kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

青色LEDと中村修二氏と日亜化学と

赤色の発光ダイオードは私の学生時代から実験などに普通に使われていた。緑色というのは記憶にないが、黄緑色の発光ダイオードは知られていた。当時、博士課程にいた先輩の学生から、青色の発光ダイオードができたらすごいことなんだよ、と教えてもらったことを覚えている。そしてそれが本当に開発されたのであった。自転車のライトや、山に行く時などに使うヘッドライトで、白色のLEDを使うようになった時には、その寿命の長さはありがたかったが、輝度の低い状態で長く点灯しているので、ちょっと暗いよなあと思うことが多かった(ここ数年は自転車で夜道を走らなくなったので、LEDの性能がどの程度改良されているかは知らない)。

LED照明推進協議会:LED基礎知識

さて、ノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏の話。

http://toeic990.jpn.org/2014/10/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E8%B3%9E%E3%82%92%E5%8F%97%E8%B3%9E%E3%81%97%E3%81%9F%E4%B8%AD%E6%9D%91%E4%BF%AE%E4%BA%8C%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%A8%E6%97%A5%E4%BA%9C%E5%8C%96%E5%AD%A6%E3%80%81/

ノーベル賞を受賞した中村修二さんと日亜化学、いったいどちらの言い分が正しいのか?元日亜社員のつぶやき。
Posted on 2014年10月8日

先日、青色発光ダイオードの発明を讃え、赤崎、天野、中村の三博士にノーベル物理学賞が贈られました。言うまでもなく非常に素晴らしい快挙で、本当に祝福すべきであると思います。
一方で、今回の裏の側面としてマスコミに再びとりあげられているのが中村さんと日亜化学工業株式会社の訴訟問題です。今日はこの話をしたいと思います。

中村さんは徳島県に拠点を置く日亜化学の研究員として今回の受賞につながる成果を挙げました。10年以上前の話です。その結果、中村さんは学会のスターダムを駆け上った一方で、日亜化学青色LEDを始めとする様々な応用製品を世に送り出したちまち光業界で世界有数の企業へと成長しました。
しかしその後、紆余曲折を経て中村さんと日亜の関係は悪化。氏は日亜を退職し、「怒りを感じる」という言葉とともに、発明の対価として200億円※を求めた裁判を起こしました。怒りというワードは彼の著書「怒りのブレークスルー」の題名にも出てくるほどで、相当怒っていたようです。結局、数年の法廷闘争の後に約6億円の賠償金を日亜が中村さんに支払うことで決着します。

※当初、あやまって600億円と表記していました。お詫び申し上げるとともに訂正させていただきます(2014/10/9/19:11)

その裁判の中で中村さんは、青色LEDの発明はすべて私がやった、発明の対価として2万円しかもらっていない、日本の研究者は奴隷のようなもの、という趣旨の主張をしています。その結果、中村さんは孤高の義士で、日亜化学は労働者から搾取するだけの悪の企業、というステレオタイプなイメージが流布しました。

はたしてそれは本当なのでしょうか?

私はやはり、中村さん=正義、日亜=悪というレッテル貼りは行き過ぎという気がします。実はわたしは大学を出て2年ほど日亜化学の研究所に務めた経験があり、日亜の職場環境については実際に経験をしました(今は、別の会社に務めています)。また、私が入社したのは中村さんがご退職されたあとなので直接の面識はありませんが、彼の元同僚を通して話を聞くなどして間接的に事情を聞きました。実際にすべてを直に見たわけではないので断言はできませんが、勧善懲悪な図式というのはやはり無理があって、真実はもう少し中庸であるように思います。

日亜化学に在籍する元同僚による中村さんの評判は様々です。奇人、変人、ケチといったネガティブな表現は聞かれますが、それは口さがない徳島県民ゆえ(※徳島は海を隔てた堺に近く、文化的には大坂商人のようなところがある)。本気で彼を嫌っているような人はあまりいないように思います。
むしろ、実験哲学には光るものがある、エンジニアとしての生き様は尊敬しているなど、彼の技術面については多くの人が認めているようでした。
彼らにとって中村さんは一緒に働いた同僚であり、友人であり、上司であり師匠でもあるという、どちらかというと身近な存在のようです。

