kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

内田樹は「考えの浅いお調子者」に過ぎない

2週間前に下記記事を書いた。

内田樹と白井聡の対談本『日本戦後史論』、未読だが批判するために読んだ方が良いかも - kojitakenの日記(2016年4月9日)より

(前略)
えーっ、内田樹ってそんなこと言ってるの?
内田曰く、

「賊軍のルサンチマン」が、戊辰戦争から75年かけて薩長が築き上げてきた近代日本のシステムを全部壊すことになった。彼らが二・二六事件を起こし、

???
二・二六事件に関与して死刑に処せられた磯部浅一って長州の人でしょ。
上記引用文は、まるで内田が「薩長=正義」「会津などの賊軍=悪」と言ってるかのように読める。山縣有朋田中義一(この2人の長州人に対して、私は強い嫌悪しか催さないのだが)が死んだあと、長州の後継者が陸軍を抑え続けていれば日本は無謀な戦争に突っ込むことはなかったかのような印象を受けるのだが、内田が本当にそんなことを言っているなら、「ぶっ飛んだ」というより、「ルサンチマンに突き動かされる長州閥の独裁者・安倍晋三」に塩を送るようなものだろう。私は「司馬史観」なるものを全然評価しないけれども、これでは「藩まるごとが暴走してしまう長州人のことを、太平洋戦争に突入していく日本人の姿と重なるところがある」と書いたという司馬遼太郎の方が内田樹よりまだマシだ。

これは、本の現物を読んでみて内田が何を言っているかチェックした方が良いかも。

上記の印象通りのことを内田が言っているとするなら、内田樹とは「リベラル」にとっての「トロイの木馬」以外の何者でもないことになる。

ただ、内田樹白井聡の対談本を金を出して買う気までは起きないので、図書館に置いてないかな、と思って調べてみると、置いてあるようだ。借りてみるか。

この記事を書いたあと、図書館で問題の本を借りてきて、翌日(10日)さっそく読んだ。


日本戦後史論

日本戦後史論


内容の薄い本なので短時間で読めたが、別に改めて記事にする価値もない本だと思ったのですぐには何も書かなかった。しかし今日(23日)が返却日なので、読んでいて問題だと思った箇所を(あまり気が乗らないが)記録しておくことにした。その箇所を引用する前に、内田樹という人は東京生まれだが内田家は庄内会津の血族とのことで(140頁)、心情的には反薩長で東北にシンパシーを持つ人であるらしいことを注記しておく。

さて、内田樹曰く

 一九二二年に山縣有朋が死に、田中義一が一九二九年に死んで、戊辰戦争以来陸軍を支配していた長州閥が終わります。それまで陸軍は長州出身者のための特権的なキャリアパスがあったわけですが、それがなくなる。すると、その空隙を狙ってそれまで冷や飯を食わされてきた軍人たちが一気に陸軍上層部にのし上がってくる。これがほとんど「旧賊軍」の藩から出てきた人たちなんです。真崎甚三郎は佐賀(官軍じゃん!=引用者註)、相沢三郎は仙台、相沢に斬殺された永田鉄山は信州、東条英機は岩手、石原完爾は庄内、板垣征四郎は岩手。いずれも藩閥の恩恵に浴する立場になかった軍人たちが一九三〇年代から陸軍上層部に駆け上がってきます。

 だから、あの戦争があそこまで暴走したのは「賊軍のルサンチマン」が少なからず関与していたのではないかと僕は思っています。結果的にこの人たちが戊辰戦争から七五年かけて薩長勢力を中心にして築き上げてきた近代日本のシステムを全部壊すことになった。大日本帝国に対する意識的な憎しみがないと、なかなかあそこまではいかないのではないか、戦争指導部はたしかに多くの戦術的失敗を繰り返しましたけど、それほど無能な作戦立案者や司令官を輩出させたというところに、僕は無意識的な悪意を感じずにはいられないのです。彼らはどこかで日本全体の国益を見失って、もっと「狭い」何かに殉じようとした。だいたい、皇動派と統制派の戦いというのは、ポスト争いですからね。ふつうの会社でも、派閥はあるし、ポスト争いもある。でも、人までは殺さない。軍内部の人事異動(直接には真崎甚三郎教育総監の更迭)の「黒幕」だという風説を信じて相沢三郎は永田鉄山を斬殺した。それだけ教育総監というポストは重要なものだった。それは統帥権の中枢にかかわるポストだったからです。

