いつだったか「天声人語」子が書いていた、噴火2週間前に御嶽山に登った朝日新聞記者は、高橋万見子論説委員だった。「社説余滴」(10/7)より。
「御嶽山が噴火して」。紅葉盛りの苗場山から下山して、携帯の不在着信に気づいて会社に電話したら、そう告げられた。2週間前の連休に1泊2日で、友人と御嶽山に登ってきたばかりだった。
多数の死傷者が出そうという。先輩記者の質問に答えた誤、カーナビのテレビが映る場所まで車を走らせ、映像を見て言葉を失った。
山頂の神社、山荘、八丁ダルミ、二の池。道の具合や景観。手に取るように覚えている一帯が灰色に変わっている。あの時だったら。あそこだったら、自分も逃げられなかったかも。胃の奥がぎゅっと縮んだ。(中略)「情報提供が十分だったか」「シェルターがない」といった登山客対策に関する報道も目にするようになった。論説委員会の会議でも、同様の指摘が出た。
(中略)ただ私自身、事前に「火山性地震が急増。噴火の可能性も」との情報をネットで見つけていたが、中止はしなかった。仕事の合間を縫っての計画で楽しみにしていたからだ。不明を恥じるが、専門家でも判断がつかない兆候を「情報提供」するだけでは効果も期待できまい。
シェルターも同様だ。どこまでつくれば安全か。費用は誰が負担するのか。シェルターだらけになれば観光資源としての価値は逆に落ちる。
もちろん、事故に学び、次に備えることは必要だ。ただ予知が難しい以上、最大の予防策は「登らない」に尽きる。それでも、というなら登る側にも自覚がいる。
(中略)昨今は空前の登山ブーム。「山ガール」など新たな層もいて、各地は活気づいている。ただ、まったく危険のない山などない。典型的な中高年登山者の一人だからこそ、自戒を込めて今回の教訓をかみしめている。(後略)
(朝日新聞 2014年10月7日付紙面「社説余滴」;高橋万見子「活火山に登るということ」)
昨今は、5年前のトムラウシ山遭難事件で問題となったように、「ツアー登山」でリスクマネジメントをツアー会社やガイドに丸投げしている登山客も多いと思うが、私は「ツアー登山」はやったことはなく、自分(たち)で予定を組んで、山の情報を仕入れて、天候その他のリスクを加味して、山に行くかどうかを決める。ただ、「天候その他のリスク」と書いたが、気にするのはほぼ100%近く天候だけである。なぜなら、雨や風の日の登山には滑落などの危険が多いし、身体は異様に疲労するし、全然楽しくないからだ。
ということは、仮に御嶽山登山の計画を立てていたなら、9月27日には決行していたに違いない。快晴で、紅葉の見頃だったからだ。事故の報道に接して、私もぞっとした一人であって、だからこそこの件に関して記事をいくつも書いている。報道では、他の山に行こうと思っていたが、快晴の空にそびえる御嶽山の姿を見て、急遽予定を切り替えて御嶽山に登ったという人がいた。
ところで、
事前に「火山性地震が急増。噴火の可能性も」との情報をネットで見つけていた
というのが曲者で、実際そういう報道ばかりされているが、あまり論じられていないことがある。それは、「御嶽山噴火の前に火山性地震が急増」していたのは確かだが、「火山性地震が急増していれば(御嶽山のような)火山は噴火するか」といえば、そうはならない場合の方が圧倒的に多いという事実だ。つまり、今回のような場合にいちいち入山規制をかけていたら、ある程度の活動が観測されている活火山にはすべて登れなくなる。果たしてそれがあるべき姿なのか。
火山噴火や地震についての日本の行政の最大の問題は、できもしない「予知」がさもできるかのように予算が割り振られることにある。たとえば、産経はこんな記事を書いている。
【御嶽山噴火】予算・人材不足の「火山大国」(1/2ページ) - 産経ニュース
予算・人材不足の「火山大国」