ただし、仕事の成果となると話は別です。中村さんの「すべて自分でやった」という趣旨の主張には多くの人が反論します。実際に青色LEDを実現するには無数の致命的な課題があったのですが、その解決策を提案し実現したのは中村さんの周りにいる若いエンジニア達でした。彼らが「こんなアイディアを試してみたい」というと、中村さんはきまって「そんなもん無理に決まっとる、アホか!」とケチョンケチョンに言い返したそうです。それでも実際にやってみると著しい効果があった。そういう結果を中村さんがデータだけ取って逐一論文にし、特許にし、すべて自分の成果にしてしまったんだ、と。これらの進歩はまだ青色LEDが実現する前の話で、プロジェクト自体がうまくいくかなんて全くわからないフェーズでの出来事です。そんな中、みんな必死になって策を練り、頭をフル回転させて一つ一つ突破口を開いていった。そういう状況があるのに、全て自分がやったという主張は受け入れられない、という気持ちの人が多いようです。

もっとも、彼らも中村さんの成果を否定しているわけではありませんでした。中村修二なくして青色LEDなし、赤崎先生のグループ以外で誰よりも先駆けて良質な結晶を作れることを証明した実績は否定のしようがありません。また、その後の研究グループを率いたのも彼でした。中村さんは学会などで忙しく研究現場は不在にしがちだったため現場の人間が勝手に動いていた側面があるようですが、それでもチームのメンバーは良い成果があると「これは中村さんに報告しないと!」と喜びを分ち合おうとした、という話をきいたことがあります。変わり者で困った上司だけど、やっぱり大切な隣人であるという風には捉えられていたようです。

このように、裁判での主張を巡って中村さんと元同僚とあいだで多少の軋轢はあるようですが、そんなに関係が劣悪なようには見えません。でも、中村さんは日亜に対しては「怒り」を感じていると言っています。一体、彼は誰に怒っているのでしょうか?

ここからは私の推測も多く混じっていますが、彼が怒っているのは元同僚ではなく、日亜の経営陣に対してでしょう。

そもそも中村さんに青色LEDの研究を許可し、億単位の研究費を提供したのは先代の会長(故人)でした。当時の日亜は従業員200人程度の中小企業ですから、安い出費ではなかったはずです。ましてや誰も成功するとは思っていなかった青色LEDの開発でしたから、先代は、もうお金は返ってこないかもしれない、けどわずかな可能性に賭けてみよう・・・というつもりだったでしょう。そういう事情ですから、中村さんも先代には感謝しているのではないでしょうか。
しかし、青色LEDが軌道に乗り始めたときには先代は引退し、別の人が経営についていました。新しい経営陣はLEDを事業化するのに全力を傾けます。その結果、中村さんに対しては販売戦略会議に出て意見を言ってくれ、いついつまでに商品化を成功させてくれ、などと研究とは無関係な業務を依頼するようになりました。商品化チームというのは常識人の集まりですから、きっと中村さんの浮世離れした行動は呆れたものに見えたに違いありません。勢い、バカにしたような態度も取ってしまった可能性があるかと思います。
しかし、これが根っからの自由人、反骨精神の塊である中村さんに受け入れられるわけがなかったのです。私が歯を食いしばって立ち上げたLED研究なのに、少しうまく行ったらあとから乗っかかった連中が食い物にしようとしている、許せない・・・・と思ったとしても不思議ではありません。

