kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

内田樹と白井聡の対談本『日本戦後史論』、未読だが批判するために読んだ方が良いかも

吉田松陰についてネット検索していたら、下記の記事がみつかった。

内田樹/白井聡「日本戦後史論」 - 読書日記(2015年5月1日)より

(前略)
ルーツは戊辰戦争

いっぽう内田は、原発事故への対応やTPP交渉を見て、日本の支配者層には、自己破壊、破壊願望ともいえるパセティックな力が働いていると指摘する。そしてそのルーツは、明治維新戊辰戦争にあったという。維新から40年近く経ち、山形有朋、田中義一が死ぬと、長く続いた長州閥が終わり、それまで冷や飯を食わされていた戊辰戦争の賊軍勢力の軍人たちが陸軍の上層部に駆け上がっていく。彼ら「賊軍のルサンチマン」が、戊辰戦争から75年かけて薩長が築き上げてきた近代日本のシステムを全部壊すことになった。彼らが二・二六事件を起こし、日中戦争を始め、対米戦争を始めた。内田は次のように語る。「日本軍国主義は、のぼせ上がった軍人たちが、その権力欲と愚鈍さゆえに国を滅ぼしたというよりも、むしろ彼らの心のどこかに『こんな国、滅びたっていい』という底なしのニヒリズムを抱えていたのではないか、僕にはそんな風に思えるのです。」負けるとわかっている戦争に日本を引きずりこんだ支配者層は、無意識レベルで、破滅を望んでいた…。内田氏らしい、ぶっ飛んだ仮説で、そうかもしれないと思わせる。しかし本当にそうなのかな、という疑問も。この辺りのロジックはきちんと検証してほしいところだ。

幕末と戦前の状況は似ている?

しかし考えてみると、幕末の状況と太平洋戦争に突入していく戦前の状況は似ていないこともないような気がする。「尊皇攘夷」「倒幕」というスローガンに煽られて幕末の動乱に突入していった日本と、負けるとわかっている対米戦争に「鬼畜米英」「進め一億火の玉だ」などのスローガンを唱えながら突入していった日本…。この類似は、内田樹が言うような戊辰戦争における「賊軍」が維新政府に対していだいた無意識レベルの破壊願望なのだろうか?少し前に再読した司馬遼太郎「世に棲む日々」の中で、尊皇攘夷の思想によって熱狂し、藩まるごとが暴走してしまう長州人のことを、太平洋戦争に突入していく日本人の姿と重なるところがあると書いていなかったっけ。本書を再読している時に、たまたま原田伊織「明治維新という過ち 〜日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト〜」という本を発見&購入。こっちのほうに答があるかも…。いま読みはじめたところ。
(後略)

えーっ、内田樹ってそんなこと言ってるの?
内田曰く、

「賊軍のルサンチマン」が、戊辰戦争から75年かけて薩長が築き上げてきた近代日本のシステムを全部壊すことになった。彼らが二・二六事件を起こし、

???
二・二六事件に関与して死刑に処せられた磯部浅一って長州の人でしょ。
上記引用文は、まるで内田が「薩長=正義」「会津などの賊軍=悪」と言ってるかのように読める。山縣有朋田中義一(この2人の長州人に対して、私は強い嫌悪しか催さないのだが)が死んだあと、長州の後継者が陸軍を抑え続けていれば日本は無謀な戦争に突っ込むことはなかったかのような印象を受けるのだが、内田が本当にそんなことを言っているなら、「ぶっ飛んだ」というより、「ルサンチマンに突き動かされる長州閥の独裁者・安倍晋三」に塩を送るようなものだろう。私は「司馬史観」なるものを全然評価しないけれども、これでは「藩まるごとが暴走してしまう長州人のことを、太平洋戦争に突入していく日本人の姿と重なるところがある」と書いたという司馬遼太郎の方が内田樹よりまだマシだ。

これは、本の現物を読んでみて内田が何を言っているかチェックした方が良いかも。

上記の印象通りのことを内田が言っているとするなら、内田樹とは「リベラル」にとっての「トロイの木馬」以外の何者でもないことになる。

ただ、内田樹白井聡の対談本を金を出して買う気までは起きないので、図書館に置いてないかな、と思って調べてみると、置いてあるようだ。借りてみるか。