kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

×××新選組の内閣不信任案棄権を支持・擁護・正当化することは、戦前の政党政治崩壊を肯定するに等しい愚挙だ(怒)

 本記事の主旨は、タイトルの通り、内閣不信任案を棄権した×××新選組の選択を支持、擁護、あるいは正当化することは、戦前の政党政治崩壊を肯定するに等しい愚挙であるということだ。

 

 この件を論じるための切り口はいろいろあるが、まず社民党員であるまことん氏のツイートを選んだ。

 

 

 これは本当にそうで、1977年に社会党内で猛威を振るった社会主義協会向坂逸郎に代表される労農派の系列)が江田三郎*1を離反させるなどして批判を浴びると、石橋政嗣は次第に協会系を見限って社公民路線に走り、1980年早々に決定した社公合意を決定的な契機として共産党は「ハブられ」続けた。それでも共産党犬猿の仲である社会党が出す内閣不信任案であっても賛成し続けた。不信任の理由はどうあれ、内閣を信任するか不信任なのかの立場の表明なのだから、「不信任しなかった」以上、新選組を「ゆ党」とみなすしかない。

 

 次いで、かなりの数の立民支持者たちから悪評を買っているらしい三春充希氏のツイートをめぐる一連のやりとりを紹介する。

 

 

 下記は上記ツイートへの反応。

 

 

 これに三春氏が反論した。

 

 

 下記は上記ツイートへの反応。

 

 

 下記は上記の反応に対する三春氏の切り返し。

 

 

 下記は上記ツイートへの反応。

 

 

 私も「提案型野党」を気取っていた右派の泉健太らに憲法審査会での採決を阻止するような意図があったかどうかといえば、そんな意図があったはずもなかろうとは思うが、結果的に「それなりの効果はあった」わけだ。政治は結果がすべてである。

 

 何より、自党(自らの組)の存在感をアピールするためだけのパフォーマンスとして内閣不信任案決議を棄権した×××新選組に対して、私は猛烈に腹を立てている。

 新選組のさる構成員は、今回の新選組の行動の評価について「判断に迷う」としながらも、「現代の民政党」たる立憲民主党が「経済右派」の立場から提出した内閣不信任案に新選組が賛成せず棄権したことを正当化していた。

 確かに今の立民には「民政党の再来」を思わせる均衡財政論への傾斜が認められる。これに対しては私も大きな不満を持っている。

 しかし、その民政党がライバル・政友会とともに形成していた「政党政治」そのものがその後潰れていった歴史を忘れてはならない。

 政党政治が潰された経緯で重要なのは、1930年に自らも政友会に属する政党政治家でありながら軍部と結託して「統帥権干犯」を言い募って濱口雄幸内閣を攻撃した鳩山一郎だ。その鳩山一郎を敬愛する孫の鳩山由紀夫は「共和党」を結成して今夏の参院選や次の衆院選に候補者を立てるという。これ自体は「二度目は笑劇として」繰り返される茶番に過ぎず、鳩山由紀夫が今後起きるかも知れない「21世紀の政党政治の崩壊」に大きな役割を果たすことは全く想定できない。

 しかし、既に国会に5議席を持っている×××新選組がもたらす民主主義に対する脅威は決して無視できない。新選組は人脈的に鳩山由紀夫やそのシンパたち(植草一秀ら)とのつながりがあるとも指摘されている。

 アーリーアダプターの方の一部から指摘されている通り、私は×××新選組は「民主主義を毀損する政治勢力」であり、全く支持できないばかりか、一日も早く国政から退場願わなければならない政党だと考えている。

 現在の新選組は、ひたすら国民の政治不信を煽る方向のアジテーションしかしていない。それと同時に、党代表である山本太郎安倍晋三橋下徹ともども、巨悪の侵略者であるプーチンへのシンパシーを隠し切れない。

 今回の同党の内閣不信任案棄権は、同党の危険な体質を露呈したものとして非難しないわけにはいかない。もちろん不信任案に賛成した維新や国民民主党等は論外である。

*1:一般には誤解されているが、江田はかつては社会党左派の人で、構造改革路線は左の労農派と右の社民主義路線の中間に位置した。江田自身は終生社会主義者だった。江田に問題があったとしたら社公民路線を志向したことであり、江田離党後にこれを党の路線としたのが石橋政嗣だった。