そんなこんなで現経営陣と中村さんの軋轢は頂点に達し、退職、訴訟へと発展した・・・・というのがことのあらましかと私は思っています。

訴訟の中で、発明の報酬は2万円しかもらえなかった、という中村さんの主張があります。これはある意味本当で、嘘とも言える主張でしょう。日亜に限らず企業には発明報酬と言って特許出願時にその発明の良し悪しにかかわらず1〜5万円程度の定額の報奨を支払う制度があり、「2万円」はそのことを言っているのです。しかし、その後の特許の活用度を見て発明人の給料を上げたり、事業化の後に利益の一部を支払うなどして発明の対価を支払うのが一般的です。実際に日亜は給料を上げました。中村さんの年収は大きな企業の役員に匹敵しうるレベルだったという噂も聞きます。また、仕事も多少の制約はあったにせよ大きな裁量を与えており、中村さんは学会発表のために会社を離れて世界を飛び回り、論文を多数書いて多くの対外的な成果をこの時期に積み上げています。まさしく自由そのもので、日本の研究者は奴隷のようという中村さんの主張は、日本のサラリーマンには受け入れがたいのではないか、と思います。海外の大学に在籍する研究者に比べると制約が多いなどいろいろあるのかもしれませんが、少なくとも日本の企業として後ろ指を差されるレベルの待遇ではなかったのではないでしょうか。

以上、簡単にまとめると、

  1. 青色LEDの実現については、貢献は非常に大きく間違いなく筆頭だが、重要なアイディアの全てを発案したわけではない。
  2. 中村さんは発明の対価として2万円以外に豊富な給与と自由な待遇を手に入れていた。
  3. 社員は中村さんをそんなに嫌っていないが、全て自分の発明だったという主張については良く思っていない。
  4. 中村さんは今の経営陣は好きではなく、いろいろ軋轢があった。


もちろん私が見聞きしたことが全てではなく、勘違いしている部分もあるかもしれません。しかし、中村さん一人が正義を背負い日亜化学という悪と戦った、という紋切り型のストーリーで語るには事実は少々複雑だと私は捉えています。中村さんの成果が素晴らしいのは大前提ですが、ただ、みんなもう少し日亜の言い分も聞いてあげても良いのかな、と私は思います。

最後に、日亜化学は技術者・研究者にとって悪者なのか?という疑問にお応えしたいと思います。実際に日亜に勤務した私の経験からすると、少なくとも研究部門に関してはそんなことは全くありません。むしろその逆です。テーマは自分で自由に選べるし、やり方も自由。やりたい!と言ったことに対して予算がでないことはほぼ無いし、一度始めたテーマを経営者の判断で理不尽に止められる、ということもめったにありません。無駄な会議もないし、資料や書類も細かいことは言われない。まさしく技術者天国と言った格好で、研究に没頭できる環境が整っています。技術を極めるという意味では非常に素晴らしい職場に違いありません。よく、LEDのまぐれあたりに支えられている会社と揶揄されますが、LED以外も世界シェアトップの製品を多く抱えこの業界では研究開発力には定評が有ります。
ただ、元社員として強いて不満を言うとすれば、ちょっと給料が安いかな〜という気はしています。世界レベルのとっても良い仕事をしているエンジニア達がたくさん居ますので、もうちょっと待遇を良くしてもいいのでは(儲かっているわけだし)。あと、食堂のご飯があまり美味しくない。仕出し弁当の販売ではなくて厨房でちゃんと調理されたホカホカのご飯が食べられれば、もっと働きやすい良い会社になるかな〜と思います。それ以外は、本当にいい会社だと思います。

改めまして、今回のノーベル賞受賞は本当に素晴らしいことで、同じ分野で働かせて頂いているものとして、心より祝福申し上げます。博士達の足元にも及びませんが、私も企業の一研究者として、世の中のために役に立つような成果をあげられるように、精進してまいりたいと思います。


