kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

国家総動員体制と岸信介・西尾末広・斎藤隆夫

昨日書いた 長谷川幸洋、半田滋、そして国家総動員体制 - kojitakenの日記 に、恥を忍んで

実を言うと、戦前の日本において、格差拡大の挙げ句の果てに「国家総動員体制」が現れたメカニズムを私はよく理解できていないのだ。

と書いた。なんだ、kojitakenはそんなこともわからないのかと馬鹿にされるかと思ったが、そのようなことは思っても書かないのか、あるいは誰も読んでいないのか、そのような反応はまだ現れていない。

はてなブックマーク - 長谷川幸洋、半田滋、そして国家総動員体制 - kojitakenの日記 より

id:haruhiwai18 "2年後の1938年には、第1次近衛内閣によって国家総動員法が成立してしまうのだ。なぜこのような大転換が急激に起きたのだろうか""変化が急激すぎるのだ" →革新官僚社会大衆党の影響が強そうな案件(konami


そうだよなあ。そしてその「革新官僚」の中でも切れ者の一人が、安倍晋三の敬愛する母方の祖父・岸信介だった。安倍晋三岸信介崇拝の行き着く先の恐ろしさを、もっと日本人は突き詰めて考えなければならない。今はただ見せかけだけの「日本経済の小康状態」にあって、多くの人たちが「思考停止」してしまっているように思える。

また、社会大衆党衆議院議員で、ヒトラースターリンに倣えと演説した西尾末広右派社会党民社党)が戦後も政治家として生き延びたことも忘れてはならない。鳩山由紀夫政権を支えたのも、「旧民社」の政治家たちだった。

坂野潤治斎藤隆夫を「一貫して平和を重視していたが、本来は平和勢力であるべき労働者の社会改良の要求には冷淡だった」と批判するが、それは当然ながら「労働者の社会改良の要求には熱心だったが戦争に協力した」西尾末広らは当然ながら悪い、という前提の上に立っての議論であろう。その上で、社大党を「ファシズム政党」に追いやった責任が斎藤ら「平和勢力」にもある、と言いたいのではないか。

その坂野潤治も1937年以降の日本近代史は書かない。これまでにも繰り返し書いたが、坂野が示唆するように、2012年の衆院選を機に現代の日本も「崩壊の時代」に入ったと私はみている。