下記記事の本論とは関係ないのだけれど。
上記リンクの記事で引用されている、2011年の内田樹のブログ記事に書かれている数字はでたらめもいいところだろう。
以下、問題の部分を引用する。
かつてマスメディアが言論の場を実効支配していた時代があった。
讀賣新聞1400万部、朝日新聞800万部、「紅白歌合戦」の視聴率が80%だった時代の話である。
そんな時代が存在した事実はない。
読売新聞の公称部数が1000万部を超えたことはあるが、私の記憶では1400万部はおろか、1100万部を超えたこともなかったはずだ。Wikipediaを参照したところ、その通りだった。
以下引用する。
読売は1994年に公称発行部数が1000万部を超え、2001年には1031万部まで部数を伸ばしたが、これがピーク。私の記憶通り、1100万部を超えたこともなかった。
また、紅白歌合戦の視聴率が80%を超えたことなんか、私が中学に上がってからは一度もなかったはずだと思ったのだが、やはりそうだった。
上記サイトを参照すると、紅白歌合戦の視聴率が80%を超えたのは1972年が最後で、読売新聞の部数が1000万部を超えた1994年以降では、紅白の視聴率は70%を超えたこともない。
つまり、読売の部数のピークと紅白の視聴率のピークは、その時期が20年以上もずれているのだ。
記憶に頼っていい加減なことを書き飛ばしてしまうのは、私自身もよくやらかすので偉そうなことはあまり言えないのだが、いくらなんでも上記2011年の内田樹の記事はひどすぎるだろう。一目で出任せだとわかった。私はプロ野球・新聞を問わず、40年以上前から大の「アンチ読売」なので、読売の部数を3割以上も水増しされたのではたまったものではない。
[追記]
前記内田樹の記事についた「はてなブックマーク」に、下記のブコメがあった。
ネット上の発言の劣化について - 内田樹の研究室
枝葉末節ながら、《筒井康隆の新作を読むつもりで買った月刊誌に谷崎潤一郎の身辺雑記が掲載され》たことが本当にあったのか気になる。筒井が活躍し始めるのは谷崎の死後じゃないかな。
2011/08/02 05:49
谷崎潤一郎の死去は1965年7月30日で、筒井康隆の最初の作品集(短篇集)である『東海道戦争』が発行されたのが同年10月。当初筒井の作品はSF誌に発表されていたと思われるから、「《筒井康隆の新作を読むつもりで買った月刊誌に谷崎潤一郎の身辺雑記が掲載され》たことが本当にあったのか」は、極めて疑わしいというほかなかろう。
内田樹は、あり得ないことばかり想定している。