私の意見を以下箇条書きにする。

  1. 安倍政権の進める「特許は会社のもの」にする特許法改正は、技術者の海外への流出を招くだけであり、断固反対。
  2. しかし、中村修二氏と日亜化学の訴訟において、2004年に東京地裁が認定した「対価604億円」はどう考えても過大。和解の「8億4千万円」*1程度が妥当な金額であると考える。
  3. 日亜化学は技術者であったオーナー社長・小川信雄が興した会社で、青色LEDの開発に当たって、中村氏に自由に研究させたのも、このオーナー社長の裁量あってのことで、サラリーマン社長が重役との合議で決める多くの一部上場企業ではそうはいかなかっただろう。つまり、中村氏は当初、非常に恵まれた環境にいたといえる。
  4. 日亜化学の二代目社長・小川英治は、小川信雄の婿養子でやはり技術者上がりだが、この男と中村氏との折り合いが悪かったことが、訴訟につながった。
  5. 私がやはり日亜化学の元社員から聞いた話によると、競合他社による日亜の特許侵害の有無を調べるために、巨額の費用をかけて分析機器を購入していたらしい。日亜が中村氏の技術で食ってきたことは疑いのない事実と思われる。
  6. 日亜化学の作業員の中には、農業と兼業している人も多い(多かった)という。地元に密着した企業であることは確かだろう。
  7. 日亜化学の労働者の給料は安い。しかし管理職社員の年収は高い。年2回のボーナスの他にも適宜一時金が出て、そのために管理職社員の年収が膨れ上がる。中村氏が日亜化学に勤めていた最後の年の年収は1900万円あまりだった。これについては、中村氏の業績を鑑みるに、中村氏の年収が十分高かったとは決して思わないが。ただ、非管理職の従業員の待遇が決して良いとはいえなかったことは指摘しておかなければならない。日亜化学では、2006年に偽装請負も発覚した。
  8. 中村氏が最初のブレークスルーに至るまでは、ほぼ「一人でやった」と言って良い仕事だった。その後、中村氏に部下が多数ついたあとには、技術の改良に中村氏の部下たちが寄与した貢献が大きかったというのは当たり前の話である。
  9. 山崎行太郎とかいう「小沢信者」兼「小保方信者」の馬鹿者は、「青色LEDの真の発明者は他にいる」などとほざいているが、今回の中村氏のノーベル物理学賞受賞に意義があったと私が思うのは、それが製造技術の開発に対して与えられたものであることだ。基礎研究だけが偉くて応用研究は卑しいと言わんばかりの山崎行太郎の妄言に代表される世の偏見こそ粉砕されるべきであろう。


以上、書きたいことは一通り書いた。このうち、日亜化学の創業者一族のドロドロは、かつてのフジサンケイグループ鹿内一族も顔負けのおどろおどろしいものだったようだ。日亜化学の創業者の息子・小川雅照氏が下記の本を出していることをネット検索で知った。


父一代の日亜化学―青色発光ダイオード開発者中村修二を追い出したのは誰だ!

父一代の日亜化学―青色発光ダイオード開発者中村修二を追い出したのは誰だ!


この本の存在は今日初めて知った。当然ながら絶版と思われる。アマゾンのカスタマーレビューも2件しかついておらず、星3つと星1つである。しかもいずれも古い。以下引用する。

★★★ ノーベル賞候補のチャンスを捨ててまで中村修二氏が裁判に臨んだ理由がこれだ!ノーベル賞候補のチャンスを捨ててまで中村修二氏が裁判に臨んだ理由がこれだ!, 2005/5/31
投稿者 vivekatrek
レビュー対象商品: 父一代の日亜化学青色発光ダイオード開発者中村修二を追い出したのは誰だ! (単行本)

本書を手にしたのは偶然であった。というのは、それ以降、書店では見かけないからである。20世紀では実現不可能と言われた青色発光ダイオード開発に成功した中村修二氏が、受賞間違いないといわれたノーベル賞候補のチャンスを捨ててまで、裁判に臨んだのはなぜか?

日亜化学の創業者が亡くなる前年に日亜社内報で、「中村修二君の功績を讃えて」と絶賛している。しかし、現在の日亜化学にそのような気配がないのはなぜか?

