kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

ヤン・ヘンドリック・シェーンも小保方晴子も同じだった/村松秀『論文捏造』(中公新書ラクレ)を読む

最初に書くが、この本は是非とも多くの人々に読まれるべきだ。


論文捏造 (中公新書ラクレ)

論文捏造 (中公新書ラクレ)


読むのに心理的ハードルが高そうなタイトルがついているが、この本を読むのに科学に関する専門知識は全く必要ない。著者は東大工学部電気工学科を卒業したNHKのプロデューサーであり、小保方晴子より約10年先立ってヤン・ヘンドリック・シェーンが行った研究不正(捏造)及びその背景をきわめて読みやすく伝えている。本の初めの方に書かれている「有機物」の定義に疑問がある*1以外は、(私自身も門外漢ではあるけれども)明らかにおかしいと素人にもわかる記述は見出されなかった。

何よりこの本は非常に面白く、読み始めたら止まらない。もっと早く読んでおけば良かった。そう思った。何しろ、この本に出てくる「ヤン・ヘンドリック・シェーン」を「小保方晴子」に、「バートラム・バトログ」を「笹井芳樹」に、そして「ベル研究所」を「理化学研究所CDB」に置き換えれば、そのまま日本で今話題沸騰のあの事件に当てはまるのだ。その類似点はあまりにも多く、「歴史は繰り返す」という言葉を思い出さずにはいられなかった。但し、カール・マルクスが言ったという「最初は悲劇として、二度目は笑劇として」は当てはまらない。

最初に理研CDBの、というより小保方晴子の大々的な成果とされた「STAP細胞」の捏造説が流れた時、私はそれをにわかに信じられず、まさか佐村河内守と同じということはあるまいと思った。それについて、これまで何度か言い訳(苦笑)を書いてきたが、私自身が「理研理化学研究所)」の権威に「名前負け」していたとは書かなかった。告白するが、私には「まさか理研に属する研究者が、作曲家風情と同じなどということはあるまい」という差別意識が間違いなくあったのだ。それを今まで書かずにきたのは、自らの誤りを認めたくないというつまらないプライドによるものだった。そのような思い込みは、その後流れてくる情報によって粉々に打ち砕かれた。特に決定的だったのは、科学者らしさ、研究者らしさをかけらも感じさせなかった、4月9日の小保方晴子自身の記者会見だった。

しかし、理研小保方晴子への幻想が打ち破られてもなお、他の科学的な権威に対する私の信奉までは打ち破られなかった。それが証拠に、ネットで高温超伝導に関するヤン・ヘンドリック・シェーンの捏造事件を想起させられた時、私自身が下記のようなタイトルの記事を書いた。


つまり私は、同じ「研究不正」を行ったにしても、ヤン・ヘンドリック・シェーンとは小保方晴子よりもずっと「大物」、すなわちずっと頭の良い「悪党」だったのだろうと想像していた。「理研」より「ベル研究所」を上に見てしまっていたのだった。

村松秀の『論文捏造』を読んで、そんな私の思い込みは完膚なきまでに粉砕された。

私自身が書いた記事のタイトルに反して、ヤン・ヘンドリック・シェーンは小保方晴子と何ら変わらない「捏造」の実行犯に過ぎなかった。バトログも笹井芳樹と同じだった。ベル研究所理研CDBと何ら変わりなく、シェーンが博士号をとったドイツのコンスタンツ大学も、小保方晴子が博士号をとった早稲田大学と五十歩百歩の対応をしていた。

シェーンは、導電性を有するフラーレン有機物(アントラセン誘導体など)の上に、酸化アルミニウム(アルミナ)の非常に薄い膜をスパッタと呼ばれる方法で堆積させ、高温超伝導を発現させたと主張し、数々の論文を書き、特許も出願していた。導電性の有機化合物は昔から知られており、アルミナといえばもっともありふれたセラミック材料だ。さらに、こうした「薄い膜を載せる」手法は、電界効果トランジスタ(FET)と同じである。FETではシリコンなどの無機物の上に金属酸化物の薄い膜を形成する。その手法を有機物に応用して、高温超伝導を発現させるというシェーンの発想は斬新で、著者によると「誰の頭の中にも浮かばなかった」(49頁)という。当時京大教授だった石黒武彦も、一瞬だけこのアイデアを思いついたが、この方法では超伝導は起こり得ないと結論づけた。石黒はシェーンの研究を知った当時、「コロンブスの卵」と評した(50頁)。

