kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

5.15事件90周年

 今日は5.15事件から90年周年の記念日か。沖縄復帰50周年の日でもあるけれど。

 そういえば「昭和初期」も、「大正デモクラシー」の時代から一変して、すさまじい反動の流れに見舞われた時代だった。稀代の悪法・治安維持法が1925年(大正14年)に制定され、翌年末に昭和に「改元」された。共産党が1928年(昭和3年)の3.15と1929年(昭和4年)の4.16に大弾圧され、1932年には「スパイM」こと飯塚盈延が「非常時共産党」を牛耳っていた。その一方で急な追い風が吹いたのは右翼であって、5.15事件の犯人の助命嘆願が流行するとんでもない世相が現出した。下記は昨年5月15日に発信された岩波書店のツイート。

 

 

 「腐敗した政党政治への反感」が右側のテロリズムに拍手喝采する恐るべき風潮を招いた。

 実は、その直前には軍縮に動いた浜口雄幸民政党政権への支持が高かった。それに抵抗したのが、鳩山由紀夫の敬愛する祖父・鳩山一郎が持ち出した「統帥権干犯」のロジックだった。鳩山は、1930年にロンドン軍縮条約が調印された3日後に、帝国議会で「統帥権干犯」を振りかざして浜口内閣を攻撃した。坂野潤治『日本近代史』ちくま新書)によると、「統帥権干犯」の用語を考案したのは北一輝だというのが定説となっているが、当時の有名な評論家・馬場恒吾は「最初に統帥権干犯を言い出したのは政友会」と指摘していたし、最近(『日本近代史』執筆時の2011年から見て)は鳩山一郎主犯説が知られるようになってきたとのことだ*1

 それでも1931年までは世論は軍縮を支持し、軍人が白眼視される時期が続いた。それが一変したきっかけの一つが満州事変だったことは間違いない。

 1930年当時の二大政党は、政友会が軍事タカ派経済左派民政党が平和志向の経済右派だったが、後者は現在の立憲民主党支持層の志向にまで引き継がれている。即ち立民支持層の多くは安倍晋三や安倍の圧力に全く抵抗できない岸田文雄に批判的だが、経済政策の面では異様なまでの財政均衡論への傾斜を見せている。弊ブログは前者(安倍や岸田への批判)では立民支持層の多数派と同じスタンスだが、後者においては彼らを批判する立場に立っていることを明記しておきたい。

 ブログ記事だけに着目すれば、下記『広島瀬戸内新聞ニュース』の記事は卓論だといえる。

 

hiroseto.exblog.jp

 

 以下引用する。

 

『問答無用!』

1932年5月15日、軍服を着た若者たちがぶっぱなした銃弾が、戦前日本に一定程度あったデモクラシーに止めを刺した。

これより前、浜口雄幸内閣の金解禁は、最近で言えば小泉純一郎さん、竹中平蔵さんによる新自由主義グローバリズムだった。それによる生活苦で人々の不満が増大。

『戦前の小泉』浜口や『戦前の竹中平蔵井上準之助蔵相らが暗殺された。

政党、特にリベラルとされた立憲民政党新自由主義グローバリズムの反動が軍部進出となった。

翻って今。

プーチン新自由主義グローバリズムへの反動として一定の支持を得ていたのも事実だ。

ポーランドでも『ポーランドの安倍』カチンスキーの法と正義が一定の再分配をしつつ、国家主義を進めている。

ハンガリーでも『ハンガリーの安倍』オルバンが国家主義&ロシア寄りでウケている。

我らが日本では既に8年間も安倍晋三さんがウケて来た。

そもそも、民主制と言うのは分厚い中間層があってはじめて成り立つものだ。だが、新自由主義グローバリズムでその条件が失われた国がいわゆる先進国でも増えてきている。

破滅的な戦争は回避しつつ、格差是正などキチッとやっていく。そういう綱渡りのような作業が世界的な課題だろう。

 

出典:https://hiroseto.exblog.jp/29947270/

 

 引用文中青字ボールドにした部分は、90年前の民政党批判であると同時に、現在の立民やその支持層の問題点を的確に突いているし、赤字ボールドにした部分もその通りだ。生き延びるだけで精一杯の人たちに「個の確立」をいくら力説しても意味がない。日本国憲法第25条を満たさない労働条件は違憲なのであってはならないが、この国の現実は憲法25条違反の職場だらけだ。一方、現在は立民支持層は(それどころか、とある「はてな」のブコメが指摘している通り共産支持層までもが)中間層、それももしかしたらアッパー・ミドル層が主流ではないかと思われる。このような状況下では、党運営が非民主的(まことん氏の表現)あるいは反民主主義的(弊ブログが採用する表現)であることに目をつぶってでも×××新選組*2のような政党が人々の切実なニーズに応えなければならない。そのようにブログ主は考えておられるのではないかと推測される。

 そう、ブログ主は現在ではれっきとした「×××関係者」なのである。

 しかし、弊ブログはたとえ時限的であっても独裁制あるいは寡頭制をとる政党に与することはできない。そもそも、×××新選組自体がブログ主の言う「新自由主義グローバリズムの反動としての国家主義」を担いかねないと考えている。

 その観点からいえば、より国家主義への志向が強い人たちは参政党に流れたとはいえる*3。しかし、トンデモ勢力が去って万々歳とは全くいえないのではないかと私は考えている。その「トンデモ」の部分こそ、山本太郎と×××新選組が持つ、あるいは持っていた吸引力の核心部分ではないだろうか。その吸引力を表す言葉は権威主義であって、吸引力を象徴する言葉は党名が冠している現元号の平仮名3文字だ。そのように私は考えている。

 一部で指摘された、×××新選組参院選の候補予定者として鳩山由紀夫の擁立を考えていたとの話(真偽不明)もネガティブな材料だ。政党政治を政党内部から破壊した鳩山一郎を、自らの政治家生活の晩年になって心から敬愛するようになった鳩山由紀夫*4を担ごうとするなど、そんな風評が出るだけでも「信用できない」と強く思わされる。それでなくても山本太郎の思考が植草一秀孫崎享らに親和性が強いことは明らかだ。

 さらにいえば、権威主義的でない山本太郎や×××新選組など、他ならぬ山本太郎自身にとって何の魅力もないのではなかろうか。山本太郎がなりたいのは、単なるリベラル・左派政党の党首やリベラル・左派の政策を行う総理大臣なんかでは全くあるまいと私は推測している。

*1:坂野潤治『日本近代史』(ちくま新書,2012)351-355頁。

*2:「×××」は現元号を表す平仮名3文字であって、安倍晋三の経済政策を表す片仮名6文字と、昨日現在のプロ野球セ・リーグ3位球団の愛称を表す漢字2文字とともに、弊ブログの3大NGワードである。なお、前記漢字2文字は一般名詞としては禁句ではない一方、現元号は平仮名、片仮名、漢字、ローマ字を問わず原則としてすべて禁句である。但し、人命に用いられている場合にはこの限りではない。

*3:山本太郎自身が彼らの今後の道を考えて提示してやったのではないか。そのような仮説を私は立てているが。

*4:そのようにしか見えない。自民党時代から民主党で総理大臣を務めて辺野古現行案への回帰を決めた時までは、鳩山由紀夫は単なる凡庸な保守政治家の一人に過ぎなかった。彼のトンデモ化は総理大臣退任後に始まった。