偶然にも、私の職場の部下が中村修二氏の親しい友人であり、青色発光ダイオードの開発で悩んだ時の相談にも乗ったという。その部下でさえ、“中村修二氏が裁判にのめり込む理由が分からない”と私に言った。“裁判を止めるように忠告もした”と言う。それを無視する理由はなぜか?

中村修二氏の著書を読んでも、合点は行かなかった。

本書はその代弁でもある。本書の前身は、『謀叛の顛末』という私家版だそうだ。私家版のタイトルこそ、本書の内容に相応しい。なぜなら、誤解と狂気がもたらしたに違いないおどろおどろした因果応報物語の世界が披露されているからである。創業者の怨みが著者の言葉を借りて語りかけて来るようで、読み進むのがつらくなった。

中村修二氏が裁判にあれほどこだわったのは、大石内蔵助良雄のように、今は亡き創業者の怨みを晴らす弔い合戦だったに違いない。

★ 買わなくてよかった, 2006/8/30
投稿者 一般庶民 "一般人"
レビュー対象商品: 父一代の日亜化学青色発光ダイオード開発者中村修二を追い出したのは誰だ! (単行本)

日亜化学は私の生まれ育った町の企業なのですが、知っている事がほとんどないので興味本位で借りて読んでみました。でも・・・正直内容がよく分からなかった。起業者の小川家の暴露本って感じだけど、全体的に何か人間の醜い一面を強調して書かれていて、自分とは無関係なんだけど、とても嫌な気分になる内容であることに間違いないと言えます。読んで行くうちに、中村修二氏は現社長の嫉妬による心無い苛めに耐え続けながら一人で研究開発を進めて、やっと発明に至ったとたんに現社長に横取りともいえる行動に出られた!という事が分かったし、遺産相続の問題も、信じ難い内容が記されていたのがショックだった。ただ、気にかかるのが、著者の文章がかなり感情的だったという事です。随所にどう見ても客観的とは言えないな表現が見受けられ、それにより読み手は全体的な内容に対しても疑問が湧いてきてしまうのです。例えば(コレは本とは関係ない例話法ですが)同じ【友達に突き飛ばされて転んだ】と【長年信頼していた友達に、おそらく殺意を持って突き飛ばされ、道端に転んだ。私は殺されそうな不安と恐怖に駆られた】の二つでは同じ現象でも被害者の心理次第で事の度合いが変わってしまいます。小説ならまだしも、それがフィクションの場合、相手が殺意を持って突き飛ばしたかどうかなんて本当のところは証明しようがないですよね。著者はもちろん『嘘』などは書いていないと思うけど、表現のしかたが後者に近いような気がしてしまいました・・。結論として、これはただの暴露本であり、読む側は特に学ぶような内容は無いでしょう。「学ぶ」どころか実はマイナスで、とても嫌な気分になった読書でした。


産経の鹿内信隆・春雄親子を批判しつつ興味深いノンフィクションを書いた佐野眞一あたりに書いてもらいたいような話だが、あいにく佐野氏は例の『ハシシタ』の件以来鳴りを潜めている。私は佐野氏が『ハシシタ』騒動の少し前に書いた『あんぽん』が文庫化(小学館文庫)されたので今読んでいるが、佐野氏はソフトバンク会長・孫正義の父親の兄弟姉妹の間で繰り広げられた暗闘に言及している。



日亜化学に話を戻せば、カリスマ経営者とスター技術者があっての「青色LEDの製造技術の開発」ではあったが、そこからカリスマ経営者が抜けたあと、カリスマ経営者に厚遇されていたスター技術者に対する現二代目社長以下重役陣のスター技術者に対するやっかみが、スター技術者を激怒させたという図式だろう。構図としてはありがちな話と思われる。

*1:引用記事中に「6億円」とあるが、これは「8億4千万円」の誤り。ノビー(池田信夫)なども「6億円」と誤記しているようだ。