何かを思い出さないか。そう「STAP細胞」である。嘘だと思うなら、「STAP コロンブスの卵」を検索語にしてネット検索をかけていただきたい。小保方晴子が「発見」したという「STAP細胞」を「コロンブスの卵」だと激賞した科学者がいた。それはほかならぬ笹井芳樹であった*2。自作自演であったところが何ともイタく、これについては、やはり歴史は「二度目には笑劇として」繰り返されるのかと思ってしまった。

シェーンの「研究」に関しては、実際にはアルミナの反応性が非常に高いため、超伝導を発現することが可能な薄膜を有機物上に作ることは誰にもできなかった。だが、ベル研の信用は絶大であり、ベル研のスパッタ装置にシェーンの成功の秘訣があるのではないかと推測された。のち、シェーンが有機物上にアルミナの薄膜を「作った」装置はベル研ではなく、シェーンの母校であるドイツのコンスタンツ大学・ブーファー研究所のスパッタ装置であったらしいとわかると、ブーファー研のスパッタ装置は「マジックマシン」と呼ばれ、果たしてどんなにすごい装置なのかと研究者たちの憶測は膨らんでいった。

しかし事実は、ブーファー研のスパッタ装置はごくありふれたものに過ぎず、シェーンは実験に成功などしていなかった。それどころか、シェーンは作製した薄膜を実体顕微鏡で観察するスキルさえ持たず、できた膜が実際には厚いものであることを示す込み入った干渉縞が自ら作製したサンプルに見られる、つまり、シェーンが実験に失敗していることを示す「動かぬ証拠」がそこにあることにも気づかない(それをベル研の同僚に気づかれた)ほど無能な「研究者」だったのだ。

さらに、シェーンは実験ノートをほとんど残していなかった。このことも、若山照彦の研究室で「キメラマウスの作製に成功した」日の実験記録を小保方晴子が残していなかったことや、小保方が「陽性かくにん! よかった」と書いた実験ノートを、さも「STAP細胞作製成功の証拠」と言わんばかりに得々と提出したことを思い起こさせる。シェーンと小保方はこれほどまでにも酷似しているのだ。

シェーンは小保方晴子同様、大学院生時代から研究不正を行っていたことを本書は明らかにしている。そして、シェーンは小保方とは違って博士号を剥奪されている。しかしこれは、別に何もコンスタンツ大学が早稲田大学と違って道理をわきまえていたからでもなんでもない。事実は、小保方の博士論文に数々の不正があったことを認定しながら小保方の博士号を温存した早大とは、ある意味で対照的ではありながら、質の低さでは両者はいい勝負であった。コンスタンツ大学の調査委員会は、シェーンの大学院生時代の論文を精査し、グラフと測定データとの不一致、実験記録の不備(生データが残されていなかった)、グラフの曲線の書き換えの3点について疑念があるとしながら、データの改竄の程度は軽微だとして「問題なし」と結論づけた。しかし後日、ベル研におけるシェーンの捏造が大きな問題になるや、突如シェーンの博士号を剥奪したのだった。コンスタンツ大学が「世間体」を気にしたものでもあろうか。

早大の場合は、小保方晴子の論文の不正を認定しながら、小保方の博士号は維持した。早大が小保方の不正を認定したことからどうして博士号維持の結論が出るのか、私には理解不能だったが、コンスタンツ大の場合は、論文の不備は軽微で問題はなかったとしながら、シェーンの博士号を剥奪した。つまり、早大とは逆の形ではあるが、研究不正の認定結果と博士号剥奪/維持の判断が整合していない点では早大もコンスタンツ大も同じだったのである。

コンスタンツ大の調査委員会の認定が当初甘かったのは、シェーンの指導教官であり、ベル研の研究員も兼ねる同大学の看板教授・ブーファー教授に傷をつけまいとしたもののようだ。一方、早大の場合は、小保方の修士課程における研究は、早大ではなく東京女子医大で行われた上、小保方は博士課程時代にも長くハーバード大で研究していた。だから、小保方の博士論文における個々の欠陥を、コンスタンツ大のような躊躇をすることなく指摘できたのかもしれない。しかし、小保方の博士号の維持は、誰が考えても不正の認定とは整合しない。

コンスタンツ大の場合は、ヤン・ヘンドリック・シェーンの実験科学者としての能力は、上述のようにお粗末なものだったが、そんなシェーンがベル研に入れたのは、ブーファーの推薦によるものだった。つまり、たまたまブーファーがコンスタンツ大教授とベル研の研究員を兼務していたからの経緯であり、ベル研としてもさほど期待してシェーンを迎え入れたものではなかったようだ。だからこそブーファーの責任は重いはずである。だがコンスタンツ大は、ベル研の研究員を兼務する自らの大学の看板教授を守るために、「博士課程におけるシェーンの不正は些細なものだったが、ベル研で科学界を騒がせた研究不正を起こしたからシェーンの博士号を剥奪する」という、これまた論理的に整合しない処分を下した。

