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古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

インド人は「荒川放水路」がお好き?

日経新聞(7/26)より。

なぜ東京・江戸川区にインド人村が誕生?|エンタメ!|NIKKEI STYLE

なぜ東京・江戸川区にインド人村が誕生?
編集委員 小林明

 東京都内で最もインド人が多い区はどこかご存じだろうか?

 答えは江戸川区。しかも江戸川区のなかでもなぜか西葛西に“インド人村”があるという。

 どうしてインド人が西葛西を好んで住むようになったのか。そして、それはいつごろから始まったのか――。今回はこのナゾを解き明かすため、西葛西に向かった。すると、興味深い様々な要因が浮かび上がってきた。

 現地の様子を紹介する前に、まずは統計で基礎知識をざっくりと押さえておこう。

江戸川区で都内全体の25%を占める

 在日インド人数は全国で22984人(2012年時点)。その3割にあたる7902人(14年時点)が東京都内に住んでいる。

 東京23区で最もインド人が多いのが江戸川区。1959人で都内全体の約25%を占める。次いで江東区の1187人、港区の627人、台東区の611人、品川区の393人と続いている。つまり、東京都の東部にある江戸川区江東区の2区だけで都内全体の4割を占めている計算になる。

 もともとムンバイ―神戸間で日本初の定期航路が運航していた関係から神戸に大きなインド人のコミュニティーがあったとされる。首都圏では横浜に住むインド人が多かったそうだ。どちらも貿易に便利な港町だ。

 ところが、状況が大きく変わったのが2000年直前のこと。

■増加したきっかけは「2000年問題

 コンピューターが誤作動する「2000年問題」に対応するため、優秀なIT技術者を多数輩出するインドから人材が来日するようになったのだ。2000年には当時の森喜朗首相もインドを訪問。IT関連企業を中心に日本で働くシステムエンジニアらへのビザ(査証)発給が大幅に緩和されたことも大きな追い風になった。こうして東京で働くインド人が飛躍的に増えることになった。

 新たに来日したインド人の受け皿となったのが江戸川区だった。

 ちなみに1990年時点で江戸川区内のインド人はたった58人。港区や世田谷区、目黒区などの方が多かった。だが06年以降、江戸川区が都内首位だった港区を抜き去り、都内で最もインド人が多い区に浮上した。

 以上が大まかな流れである。

 では、なぜインド人が江戸川区に住むようになったのだろうか?

■オフィス街に東西線で直結、家賃・公団住宅なども味方に

 そのナゾを調べるために、インドから紅茶などを輸入する貿易会社を江戸川区で営むジャグモハン・チャンドラニさんを訪ねた。1978年に来日して以来、ずっと日本に住み続けており、インド人コミュニティーの“顔役”として広く知られている。「江戸川インド人会」の会長も務めている。

 「なぜインド人は西葛西に住むのか? それは、西葛西にインド人が暮らすために必要な様々な要素がそろっているからですよ」。チャンドラニさんは開口一番、こう解説してくれた。

 まずは交通の便の良さ。

 大手町をはじめ日本橋茅場町などのオフィス街に東京メトロ東西線で直結している。西葛西から西に向かい7つ目の駅が大手町だ。所要時間は14分。IT関係の技術者にとっては、金融機関の本社が多い大手町や東京証券取引所や証券会社の本社がひしめく金融街がある日本橋茅場町に通勤しやすいのは大変に便利。しかも同じ東西線九段下駅からインド大使館にも行ける。羽田空港成田国際空港に行くのも交通の便がよい。

 また「西葛西は新興のベッドタウンなので、昔からの地域住民が少ないからしがらみがない」こともプラス材料になった。家賃も都心に比べれば比較的安い。国籍を問わずに入居でき、礼金などのしきたりがない旧公団住宅(UR賃貸住宅)が多いのも外国人には好都合。

 こうした要因からインド人が多く住み始めるようになったというわけ。

■食事・学校・祭り・インド人会・寺院も

 たしかに西葛西周辺の地図を見ても、インドに関連する施設が多いことが分かる。

 インド料理店やインド食材店が集まっているし、チャンドラニさんが経営する輸入紅茶ショップの中には「江戸川インド人会」の事務局も併設されている。駅の南側に今春、インド人学校(グローバル・インディアン・インターナショナル・スクール)も移転してきた。

 同校は2006年同じ江戸川区の南篠崎に開校したが、生徒数が増えたため、今年4月に西葛西に移転拡張したという。

 「現在の生徒は335人。学校の延べ床面積は移転で約3倍ほどに拡大した」(同校事務局)。ITやヨガの授業も導入されており、子どもの教育問題を抱える家族連れのインド人には心強い味方になっている。

