kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

マックス・ウェーバーと鳩山由紀夫

世の中には忘れっぽい人が多いようだが、私は自分の関心のあることに関しては執念深く覚えているという悪癖を持っている。

沖縄は「鳩山由紀夫」を信頼しているか? - kojitakenの日記(2015年4月21日)で私は、マックス・ウェーバーを引き合いに出して5年前の鳩山由紀夫自身による「辺野古現行案回帰」を批判した。

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20150421/1429573266#c1429621316 より

またウェーバーは、政治家は心情倫理ではなく責任倫理に基づいて行動せねばならず、結果の責任を負わねばならないと言っています。その「結果」が「辺野古現行案回帰」であるわけです。要するに鳩山は政治家失格というわけです。

こんな政治家を甘やかすことにも、「リベラル」低迷の一因があると私は考えています。


これに対するコメント欄の反応。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20150421/1429573266#c1429626246

古の政治学者の講義内容を持ち出すまでもないお話だが、まあ、やむをえないのだろう。


この件に関して、「鳩山由紀夫 ウェーバー」を検索語にしてググると、筆頭に表示されたのは、5年前に私自身が上記のコメントと同じことを書いた文章だった。

何もマックス・ウェーバーを引き合いに出さなくったって鳩山の辞任は当然だろ - kojitakenの日記(2010年5月26日)

政治家でなくったってプロは結果がすべてだよ。いわんや総理大臣をや。

責任をとれない総理大臣なんて要らない。政治家は結果責任を問われるなんて、何もわざわざマックス・ウェーバーを引き合いに出さなくったって当たり前だろ。

鳩山由紀夫は早く総理大臣を辞めろ。


当時、上記の私の意見はリベラル系の人間にとって極論でも何でもなかった。たとえば、リベラル系とされる北海道新聞は、下記のコラムを掲載していた。道新のリンクは消されているが、2ちゃんねるに転記された記事が残っている*1

責任倫理

自分が正しいと信じるままに行動するのか、
それとも結果への責任を重んじて行動するのか−。

ドイツの社会学マックス・ウェーバー(1864〜1920年)は、前者を心情倫理、後者を責任倫理と呼んだ

▼名著「職業としての政治」(脇圭平訳、岩波文庫)に出てくる。ウェーバーはこの二つが相まって、政治への天職を持ちうる真の人間を作り出すと述べた

▼とはいえ、政治家にまずもって求めたのは責任倫理のほうである。だから心情倫理家をこう断じた。
「十中八、九までは、自分の負っている責任を本当に感ぜずロマンチックな感動に酔いしれたほら吹きというところだ」

鳩山由紀夫首相がほら吹きだと言うつもりはない。沖縄の米軍普天間飛行場について「最低でも県外移設」と述べた心情にうそはなかったろう。だが実現するための戦略が、不思議なほど欠けていた

▼この間の食言、迷走、あげく社民党の異議。福島瑞穂党首の閣僚罷免という事態をみるにつけ「為政者の資質」というものを思わざるを得ない。
ここに至るまでの判断ミスと大きな混乱の責めを首相はいったいどういう形で負うつもりだろうか

ウェーバーは言う。「責任倫理に従って行動する成熟した人間が、ある地点まで来て『私としてはこうするよりほかない』と言うなら、計り知れない感動を受ける」。最近の支持率は、その逆を映し出している。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/fourseasons/233996.html(注:リンク切れ)


辺野古現行案回帰」を決めた2010年4月、鳩山由紀夫が何と言っていたか覚えているか。鳩山は、「(自らが辺野古現行案回帰なんかを決めたから)小沢さん(小沢一郎)に政局にされる」と言っていたのだ。あの当時、「鳩山降ろし」をしている主役は小沢一郎だろうと誰もが思っていた。もちろん私もそう思っていた。

ところが、鳩山は自らが総理大臣と民主党代表を辞める時、小沢を一緒に辞めさせた。そして、菅政権発足と同時に民主党内反主流派に回って意味不明の権力抗争を始めた。主役は小沢だったが、鳩山は小沢の忠実な手下として動いた。もっともあの時の権力抗争では、松下政経塾組と野合した菅直人も全くいただけなかった。「どっちもどっち」としか言いようがなかった。菅直人小沢一郎の政策に違いなどほとんどなかったことは、2010年の民主党代表選ではっきりと示された。つまりあの年から翌年にかけて、東日本大震災・東電原発事故対応までもそっちのけで繰り広げられた与党・民主党内の権力抗争は、「権力抗争のための権力抗争」でしかなかった。だから国民は民主党主流派と小沢・鳩山派の両方を見放したのである。ことに、震災や原発事故への対応には全く関心を示さず、しばらくどこへともなく雲隠れしたのち帰ってきた小沢一郎はひどかった。東日本大震災で肉親の多くを失った黄川田徹がブチ切れて小沢から離れていったのは当然であった。2012年の衆院選黄川田徹階猛に「刺客」を送った小沢は、2年後の昨年の衆院選では、黄川田と階に「刺客」を送らない代わりに民主党岩手県連に選挙を助けてもらうというプライドもへったくれもない恥ずかしい選挙戦をやって、ようやく自らの議席を守った。鳩山は2012年の総選挙に立候補させてもらえず、引退に追い込まれていたが、仮に引退せずに立候補したところで落選していたに違いない。

私は「政権交代」直後に、新総理大臣であった鳩山由紀夫の態度に緊張感の欠片も感じられなかったことに驚き呆れるとともに、新政権の前途に強い懸念を持った。そしてそれは現実となった。政権交代後の最初の総理大臣として、鳩山由紀夫ほどその資質を欠いた人間は他に思い浮かばない。

それもこれも、鳩山由紀夫のような無能な世襲政治家を国政に送り出した選挙民こそまず第一に責められるべきだ。日本人の世襲信仰がなぜここまで強いのか、私には全く理解できない。最近では小渕優子を支持する選挙民に対して非常に強い嫌悪を感じた。また、小渕が表向き「脱原発派」的な言動をしていたからといって小渕に同情したり庇ったりしていた「リベラル」たちに対してもきわめて強い不満を持ったものである。