NHKスペシャルの戦争特集は、一木支隊を取り上げた回に感心しなかったので『日本新聞』を取り上げた回は見なかったが、こちらは良い番組だったらしい。『広島瀬戸内新聞ニュース』より。
NHKスペシャル「かくて”自由”は死せり ある新聞と戦争への道」
「統帥権干犯」だと騒いだことを紹介していました。そして、濱口は東京駅頭で狙撃される。それから、1年もたたずに、1931年、満州事変が発生。おりしも、大不況で閉塞感があったところに発生した満州事変を国民は支持するようになってしまった。あまりにも、急転直下の変化ですが、こういうことは常に起きうる。自由は、いとも簡単に失われてしまう。その恐ろしさをコンパクトにまとめた番組でした。永久保存し、何度でも上映会を開きたい。そんな番組です。
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480066428/https://hiroseto.exblog.jp/28519698/
半藤一利の『戦う石橋湛山』(ちくま文庫)に、興味深い記述がある。
この軍令部の土壇場での反対論をうけて、折から開会した第五十八特別国会において奇ッ怪な騒動がもちあがった。「統帥権干犯」問題である。野党の政友会が牙をむいて政府に噛みついたのである。このように国防問題が政界にもちこまれ、内閣打倒のための政争の具とされたうらには、議会開会数日前に、犬養毅、鈴木喜三郎、鳩山一郎ら政友会幹部が、軍令部次長末次中将とひそかな会合をもったという事実がある。小田急沿線の鶴巻温泉でのこの会合で、かれらは統帥権の何たるかについての討議を十二分にし、意思統一をみていたのである。
何のことはない。犬養毅や鳩山一郎ら政友会の幹部は、政権欲しさに軍部に迎合したのだ。それは政党政治崩壊の始まりだったし、犬養に至っては自らの落命を招いた、どうしようもない愚行だった。1930年当時にはまだ朝日新聞や毎日新聞もまだ軍縮に反対する軍部や「統帥権干犯」を振りかざす政友会を批判していたのであって*1、鳩山らは世論に迎合したわけですらなく、ひたすら政権を民政党から奪いたいという権勢欲によって軍部と結託したのである。これほどの悪行はそうそうあるものではない。
なお、「統帥権干犯」のスローガンを編み出したのは、かつて田中良紹が愚かにも「民主主義者」と評した北一輝だとされている。
その北一輝とつながっていたのが、鳩山らと同じ政友会に属していた森恪(1882-1932)であり、鳩山は特に森と親しかった。おそらく、鳩山は森を介しての北一輝の入れ知恵の論法で政府を攻撃したのだろう。
奇々怪々なのは、そんな鳩山が戦後、独裁者として悪評紛々だった吉田茂と対比されて、リベラル政治家として人気があったらしいことだ。松本清張の諸作品においても、鳩山は善玉扱いされている。戦後さほど日が経たない頃には、鳩山が「統帥権干犯」を振りかざした悪行は忘れ去られていたのだろうか。確かに鳩山は1942年の翼賛選挙では大政翼賛会の非推薦候補として立候補して当選するなど、戦争中には戦争を推進した側の政治家ではなかったが、戦争の引き金を引いた人間の一人であることは紛れもない事実なのだが。
そこから連想されるのは孫の鳩山由紀夫だ。2009年の政権交代選挙で総理大臣に就任した鳩山由紀夫には緊張感がまるで感じられなかったために私は大きな不安を抱いたが、それは半年あまり後に現実となった。鳩山は普天間基地移設問題で「辺野古現行案への回帰」という反動そのものの決定を行って、そのまま無責任に退陣した。私はこれを、菅直人の2010年参院選直前の消費税増税方針表明と、小沢一郎の2011年東日本大震災・東電原発事故そっちのけの醜い民主党内抗争と並ぶ、「民主党トロイカの三大悪行」に数えているが、トロイカのうちでももっとも恵まれた条件にありながら政権運営に失敗した鳩山が今でも「リベラル」からろくすっぽ批判されず、それどころか時に礼賛されている現状に大きな怒りを感じる。