kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

吉田松陰「隙に乗じてカムチャツカとオホーツクを奪い取れ」(笑)

4か月前に坂野潤治山口二郎との対談で語った吉田松陰批判をメモした下記記事を書いた。


その続編というべきか、今回は高橋哲哉辺見庸との対談で語った吉田松陰批判をメモしておく。


流砂のなかで

流砂のなかで


以下、上記の『流砂のなかで』より引用する。

高橋 (略)安倍晋三首相が二〇一三年八月一三日、靖国神社に行く代わりに、郷里の山口県吉田松陰を祀った松陰神社に参拝したことは記憶しておく必要がある。同じく今年(2015年=引用者註)は松下村塾が正式に世界遺産登録されましたが、これも安倍首相がねじ込んだという話が聞こえてきます。彼はもっとも尊敬する人物を吉田松陰と公言している。私にはこのことが象徴的に思えます。吉田松陰は修身書(一八九〇年の教育勅語発布から一九四五年の敗戦まで存在した小学校の科目「修身」の教科書)で、尊王愛国を広めるために一身を捧げた大スターとして描かれた。また松陰の母親がいかにそうした息子に献身したかが、美談として描かれています。

 何よりも、松陰には『幽囚録』という著作があり、その中に重要な一節がある。「今ま急に武備を修め、艦略具え、礟略足らば、則ち宜しく蝦夷を開墾して、諸侯を封建し、間に乘じて加摸察加(カムチャッカ)隩都加(オホーツク)を奪(かちと)り、琉球を諭し朝覲會同し比して内諸侯とし、朝鮮を責め、質を納れ貢を奉る、古の盛時の如くにし、北は滿州の地を割り、南は台灣・呂宋(ルソン)諸島を牧(おさ)め、漸に進取の勢を示すべし」。こう書いてある。オーストラリアまで植民地にするのが良いと言うのです。こうした思想から、まさにわれわれの父が戦争に行っていた頃ですが、松陰は大陸南進論の予言者としてもてはやされました。

「いま、歴史は松陰先生の予言どおりに進んでいる。我が日本が大東亜の盟主として君臨しようとしている。世界中のあらゆる民族が天皇を慕って集まり、世界の中心になるのだ」。当時、そういった内容の本が争うように読まれていた。明治政府が植民地帝国として拡大していった歴史を寸分違わず予言し、それを松下村塾で弟子たちに教え、それが征韓論にもつながった。このつながりは、いまだ語られることなく隠されたままです。安倍首相だけでなく、戦後ずっと、吉田松陰安政の大獄における悲劇のヒーロー、明治の先覚者のように描かれてきました。NHK大河ドラマなどを通じて、世間一般にそうしたイメージが浸透させられてもきました。

辺見 吉田松陰はまさに日本帝国主義草創期のイデオローグであり、「國體」の概念を提出した人物ですね。

辺見庸高橋哲哉『流砂のなかで』(河出書房新社,2015)59-61頁)

吉田松陰とはとんでもない野郎だなあと怒りを新たにするばかりだが、異論を知るために、上記の『幽囚録』を評価する保守派と思われる学者・大濱徹也氏のブログからも引用しておこう。

https://www.nichibun-g.co.jp/column/manabito/history/history086/(2015年4月21日)より

松陰の世界認識

 松陰は、日本列島を「常山の蛇」に倣い、欧米列強の侵出に対峙しうる「皇国」の政略を「幽囚録」に描いております。その政略は、危機の時代を的確に把握し、世界認識を提示したものです。

 神州の東を米利堅(メリケン)と為し、東北を加摸察加(カムサツカ)と為し、隩都加(オコツク)と為す。神州の以て深患大害と為す所のものは話聖東(ワシントン)なり、魯西亜なり。(略)
 今急に武備を修め、艦略具はり礮(ほう「砲」)略足らば、即ち宜しく蝦夷を開墾して諸侯を封建し、間に乗じて加摸察加・隩都加を奪ひ、琉球に諭し、朝覲会同すること内諸侯と比しからしめ、朝鮮を責めて質を納れ貢を奉ること古の盛時の如くならしめ、北は満洲の地を割き、南は台湾・呂宗の諸島を納め、漸に進取の勢を示すべし。然る後に民を愛し士を養ひ、慎みて辺国を守るは、即ち善く国を保つと謂ふべし。