両者の理不尽さはどっこいどっこいだが、結果的に早大の方がより罪が重かったとはいえよう。小保方が博士号を剥奪されるべきだったのは当然だが、シェーンの場合は、博士号剥奪自体は結果的に正当であったにせよ、それはコンスタンツ大学における研究不正を理由にするものでなければならなかった。同時にコンスタンツ大はブーファーの責任も問うて処分を下さなければならなかったはずだ。

シェーンがベル研に入って研究不正を犯し続けた時の上司(ベル研の固体物理学部門の責任者)であったバートラム・バトログの行動も理解を超えている。ちょうど笹井芳樹と同様、バトログはシェーンの論文の共同著者となり、シェーンが「作製した」と称するサンプルが「高温超伝導」を発現している実験事実を目の当たりにしたことがないにも関わらず、シェーンの実験が正しいと「信じていた」ことは、およそありそうにないことのように思える。私は、実験科学者というものは、実験結果を何よりも大事にしているはずだと信じていたので、バトログがそれを確かめようともしなかったことには信じられない思いがした。しかし現実には、バトログは自ら積極的にシェーンの成果をアピールして回っていたし、シェーンの実験の正当性が疑われるようになると、スイス連邦工科大学に移ったあと、研究室の学生をコンスタンツ大に差し向けて追試をしようとした。つまり、シェーンの不正を知りつつそれに加担していたとはいえないようなのだ。

この事実から推論されるのは、バトログは、自分にとって都合の悪い事実を見ようとせず、自分にとって都合の良いことを信じようとする、「思い込みの強い」人間だったのではないかということだ。世界的な大科学者にしてそうなのか。ふと、もしかしたら笹井芳樹もバトログ同様、自分にとって都合の良いこと、つまり「小保方晴子が『STAP細胞』の作製に成功した」という虚構を信じようとする「思い込みの強い」人間に過ぎなかったのではないかとの疑念も頭に浮かんだ。但し、シェーンと違って小保方は論文作成能力も「火星人」並みのお粗末さだったようだから、笹井芳樹の場合はどんなに穏やかな言い方をしても、少なくとも「小保方晴子の不正」にうすうす気づきつつ、研究不正に加担したと言わざるを得ないだろう。

バトログと笹井芳樹の目をくらませた共通の動機と思われるのはノーベル賞だ。笹井芳樹ES細胞の研究でノーベル賞候補に挙げられていたが、実際に獲得してはいなかった。過去のノーベル賞受賞者を思い出せば、若い頃の研究成果を理由に歳をとってからノーベル賞を受賞するケースが少なくないから、笹井芳樹ももしかしたら何もしなくとも歳をとってからノーベル賞を受賞する可能性があったのではないかと私は想像するのだが、それに「iPS細胞を上回る機能がある『STAP細胞』の研究を指導した」実績が加われば、ノーベル賞への道が近づくと思ったかも知れない。バトログもまた、セラミック材料の高温超伝導の研究で名声があったようだが、ノーベル賞受賞には至らなかった。「有機物にセラミック薄膜を載せた材料で画期的な高温超伝導を発現する」シェーンの研究を指導した実績が加われば、ノーベル賞への道が近づくと思ったのかもしれない。奇しくもシェーンの論文捏造が発覚した2002年、バトログは52歳だった。笹井芳樹の享年と同じである。

さらに、特許出願の審査請求期限などの「成果へのプレッシャー」、つまり成果主義の弊害がバトログとシェーンにのしかかった。このくだりを読んだ時には、ここまで「『STAP細胞』捏造事件」(というより、どこかのブログ主が主張するように、「小保方晴子捏造事件」と呼ぶべきかも知れない)と同じなのかと思った。それくらい、シェーン捏造事件と小保方捏造事件は構造がそっくりなのだ。もっとも、本書にはもともと再現性のかくにん、もとい確認が難しい生物系の研究においては研究不正は後を絶たなかったのだが、まさか物理学でも同じことが起きるとは思われていなかったと何度も書かれている。その意味では、小保方捏造事件とは科学界でごくありふれた出来事だったのかも知れない(こう書くとまた本職の科学者に怒られそうだが)。