 毎年10月末にヒンズー教の新年を祝う収穫祭「ディワリ」が開催される会場もある。西葛西駅から北へ2.5キロほど行った船堀駅(都営新宿線)の近くにはヒンズー教の神を祭る寺院もある。

 「下町の雰囲気が好きなので最初は浅草や門前仲町で物件を探したけど、西葛西の物件の方が家賃が手ごろだし、インド人にとっては暮らしやすい。インド人同士の情報交換も活発。生活に困らない」。日本の通信社で働くインド人の女性ジャーナリスト、スープリア・シンさんはこう話す。

 こうした多くの好条件が来日するインド人を引き付けているわけだ。

ガンジス川に似ている荒川

 もう一つ、大きな要因がある。西葛西の西側を流れる「荒川」の存在だ。

 「土手から眺めていると、なんだか、故郷コルカタカルカッタ)を流れる聖なる川、ガンジスを思い出して、心が落ち着くんです。河口が近いから川幅が広いでしょう。よく似てるんですよ……」。チャンドラニさんは遠い目をしながらしみじみとこう話す。

 荒川の土手を散歩したり、河川敷でクリケットをして遊んだりするインド人も少なくないそうだ。

 チャンドラニさんが西葛西で暮らし始めたのは79年ごろ。輸入した紅茶を保管する倉庫があったためだ。「当時は西葛西の駅ができたばかりで周辺は原っぱ。ポツリポツリと家屋があるだけだった」と振り返る。高層マンションや外食店、専門学校などが林立し、とてもにぎやかな今の街の風景と比べると「隔世の感」がある。

■壁作らず日本に溶け込むインド文化

 西葛西駅の北側。UR賃貸住宅の1階で営業するインド食材店「TMVS FOODS」をのぞいてみた。広さは6畳間ほどと狭いが、店内にはコメや香辛料、調味料、スナック、インスタント食品などが所狭しと並んでいる。冷凍肉もそろっている。客層はインド人のほか日本人も多いそうだ。

 「インド人が来日して最も困るのが食事です。宗教上の関係で様々な制限があるから自炊することも多い。でも食材がなかなかそろわない」とオーナーのピライ・マリアッパンさん。そこで09年に同店を開くことにした。来客も最初はインド人ばかりだったが、味を覚えた日本人が徐々に常連客になっているという。

 インド人村の特徴は、インド人同士で壁を作らず、地元の日本人社会に溶け込んでいること。

 その象徴が毎年10月末に開催するヒンズー教の祭り「ディワリ」だ。インド舞踊を披露したり、インド料理の模擬店などを出店するが、和太鼓も演奏される。「日本人との交流」が大きなテーマになっている。主催するチャンドラニさんは昨年の「ディワリ」で子ども連れの日本人夫婦からこんな声をかけてもらったという。

 「江戸川区に住んで本当によかったです。おかげさまでこんなに楽しいお祭りを体験させてもらいました。ありがとう……」

 思いも寄らない言葉だった。うれしかった。長年の苦労が報われた気がした。その親子連れの柔らかい笑顔が今でも忘れられないという。

 異文化が解け合い、寄り添いながら、新たな街が形成されていく。

日本経済新聞 2014/7/25 6:00)

記事に出てくるジャグモハン・チャンドラニ氏は、Wikipedia「西葛西」にも出てくる人だが、「荒川がガンジス川に似ている」とは???

共通点はおそらく「川幅が広い」ことだけだろう。というのは、現在「荒川」の下流とされているのは、明治時代の大水害を機に建設された「放水路」に過ぎないからだ。昔の荒川の下流は今の隅田川である。現在の荒川は1965年までは「荒川放水路」と呼ばれていた。そのため、東京の年配の方には、今でも「荒川放水路」と言う人が少なくないようだ。同様に河川改修によって川幅が人工的に広げられた川として大阪の淀川がある。これも明治時代の水害を機に建設された「放水路」である、というより淀川の方が荒川より早く改修された。こちらも荒川同様、かつては「新淀川(放水路)」と呼ばれていたが、荒川放水路と同じ1965年に淀川の本流に格上げになった。淀川の流域にインド人が多く住んでいるかどうかは知らない。

まあ別に実際に住んでいるインド人の方が「ガンジス川に似ている」というのだから文句をつける筋合いはないのかも知れないが、それとは別に気になったのが、記事の最初のページにあるグラフである。

これを見ると、東京に住むインド人人口は2009年か10年をピークに減少しているのである。日経の記事にインド人人口が東京で一番多いと書かれている江戸川区も減っている。この理由について知りたいところだ。

なお、中国人の生産年齢人口は既に減少し始めているが、インドはそういう状況にはないはずだ。