内田樹白井聡『日本戦後史論』(徳間書店,2015)41-43頁)

せっかくの内田センセイの力説だけれど、真崎甚三郎の佐賀って「賊軍」なのかよ、とまず引っかかる。

ただ、内田樹が言っている陸軍の長州閥の解体そのものは歴史的事実であって、この対談本を読み飛ばしたあとに読んだ船戸与一の小説『風の払暁 - 満州国演義一』(新潮文庫,2015)にも出てきた。船戸与一の小説は全9巻からなる大河小説で、著者が亡くなった昨年(2015年)から文庫化が始まり、現在第6巻まで新潮文庫から出ている(6〜8月に残りの3巻が刊行される)。


風の払暁 満州国演義一 (新潮文庫)

風の払暁 満州国演義一 (新潮文庫)


内田樹の立論がおかしいのは、それを「賊軍のルサンチマン」なんぞに短絡してしまったところにある。なぜ内田がこんな説を立てたのかと訝ったが、白井聡との対談本を読み進めていくうちに、内田が「司馬史観」を前提にしているせいだとわかって呆れてしまった。内田と白井の対談本から内田の言葉を再び引用する。

(前略)司馬遼太郎は近代史一二〇年の「四〇年説」を唱えています。明治維新から日露戦争までの四〇年が「坂の上の雲」をめざした向日的な時代だった。そのあと、陸軍参謀本部が支配した「魔の四〇年」があって、敗戦からあとまた「もとのまっとうな国のかたち」に戻って四〇年が経過した、そういう物語を『この国のかたち』で論じていました。司馬遼太郎ができるだけましな「作話」によって戦後日本を正当化しようとしたその意図は壮大だったし、僕は深い共感を覚えるのですが、問題はこのときに日露戦争から敗戦までの四〇年間を日本が本来のかたちから逸脱した畸形的な「鬼胎」の時代として切り捨てようとしたことです。日本の国のかたちが維新後四〇年で突然変わってしまったというのは現象的にはその通りなんですけれど、僕の解釈ではあれは突然ではなく、戊辰戦争から後四〇年間にわたる賊軍差別・東北差別という事実の経時的な結果なんです。なるべくしてなった。起きるべくして起きたわけで、「鬼胎」でもなんでもない。戊辰戦争の後始末の失敗が生み出した「嫡出子」なんです。明治政府によって「賊軍」とされて冷遇された人たちが戊辰戦争の「敗戦を否認」して「明治レジームからの脱却」を企てた。それが明治政府が作り出したものをすべて破壊するというかたちで次の敗戦をもたらした。

内田樹白井聡『日本戦後史論』(徳間書店,2015)152-153頁)

はっきり言って上記の引用部分をタイプするのは退屈かつ苦痛だった。内田樹はどうしてこんなまだるっこしい論法を使うのだろうか。司馬遼太郎

日露戦争から敗戦までの四〇年間を日本が本来のかたちから逸脱した畸形的な「鬼胎」の時代として切り捨てようとした

のはおかしい、という内田の意見には同感だが、それを批判するのであれば、

明治維新から日露戦争までの四〇年が「坂の上の雲」をめざした向日的な時代だった。

という、現在でもよく批判の対象とされている「司馬史観」の核心部を批判するだけで良いのではないか。その「司馬史観」の核心部をあくまで「保守」しようとするから、あとの論理がごちゃごちゃになって、「賊軍のルサンチマン」なる、「庄内会津の血統」の人間であるらしい内田樹の「身内」たちの耳にも不快に響くに違いない仮説を持ち出す羽目に陥るのだ。だから、前回も引用した下記ブログ記事に懐疑的な感想を書かれてしまう(以下再掲)。

(前略)内田氏らしい、ぶっ飛んだ仮説で、そうかもしれないと思わせる。しかし本当にそうなのかな、という疑問も。この辺りのロジックはきちんと検証してほしいところだ。

幕末と戦前の状況は似ている?

