kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「残業代ゼロ」と「成果主義」と「STAP細胞の『捏造』」問題と

http://www.asahi.com/articles/ASG4P5142G4PULFA00Y.html

「残業代ゼロ」一般社員も 産業競争力会議が提言へ


 政府の産業競争力会議(議長・安倍晋三首相)は、労働時間にかかわらず賃金が一定になる働き方を一般社員に広げることを検討する。仕事の成果などで賃金が決まる一方、法律で定める労働時間より働いても「残業代ゼロ」になったり、長時間労働の温床になったりするおそれがある。

 民間議員の長谷川閑史(やすちか)・経済同友会代表幹事らがまとめ、22日夕に開かれる経済財政諮問会議との合同会議に提言する方向で調整している。6月に改訂する安倍政権の成長戦略に盛り込むことを検討する。

 労働基準法では1日の労働時間を原則8時間として、残業や休日・深夜の労働には企業が割増賃金を払うことを義務づけている。一方、企業には人件費を抑えたり、もっと効率的な働かせ方を取り入れたりしたいという要求がある。

 いまは部長級などの上級管理職や研究者などの一部専門職に限って、企業が労働時間にかかわらず賃金を一定にして残業代を払わないことが認められている。今回の提言では、この「残業代ゼロ」の対象を広げるよう求める。

 対象として、年収が1千万円以上など高収入の社員のほか、高収入でなくても労働組合との合意で認められた社員を検討する。いずれも社員本人の同意を前提にするという。また、当初は従業員の過半数が入る労組がある企業に限り、新入社員などは対象から外す。

朝日新聞デジタル 2014年4月22日08時01分)

第1次安倍内閣時代を覚えておられる方なら既にお気づきと思うが、これは2006年末に、当時も総理大臣だった安倍晋三がブチ上げたものの、世論の反発を受けて翌2007年早々に撤回に追い込まれた「ホワイトカラー・エグゼンプション」の再来である。

と言っても、私はそれよりはるか以前、宮澤喜一内閣時代の1993年に、既にこの手の制度の下で働いた経験がある。それは「裁量労働制」という制度だったが、今回の制度の正式名称にも「裁量労働制」の名がついているという。といっても、当時(今もだが)、私の年収が1千万円以上あったわけではない。

当時、この制度は、従来通りの残業時間に比例した時間外労働手当を受け取る制度にとどまることを選択しても構わないし、裁量労働制を選択しても構わないという両方のオプションがあった。記事によると、「社員本人の同意を前提にするという」というから、その点でも21年前と変わっていない。当時私が勤務していた会社では、裁量労働制を選択すると、月々十数時間の残業手当に相当する手当が支給され、成果を上げた社員はそれだけの残業をしなくとも、その手当が得られると使用者側(及び御用労組)はアピールしていたが、その反面、どんなに長時間残業しても同じ金額の手当しか受け取れなかったのであった。今回、安倍政権が適用される職種の範囲を広げようとしているのは、まさしくこの制度である。

実際には、大多数の社員は会社に裁量労働制を選択することによって受け取れる手当に相当する残業時間よりはるかに長い時間の残業をしていたのだが、大多数の社員は会社におもねってか、裁量労働制を選択した。白状するが、私もその一人であった。その結果、私を含む大多数の社員の年収は大幅に下がったのだった。

思い出話はともかく、この制度は、もはや手垢がついたというか、前世紀の遺物というか、もう10年以上前、いや15年以上前のそれこそ「前世紀」からその弊害が指摘されて続けてきた「成果主義」という名の新自由主義経営思想の産物である。

そして、その思想が誤りであることを証明しているのが、理研小保方晴子笹井芳樹の「STAP細胞『捏造』」騒動である。なぜなら、「金になる研究に国家の科学技術予算を傾斜配分してやる(=その裏返しとして、金になる研究成果が挙げられなかったらいつでも研究テーマを打ち切って、職員(研究者)の首を切ってやる)」という政策は、究極の「成果主義」といえるからだ。この思想こそ小保方晴子笹井芳樹による「捏造」を生み出した元凶である。

成果主義」の「成果」とは、言うまでもなく「カネモーケ」のこと。新自由主義の思想が支配する世界においては、一銭でも多く「カネモーケ」ができる人間こそ偉大なのだ。この思想こそ、笹井芳樹ともあろう「大科学者」をして、小保方晴子を「広告塔」に仕立て上げ、その(虚偽の)成果を大々的にアピールするという信じられない愚挙をなさしめたものにほかならない。