kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

STAP論文:12年サイエンス審査時 ES細胞混入指摘(毎日)

今となってはさもありなん、というニュースだが、毎日新聞のスクープらしい。
http://mainichi.jp/select/news/20140705k0000m040124000c.html

STAP論文:12年サイエンス審査時 ES細胞混入指摘

 STAP細胞の論文不正問題で、小保方(おぼかた)晴子・理化学研究所研究ユニットリーダー(当時は客員研究員)らが、2012年7月にほぼ同じ内容の論文を米科学誌サイエンスに投稿した際、審査した査読者からES細胞(胚性幹細胞)が混入した可能性を指摘されていたことが、毎日新聞が入手した資料で明らかになった。今年1月に英科学誌ネイチャーに掲載された論文(今月3日号で撤回)では、公開されたデータの解析などからES細胞の混入が疑われている。サイエンスは、査読者の研究の信頼性を疑う複数の意見を反映する形で論文掲載を見送った。

 サイエンスの同じ査読者は、遺伝子解析の画像に切り張りがあることも指摘し、改善を求めていた。この画像は不正論文にもそのまま掲載され、理研調査委員会が改ざんと認定した。

 ES細胞混入の可能性は、論文を掲載したネイチャーの査読者も指摘。STAP細胞への疑惑が深まる中、重要な指摘を軽視し続けた著者らの姿勢が、改めて問われそうだ。

 科学誌は、投稿された論文を複数の外部専門家に読んでもらい、意見を参考に掲載の可否を決める。査読者の氏名は明かされないが、コメントは掲載しない場合も著者側に送られる。

 小保方氏らは今回の成果と同じ趣旨の論文を、▽2012年4月にネイチャー▽同年6月に米科学誌セル▽同年7月にサイエンス−−と、「3大誌」と呼ばれる有名科学誌に投稿したが、いずれも掲載されなかった。毎日新聞は、小保方氏らが最初にネイチャーに投稿して以降の関連資料を入手。論文の趣旨は、いずれもほぼ同じだった。

 資料によると、査読者たちは、「新たな万能細胞」の存在自体への疑問や、データの不十分さへ多くの指摘をしていた。小保方氏らは、緑色に光る細胞の画像を万能性に関する遺伝子が働いた証拠として掲載していたが、サイエンスの査読者からは「死にかけた細胞が光る現象ではないか」などと疑う意見が出された。同様の疑義は、掲載されたネイチャーの査読者のほか、論文発表後も多数の専門家が指摘している。

 掲載されたネイチャーには13年3月に投稿。この論文から理研発生・再生科学総合研究センターの笹井芳樹・副センター長が執筆に参加した。笹井氏はネイチャーなど有名誌に何度も論文が掲載された経験を持ち、論文を大幅に改良したとされる。この論文にも当初は多くの問題点を指摘されていたが、編集者からは「この研究に非常に強い関心を持っている」とのコメントが寄せられていた。【八田浩輔、須田桃子】

毎日新聞 2014年07月05日 02時30分(最終更新 07月05日 08時04分)

 記事にクレジットされている須田桃子記者は、小保方晴子を信奉する信者(「小沢信者」でもある)のブログに顔写真を張られて中傷の記事を書かれているほどの人だから、間違いなく理研内部に毎日新聞への情報提供者がいるのだろう。他に日経サイエンスへの情報の流れがあると言われており、だからこの研究不正の報道は毎日と日経が他紙を大きく引き離してリードしている。

 記事についたはてなブックマークを見ると、サイエンスの査読者はえらくてネイチャーの査読者はダメだとか言っている人もいるようだが、それは問題の本質ではなく、下記のブクマコメント

ERnanchan サイエンス紙とネイチャー紙の査読力には大差ないとの前提で考えると、笹井氏の論文作成能力が半端なく凄いんだなってことも言えそうだが、ネイチャー紙が、その名前のために甘い判断になったとも言えそう。 2014/07/05

が指摘しているように、笹井芳樹に名前負けしたネイチャーの査読者が、再投稿の論文を通してしまったことに、問題の核心があるといえるだろう。別の言い方をすれば、今回の研究不正に笹井芳樹が果たした役割は非常に大きかった。

 つまり、一部のブコメにあるような「マスコミのマッチポンプと小保方氏の特殊性が噛み合って起きただけの騒動」という認識はあまりにも甘く、笹井芳樹小保方晴子と「共同正犯」を構成するというのが私の見方である。だから私は、小保方晴子のみならず笹井芳樹も懲戒免職が相当であると主張している。いくら笹井芳樹が大科学者だからといって、それは笹井芳樹が研究不正に手を染めないことを保証するものではない。

 この「研究不正(捏造)事件」は、博士号を受けるに値しない「研究者失格」の評価が既に確定している小保方晴子一人に全責任を負わせて終わらせられる程度の軽い問題ではないのである。