しかし考えてみると、幕末の状況と太平洋戦争に突入していく戦前の状況は似ていないこともないような気がする。「尊皇攘夷」「倒幕」というスローガンに煽られて幕末の動乱に突入していった日本と、負けるとわかっている対米戦争に「鬼畜米英」「進め一億火の玉だ」などのスローガンを唱えながら突入していった日本…。この類似は、内田樹が言うような戊辰戦争における「賊軍」が維新政府に対していだいた無意識レベルの破壊願望なのだろうか?少し前に再読した司馬遼太郎「世に棲む日々」の中で、尊皇攘夷の思想によって熱狂し、藩まるごとが暴走してしまう長州人のことを、太平洋戦争に突入していく日本人の姿と重なるところがあると書いていなかったっけ。本書を再読している時に、たまたま原田伊織「明治維新という過ち 〜日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト〜」という本を発見&購入。こっちのほうに答があるかも…。いま読みはじめたところ。(後略)

なんと、司馬遼太郎の方がまだしも長州に対する批判的な視座を持っており、「司馬史観」を一部批判しようとした「庄内会津」の血統を持つ内田樹の方が

戊辰戦争における「賊軍」が維新政府に対していだいた無意識レベルの破壊願望

を言挙げするという倒錯に陥っているのだ。こんな内田樹が(最近はやや翳りを見せているとはいえ)「リベラル」に絶大な人気を誇る一方、明白な右翼である原田伊織が『明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』でラディカルな長州批判を展開していることもまた大いなる倒錯だと私には思われる。


明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト

明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト


他にも、内田樹が陥っている無批判なドグマとして、「小沢一郎鳩山由紀夫は『自主独立派』」だという、例の「孫崎史観」がある。白井聡との対談本にも、内田がこのドグマを無批判で使っている箇所が散見され、そのくだりを読むたびにうんざりさせられた。

ともあれ、この白井聡との対談本を読んだことで、私の「内田樹観」はひとまず固まった。それは、「考えの浅いお調子者」という評価だ。私は内田を、たとえば岸信介佐藤栄作を「自主独立派」として賞揚した孫崎享のような確信犯的な人間とは思わない。そうではなく、単に考えが浅いだけの人間なのではないか。内田樹マルクスに関する蘊蓄本をよく書くが、そこにマルクスの言葉として書かれているのと全然違うことをマルクスは書いていると、元マルクスボーイのノビー(池田信夫)に批判されたりしている。そういう時にはたいていノビーが正しく、内田樹が間違っている。その実例も私は知っている。そんな内田樹安倍晋三を「反知性主義者」だと言って批判するが、内田がそう言う時、内田は安倍のことを「バーカ」といって批判している。しかし、「反知性主義」とはそういう意味の言葉ではない。よく「身体的思考」を云々する内田樹の方が「反知性主義」的であって、なおかつそのような文脈で言われる「反知性主義」とは何もネガティブな価値判断が込められた言葉ではない。左記のような批判が内田樹に対してなされることがあるが(たとえば山形浩生氏)、その指摘も正しい、つまり内田樹は「反知性主義」という言葉を誤用していると私は思う。

以上述べたように、内田樹とはその意見を真面目に取り上げるに値しない論者だ、というのが私の結論だ。今後は今回のようにしゃかりきになって内田樹を批判する記事を書く機会がないことを願いつつ、駄文を終わりにしたい。