kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

産経・酒井充のトンデモ記事がまたも炸裂!「共産党は『天皇』と呼び捨てにするな」(笑)

一昨年の朝日新聞社は、安倍政権にすり寄ろうとして慰安婦問題の記事の取り消しを行ったところ、逆に極右勢力につけ込まれる大失態をやらかしたが、共産党天皇臨席下の国会開会式出席も、産経新聞お得意のいちゃもんを招いたようだ。

【永田町の非常識(1)】「天皇」と呼び捨てにしながら開会式に出席する共産党ってどういうこと? 「人間として当たり前」って…(1/3ページ) - 産経ニュース

天皇」と呼び捨てで開会式に出席する共産党 「人間として当たり前」って…

 永田町で取材をしていると、「常識とはなんぞや」と感じることが多い。今年も最初からその連続だった。

 正月気分も抜けない1月4日、早々と通常国会が召集された。天皇陛下をお迎えして参院本会議場で行われる開会式に、共産党志位和夫委員長ら幹部6人が出席した。共産党議員の開会式出席は昭和22年以来で、約69年ぶりとなった。本会議場の志位氏らは天皇陛下をお迎えする際に起立し、頭を下げ、他党の議員と同様の振る舞いだった。

 国会議員が開会式に出席するのは「当たり前だ」と思っていた。だが、少なくとも共産党にとっては常識でなかった。いわく、天皇陛下のお言葉には政治的な発言が含まれ、「高い玉座からお言葉を賜る」(志位氏)という形式に反対だったからだという。

 ところが今回、天皇陛下のお言葉が「ここ三十数年は儀礼的、形式的な発言が慣例として定着した」(志位氏)と判断し、方針を転換した。ならば昨年から出席してもよかったのに、なぜ今年からなのか。安全保障関連法の廃止を目指す野党連立政権「国民連合政府」構想を提唱する共産党にとって、他党の「共産党アレルギー」を払拭する狙いがあるのは明らかだ。

 志位氏は開会式後の記者会見で「私たちは一貫している。現行憲法国民主権主権在民、そして天皇の制度については国政に関する権能を有さないという制限条項を厳格に守ろうと。この1点でこれまでも対応してきたし、これからも対応する。変わらない」と説明した。「なぜ今回からなのか」の説明になっていないが、開会式での所作に関する次の言葉にはもっと驚いた。

 「衆院議長にしろ、天皇にしろ、礼をしたときに私たちも礼をした。人間として当たり前だ」

 礼をするのが当たり前ならば、公の場で天皇陛下を「天皇」と呼ばないことも当たり前ではないか。呼び捨てにする感覚は、少なくとも私にはない。志位氏が「厳格な順守」を訴える憲法の第1条には、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とある。天皇陛下を尊重しない姿勢は国民をないがしろにすることにつながり、憲法の精神にもとる。このことからしても志位氏の言うところの「当たり前」を共有できない。

 さらに驚くべきことは2日後に起こった。北朝鮮の核実験への反応だ。安倍晋三首相のみならず、民主党岡田克也代表も、維新の党の松野頼久代表も、一様に「重大な脅威」との表現を使って北朝鮮を厳しく非難した。

 それもそのはず。志位氏は昨年11月のテレビ東京番組で、安保関連法を批判する文脈で「アフガニスタン、IS(イスラムスンニ派過激組織『イスラム国』)、南スーダンのPKO(国連平和維持活動)の任務の拡大に実際は危ないところがある。北朝鮮の問題、中国の問題にリアルの危険があるのではない」と述べていた。

 いくら安保関連法を「戦争法」と呼んで批判しているとはいえ、一般論として北朝鮮に脅威がないと本当に認識しているのだろうか。そんな認識の政党が「国民連合政府」を樹立しようとしているわけだ。

 共産党幹部で最初に「脅威」に言及したのは小池晃政策委員長で、8日の記者会見で「この地域と世界の平和と安定に対する重大な脅威だ」と述べた。たったそれだけのことを表明するのに2日間も要したのが共産党だということがよく分かった。

(政治部 酒井充

(産経ニュース 2016.1.16 07:00)


あっ、「酒井充」か。それだけで笑ってしまった。このトンデモ記者の名前でGoogle検索をかけると、2番目に下記記事が引っかかる。


酒井は、世論調査に関するトンデモ記事を書いて毎日新聞の平田崇浩・世論調査室長が噛みつかれたのだった。それが思い出されて、笑いがこみ上げてくる。

明仁」と言えば呼び捨てだが、「天皇」と言っても呼び捨てには当たらないことは、それこそ「ニッポンの常識」だが、そんなことは産経新聞や一部の極右民主党都議には当てはまらない。産経は2008年にも同じような件で「極右仲間」のはずの石原慎太郎に噛みついたことがあったのだった。

http://sankei.jp.msn.com/politics/local/080927/lcl0809270043000-n1.htm(リンク切れ)より

 皇太子さまに2016年の東京五輪招致の協力を求める際、会見などで「皇太子に協力を求めたい」などと、皇太子さまを呼び捨てにした発言を繰り返してきた東京都の石原慎太郎知事に対し、民主党都議が26日、都議会一般質問で「公人として礼を失している」などと批判。石原知事は「今後、発言の形について考えてみたい」と述べ、呼称を見直すことも視野に入れた見解を示した。

 石原知事は7月、定例会見で、東京五輪招致活動への皇太子さまの協力について宮内庁野村一成東宮大夫が「協力は難しい」との見解を示したことに対し「宮内庁ごときが僭越(せんえつ)だ」などと激怒。その際の会見で、「皇太子の意向もただした上でだね、国を代表して皇太子に協力していただこう」などと呼び捨てにする発言を繰り返した。

MSN産経ニュース 2008年9月27日)


私が覚えているのは、この発言についてしつこく突っ込む極右マスコミ記者(?)に対して、石原が憮然として「皇太子は皇太子だろ」と吐き捨てたことだ。私が石原に同情した滅多にない稀有の件だったから印象が強い。

ところで最後っ屁を「リベラル」諸氏に対してかましておくが、この件で産経や酒井充を嗤うのは構わないが、共産党天皇臨席通常国会開会式出席自体に対して何か言うことはないのか。それを言わずに産経を嗤うだけでは、「菊のタブー」と「『リベラル』の共産党批判タブー」という2つのタブーに抵触しまいとすることによって、「リベラル」諸氏もまた、産経や酒井充と五十歩百歩としか言いようがない。そう声を大にして言いたい。