kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

拉致調査、日朝が合意 日本側、開始後に制裁解除(朝日)

少し前から、安倍晋三はいずれ必ず「北朝鮮カード」を切ってくるに違いないとにらんでいたが、それが現実になった。

http://www.asahi.com/articles/ASG5Y62SKG5YUTFK015.html

拉致調査、日朝が合意 日本側、開始後に制裁解除

 安倍晋三首相は29日夜、日本人拉致被害者を再調査することで北朝鮮と合意したと発表した。北朝鮮は約3週間後に特別調査委員会を立ち上げ、拉致被害者と拉致された疑いのある特定失踪者の調査などを開始する。これを受け、日本政府も北朝鮮に対する独自の制裁措置の解除を始める。再調査の合意は金正恩(キムジョンウン)体制発足後では初めてとなる。

 安倍首相は首相官邸で「安倍政権にとり、拉致問題の全面解決は最重要課題の一つだ。全面解決へ向けて第一歩となることを期待している」と記者団に語った。

 日朝両政府は、26〜28日にスウェーデンストックホルムで日朝外務省局長級協議を実施。日本外務省の伊原純一アジア大洋州局長と北朝鮮宋日昊(ソンイルホ)朝日国交正常化交渉担当大使がそれぞれ本国に合意案を報告し、両政府が正式に合意した。

 菅義偉官房長官は29日夜、緊急記者会見を開き、日朝両政府による合意文書を公表した。文書によると、北朝鮮側は拉致被害者や拉致の可能性がある特定失踪者、戦後に現在の北朝鮮に残された日本人らすべての日本人に関する調査を包括的かつ全面的に実施し、最終的に、日本人に関する全ての問題を解決する意思を表明。日本側はこれに応じ、最終的に、現在日本が独自にとっている北朝鮮に対する制裁措置を解除する意思を表明した。

 また、北朝鮮側は特別の権限が付与された特別調査委員会を立ち上げることや、調査の過程で日本人生存者が発見された場合には、状況を日本側に伝え、帰国させる方向で協議すること、などの行動をとるという。

 一方、日本側は北朝鮮側が調査を開始する時点で、北朝鮮当局者の入国禁止など人的往来の規制、10万円超の現金持ち出しの届け出義務、人道目的の北朝鮮籍船の入港禁止といった制裁措置を解除することや、人道的見地から適切な時期に北朝鮮に対する人道支援の実施を検討することなどを受け入れた。

 菅長官は会見の中で、日朝局長級協議で拉致被害者の新たな安否情報があったかどうかを問われ、「そうしたことも交渉の中では行われていると思うが、具体的な内容については差し控えたい」と述べた。また、北朝鮮による調査開始と同時に制裁措置を解除するかどうかについては「見極め中だ」とした。

 拉致問題をめぐっては、日本政府は拉致被害者として17人を認定し、うち5人は2002年に帰国。横田めぐみさんら残る12人について北朝鮮は死亡、または入国していないと説明していた。

 北朝鮮朝鮮中央通信は29日午後6時半ごろに「朝日政府間会談の結果と関連する報道」を配信。日本側が発表した合意文書とほぼ同じ表現で伝えた。同日夜の段階で、それ以上の論評は伝えていない。(円満亮太)

朝日新聞デジタル 2014年5月30日00時24分)

現在、北朝鮮と中国との関係は冷え切っているとされる。その一方、中韓関係は過去見られなかったほどの蜜月ぶりである。これには、安倍晋三歴史修正主義的妄言の影響もあるだろうけれども、最大の要因は北朝鮮の対中関係だろうと思う。

例えば、昨年暮、金正恩に処刑された張成沢は「親中派」であったとされる。つまり、「対中従属派」張成沢を「自主独立派」金正恩が文字通り斬ったと解釈できるのである。これに腹を立てた中国が韓国に接近したタイミングで、「中韓共同の敵」ともいえる安倍晋三靖国神社を参拝したというわけである。安倍晋三もまた、アメリカの意に反して「戦後レジーム」からの脱却を目指す「自主独立派」(笑)である。北朝鮮と日本の接近は、国際政治の「敵味方思考」から考えてもごく自然の成り行きと思われる。

中国の覇権主義・膨脹主義が、「共産党支配(一党独裁)下の新自由主義国家」としてのあり方と相俟って、国際政治において大いに憂慮される問題であることは否定できない。しかし、日本や北朝鮮のような、中国よりはるかに狭い国土と少ない国民を抱える国の指導者にとって、「力による中国への対抗」は最悪の政策であろう。日本や北朝鮮の指導者に求められるのは、力への志向ではなく知恵なのだが、東京(や平壌)に3代住むとなんとかになるとかいうかつての大平正芳の暴言が思い出されるくらい、安倍晋三金正恩も知恵を著しく欠く政治家である。

そもそも安倍晋三というのは、拉致事件を自らの売名に利用した人間であり、真剣に拉致問題の解決と日朝関係改善を目指していた福田康夫は、安倍晋三によって悪者にされ、それに腹を立ててか、2004年に福田康夫は「年金未納」を口実にして内閣官房長官を辞め、小泉政権から離反していった。その後、福田内閣で再び拉致問題解決と日朝関係改善とが模索されたが、福田康夫の政権投げ出しで中断されたのだった。

その間一貫して拉致問題の解決を阻んできたのはほかならぬ安倍晋三だったのだが、国際政治と日本国内の政治状況は、その安倍晋三をしてついに「北朝鮮カード」を切らせるに至ったとみることができる。当然、安倍晋三拉致問題に関して、一般国民に全く知らされていない事実を熟知しているであろう。ふざけた話だと思うが、それでも今回の日朝合意は結果的には悪い話ではないかもしれない(もちろん今後の進展次第)。