110の活火山がある「火山大国」の日本。だが噴火の直前予知に成功したのは平成12年の有珠山(うすざん)=北海道=が初のケースで、多くの火山では予知は難しい。予算や人材の不足を背景に、研究や観測も十分とはいえないのが現状だ。有珠山は噴火前に地震が多発する「癖」があり、周辺住民の事前避難が実現した。しかし、こうした火山は例外的だ。数少ない成功例から「噴火は予知できる」との誤解が一部で広がったことに、火山学者から戸惑いの声も聞かれる。
「噴火予知はもともと難しい。有珠山は地震だけみていても分かる火山だが、噴火が少ないほとんどの火山では分からない。有珠山が成功したからといって、全ての火山で予知が可能と思ってほしくない」。気象庁火山噴火予知連絡会の藤井敏嗣会長は、こう話す。
予知は過去の経験則だけでなく、異変を検知する観測体制が欠かせない。御嶽山は気象庁が常時監視している47火山の一つだが、これまでは静かだったこともあって、桜島(鹿児島県)など活発な火山と比べれば観測機器は少なかった。
研究も手薄だった。文部科学省は20年、各大学が観測する33火山のうち、活動が盛んな16火山の観測強化を決定。大学の法人化で予算が厳しくなり、優先順位を付ける必要が生じたためだが、御嶽山はこの強化対象に選ばれなかった。
国の20年度の研究費は、火山は19億円で、地震のわずか1割。被害の規模や発生頻度などを考慮した結果とみられるが、文科省は「予算が十分だったか点検し、充実の必要があるか検討する」(地震・防災研究課)としている。
人材育成も課題だ。日本の火山学者は「40人学級」と揶揄(やゆ)されるほど少ない。火山学を志す若手も減少傾向にある。噴火は頻繁には起きないので短期間で研究成果を出しにくく、近年の成果主義になじまないことが背景にあるという。
北海道大の宇井忠英名誉教授(火山地質学)は「観測や防災行政に助言できる人材を増やす必要があるが、成果主義を変えなければ難しいだろう」と話す。
(産経ニュース 2014.10.3 19:25更新)
なぜ「国の(平成)20年(=2008年)度の研究費は、火山は19億円で、地震のわずか1割」だったかといえば、できもしない地震予知に巨額の予算を注ぎ込んでいるからだ。読売にも上記産経とよく似た記事が数日前の1面に掲載されていたが(リンクが見つからなかったので貼っていない)、読売は、予知が難しい地震予知にばかり予算が注ぎ込まれ、予知の成果を挙げている火山噴火に回す予算が少ないという書きっぷりだった。
しかし、読売の記事の論旨には大きな問題があると思った(上記に引用した産経の記事は読売と比較すればまだマシな部類である)。それは、「予算さえかければ地震は予知でき、今回の御嶽山噴火事故のような事態を防げる」という暗黙の前提があるからだ。仮にこの議論に従って、「火山予知」への予算が増やされれば(実際そうなるだろうが)、火山の噴火が起きて死者が出た場合、地元の自治体や山小屋などばかりではなく、「成果を挙げられなかった」火山学者たちも「予算を増やしてやったのに何をしているか」と責められることは間違いない。
根本的に間違っているのは「火山の噴火は予知できる」という前提なのである。火山の噴火は地震と同じで一般に周期性もない*1。火山性地震が起きたからといって必ず噴火するとは限らず(むしろ噴火しない場合の方が圧倒的に多い)、噴火を予測するのは極めて困難だ。それは地震や火山の噴火という現象の性質そのものによるところが大きい。有珠山は、特別に噴火を予知しやすい例外中の例外に過ぎない。
つまり、「火山の噴火や地震は基本的に予知できない」。これが日本国民の共通認識でなければならない。原発再稼働の議論も、この前提に立って行われるべきだ。
しかるに、昨今の科学技術予算は、極度の「成果主義」に陥っており、「成果を挙げたかどうか」が厳しく問われる。しかし、企業の開発ならともかく、成果が挙げられるかどうかがあらかじめわかっているなら、科学者の研究の対象とはならない。「成果主義」こそ最大の問題なのである。
抜本的に改めるべきなのは、「成果主義」に基づく予算配分のあり方なのである。