kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

リベラル派は今から「国家社会主義」批判の訓練をしておくべきだ

予算10兆円増、大学無償化 トンデモ文科相・下村博文が構想発表(朝日) - kojitakenの日記 のコメント欄より。コメント主はコメントを書いたあとidを抹消したか何かの書き捨てみたいだからIDコールはしないでおく。

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20140722/1405987803#c1406255287

goldengm 2014/07/25 11:28
現在、国家主義者で経済左派的な人間でメディアの露出が比較的多いのは、安倍批判に回った三橋貴明や、内閣参与の藤井聡のような西部一派でしょうか。
政治家で言えば麻生太郎西田昌司(あとはせいぜい田母神)が彼らに近いですが、麻生は新自由主義に回ったようですし、今のところ国家社会主義者が政権を握る芽は無いような気がします。
このまま新自由主義者の天下が続いていくのではないかと。

私はそうは思わない。トマ・ピケティの予想ではないが、今後日本社会でも格差がますます広がる。現在は安倍政権の「大胆な金融緩和」が効いて東京都内の労賃が上がるなどした影響で一時的に「格差社会」への批判は一服しているが、再三指摘するように安倍政権の経済政策は「再分配」の思想を欠いているために、その効果は限定的にとどまり、格差社会への批判の声が再び強まるのは目に見えている。そうなった時、国境を越えて他国と連携して(たとえば多国間で共通の累進的な課税をするなどといったような)「グローバル」な対処法を求めるか、排外主義を強めつつ内向きの解決策を求めるかが大きな分かれ道になるのではないか。

その時、現在の流れの延長線上では、後者の方が主導権を握る可能性が高いと思われる。そして、これは破滅への道であると私は考える。

その意味から、「三橋貴明」だの「西部一派」だの「西田昌司」だのを今のうちから批判する訓練をしておくことがリベラル側には求められると考えるものである。

立場を変える者の変わり身の早さの実例として、2008年に突如「新自由主義」批判を始めた経済学者・中谷巌を挙げておく。

私が思い出すのは、同じ2008年に大阪で聴いた辺見庸の講演会である、あの時辺見庸は、国家社会主義者の台頭を警告する言葉を発した。

その者どもが現れる日は遠くないことを予感する。安倍晋三自身が国家社会主義者に変身する可能性もないとはいえない。なぜなら、安倍の母方の祖父・岸信介はまぎれもない国家社会主義者だったからである。