ただ、バトログと笹井芳樹には大きな違いがあった。バトログは、「シェーンの実験を追試しようとした」ことなどを理由に、自らはシェーンの実験を信じていた、捏造はシェーンの単独犯だったなどとして、最後にはすべての罪をシェーンに押しつけてスイス連邦工科大に逃げ延びた。その後の経歴は知らないが、1950年生まれのバトログは今年でもまだ64歳だから、おそらくまだ現役の科学者なのだろう。それに対して、笹井芳樹もその気になれば研究捏造の責任をすべて小保方晴子に押しつけて逃げることだってできたのではないかと思うのだが、現実には、小保方に宛てた「遺書」に、「あなたのせいではない」と書き残して自らの命を絶った。つまり、論文捏造に関わった過程において、バトログと笹井芳樹は「瓜二つ」といえるくらいそっくりだったにもかかわらず、最終的な選択は両極端ともいえるものだった。ここにおいて、マルクスの予言は完全に外れた。つまり、確かに歴史は繰り返したが、かつての笑劇が悲劇として再現されたのだった。

普通に考えれば、バトログは科学界から身を引く、笹井芳樹理研を辞めてたとえば渡米するなどして再起を目指すという選択が妥当だったと思われる。ここで笹井芳樹に対してバトログよりも甘いことを書くのは、亡くなった笹井氏への同情ももちろんあるが、研究不正にかかわった期間やかかわり方に関して、バトログと比較すると笹井芳樹の方がまだ罪は軽かったと思われるからだ。「STAP細胞」の最初の論文や米国特許の仮出願には笹井芳樹の名前はなかった。つまりその頃までは笹井芳樹は「STAP細胞」にはかかわっていなかった。おそらく竹市雅俊の業務命令によって、笹井芳樹若山照彦小保方晴子が成果を出し切れずに苦しんでいた「STAP細胞」の研究をテコ入れすべく、彼らを指導するようになったと思われる。そして不幸なことに笹井芳樹には才能がありすぎた。笹井芳樹は、あたら自らの才能を悪事、すなわち小保方の捏造に手を貸すことに使ってしまった。私はその時点で笹井氏は小保方晴子と「共同正犯」になったと考えてきた。前述のように、笹井氏の罪をいささか重く見積もりすぎたかもしれないと今では思わなくもないが、少なくとも「共同正犯」と言われてもおかしくないくらい責任ある立場に笹井芳樹はいた。同じことがバトログに対してもいえるはずだ。

バトログも笹井芳樹も、専門分野に関する抜群の才能はあるにせよ、基本的にはわれわれ一般人と何ら変わりない人間であって、他の研究者の成果に嫉妬し、名誉欲のために目の前にある事実も見えなくなる弱い人間であったとはいえるように思う。彼らとてもともとは実験結果を何よりも大切にする研究者だったはずであり、そうでなければ研究成果など挙げられるはずもあるまい。おそらく、私欲が彼らを変えてしまったのであろう。

さらには、新自由主義イデオロギーに由来する「成果主義」によって科学界が「病んでいる」事実も、もっともっと議論されなければならないだろう。私は科学者ではないが、産業界の技術系の人間として「大学発ベンチャービジネス」にかかわり、大学教授が研究資金を企業から引っ張ってくるために、「研究成果」を針小棒大にプレゼンする現場に居合わせた経験がある。その研究は実際には成果を何ら挙げられなかったにもかかわらず、「もう少しで事業化できる」と言わんばかりに大学教授が繰り広げるプレゼンテーションを冷ややかに見ていたものである。おそらく、世の「大学発ベンチャー」の大半は似たようなものであろう。それが研究というものであって、最初から成果が出るとわかっていれば、それは科学者の研究の対象ではなく、企業の開発の対象になるはずだからである。それにもかかわらず、今の政治や社会は科学者に「成果」を求める。その結果、シェーンや黄禹錫小保方晴子らの研究不正が生み出された。新自由主義は、技術とは相性が良くとも、科学者の研究との相性は最悪だといえる。

最後にもう一度書く。NHKプロデューサーの村松秀が2006年に書いた『論文捏造』(中公新書ラクレ)を、是非読んでほしい。

*1:著者は「有機物」の定義を「炭素の化合物のことをいう」と書いているが(35頁)、これは誤りであり、たとえば二酸化炭素や炭酸カルシウムは無機物である。また、カーボンナノチューブフラーレンなどの炭素単体からなる材料を「有機物」の例に挙げているが(35頁)、これらは炭素の「化合物」ですらなく、通常は「無機物」に分類される。

*2:http://article.wn.com/view/WNATcab864435817f987acae00b66455e098