 この論は、欧米列強がアジア・アフリカを植民地にしていく帝国主義の時代に対峙し、日本の独立をいかに守るべきかとの想いを述べたものです。この言説は、松陰を帝国主義につらなるものとみなし、その尖兵と論難されがちですが、日本が欧米の植民地となることへの危機感にうながされた政略にほかなりません。松陰には、日本の独立、国権を確立して、「民を愛し士を養ひ、慎みて辺国を守るは、即ち善く国を保つと謂ふべし」と、民権への強き想いがありました。
 ここにみられる松陰の言説は、「開国和親」をかかげる文明化という近代国家の形成を、万国公法といわれた国際法の秩序下、欧化による主権国家としての独立をめさねばならないなかで、日本のとるべき戦略として具体化されていきます。それは、欧米列強が構築した万国公法を旨とする国際秩序のなかで、避けて通れない選択とみなされたのです。

上記の論は私には承服しがたいが、これを引用した理由は、高橋哲哉の引用文と若干の相違があったからだ。その理由は、『幽囚録』が漢文で書かれていたためだった。つまり読み下し文の相違だった。

幽囚録 - Wikisource より

原文

日不升則昃、月不盈則虧、國不隆則替、故善保國者、不徒無一レ其所一レ有、又有其所一レ無、今急修武備、艦略具、礮略足、則宜開-墾蝦夷、封-建諸侯、乘間奪加摸察加隩都加、諭琉球朝覲會同比內諸侯、責朝-鮮納質奉貢、如古盛時、北割満州之地南牧台灣呂宋諸嶋、漸示進取之勢、然後愛民養士、慎守邊、固則可善保一レ國、矣不然坐于群夷爭聚之中、無能舉足揺一レ手而國不替者其幾與、

読み下し

日は升らざらば則ち昃き、月は盈たざれば則ち虧け、國は隆んならざれば則ち替る。故に善く國を保つ者は、徒に其れ有る所を失うこと無からず、又た其れ無き所を増すこと有り。今ま急に武備を修め、艦略具え、礮略足らし、則ち宜しく蝦夷を開墾して、諸侯を封建し、間に乘じて加摸察加隩都加を奪り、琉球を諭し朝覲會同し比して内諸侯とし、朝鮮を責め、質を納め貢を奉る、古の盛時の如くし、北は滿州の地を割り、南は台灣・呂宋諸島を牧め、漸に進取の勢を示すべし。然る後に民を愛し士を養い、守邊を愼みて、固く則ち善く國を保つと謂うべし。然らず坐して群夷が爭い聚まる中、能く足を擧げ手を搖すこと無けれども、國の替ざらん者は其の幾と與なり。

現代語訳

日が昇らなければ沈み、月が満ちなければ欠け、国が繁栄しなければ衰廃する。よって、国を善良に保つのに、むなしくも廃れた地を失うことは有り得て、廃れてない地を増やすこともある。今、急いで軍備を整え、艦計を持ち、砲計も加えたら、直ぐにぜひとも北海道を開拓して諸侯を封建し、隙に乗じてカムチャツカ半島とオホーツクを取り、琉球を説得し謁見し理性的に交流して内諸侯とし、朝鮮に要求し質を納め貢を奉っていた昔の盛時のようにし、北は満州の地を分割し、南は台湾とルソン諸島を治め、少しずつ進取の勢いを示すべきだ。その後、住民を愛し、徳の高い人を養い、防衛に気を配り、しっかりとつまり善良に国を維持すると宣言するべきだ。そうでなくじっとしていて、異民族集団が争って集まっている中で、うまく足を上げて手を揺らすことはなかったけれども、国の廃れないことは其の機と共にある。

うーん。やっぱり「長州極右テロリスト」の妄言としか私には思われない。