで笹井芳樹がかかわっていたのかも私は疑っている。もしかしたら、笹井芳樹小保方晴子の採用に竹市雅俊ほど積極的にかかわっていなかったのではないかとも想像しているのである*4笹井芳樹は、なまじ論文作成能力にも経営的才能にも長けていたばかりに貧乏くじを引いた形なのではないかと思えてならない。

著者が引き合いに出したスペクターは学歴を詐称しており、博士号どころか修士号も取得していなかったという。そしてスペクターはシンシナティ大学時代の文書偽造の罪に問われ、執行猶予付きの懲役3年の刑を宣告されたという*5。つまりスペクターは博士号を剥奪されたヤン・ヘンドリック・シェーン同様、十分深く罪を追及されたといえるのであって、小保方晴子の博士号が下手をしたら維持されかねないのとは大違いである。文科相下村博文小保方晴子を奇妙に庇い続けている件と合わせて、小保方晴子が「無慈悲に執拗に」責められている一方であるとは私は思わない。

また、バトログやラッカーの責任を不問に終わらせて本当に良かったのかも疑問だ。とはいっても、笹井芳樹の場合は、誰が小保方晴子理研に引っ張ってきたのかを含め、本当に追及されるべき人間が追及を免れている感もあるし、何よりも笹井氏本人が亡くなったこともあって同情を禁じ得ないのは確かである。しかし、最終的に小保方晴子を御輿として担ぎ、虚飾のイメージに満ちたプロデュースをした責任者が笹井芳樹であったこともまた否めない事実である。自分から積極的に悪事を働いたことが明らかなシェーンやスペクターと小保方晴子とではかなり印象が異なり、小保方晴子は例の「陽性かくにん! よかった」と書かれた実験ノートに象徴されるようなぶっ飛んだキャラクターという印象だ。「STAP細胞」事件においては、そんな小保方晴子自身が能動的に動いたというより、理研小保方晴子を「リケジョの星」として祭り上げようとした印象が強い。そして、その責任を不問に付して良いとは私は決して思わないのである。ただ、追及の矛先が(小保方晴子以外では)笹井芳樹に集中していたことは、今にして考えれば不適切だったかもしれないとは思う。

さらに言えば、最後の野口英世云々のくだりは意味不明だ。著者によると、野口英世とは業績のほども怪しく、研究不正もしていた学者ということになるし、同様の指摘は著者以外からも多くなされているようだが、「野口英世を依然として日本の代表的科学者とみなすこと」に直結するのは、著者の主張とは逆に、小保方晴子の研究不正を不問に付すことではないか、またそれを後押しするかのような、早稲田大学下村博文らの行動の方ではないか。そう私には思えるのである。

このように、著者の意見に同意できない部分もあるし、著者のものものしい文体は、特に自身の業績を誇示するくだりなどで、ちょっとついて行き難いと思わせる部分もあるが、その瑕疵は別として、興味深いし考えさせられるところも多い本だ。本記事の最初の方に、「私なら『星4つ』といったところか」と書いたのはそういう理由である。

*1:本書119-121頁

*2:ワトソンの悪行は、数年前に売れた福岡伸一著『生物と無生物のあいだ』で紹介されているらしい。なお同書では前述の野口英世もこき下ろされているらしい。

*3:このくだりには著者の誤解がある。実際には特許の国際出願が、論文の『ネイチャー』誌受理に先駆けていた。まず特許出願ありきだったことが、論文の捏造をより悪質なものにしたのではないかと私は思っている。そしてそれには小保方晴子のみならず、笹井芳樹の果たした役割が極めて大きかったと想像されるが、残念ながら笹井芳樹は自殺し、秘密を墓場に持って行ってしまったのだった。

*4:私は笹井芳樹よりもむしろ、STAP細胞事件であまり名前が語られない、東京女子医大関係者の方が小保方晴子理研採用に深く関与していたのではないかと想像している。

*5:本書167頁