kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

熊本・益城町で震度7 熊本市震度6弱 9人死亡(熊本日日新聞)

昨夜(4/14)は帰宅して昨夜のままのTBSをつけたら、まだNEWS23の時間ではないはずなのに報道番組みたいな男のアナウンサーの声が聞こえてきて、変だなと思いながらテレビ朝日に替えると、熊本の地震のニュースをやっていた。それでTBSでもあんな音声が、と思ってTBSに戻すと、膳場貴子の後任の皆川玲奈や岸井成格の後任の星浩が出ていて「特別報道番組」をやっていた。昨夜はずっと地震のニュースしか見ないうちに寝てしまったから、田母神俊雄の逮捕もヤクルトが読売に勝った(といっても開幕戦でにっくき読売に喫した3連敗のお返しが2勝1敗では大いに不満!)ことも今朝になって知った。

各メディアの地震のニュースからは、地元の熊本日日新聞の記事を選んだ。

熊本のニュース | ニュース | 熊本日日新聞社

益城町震度7 熊本市震度6弱 9人死亡
2016年04月15日

 14日午後9時26分ごろ、益城町震度7熊本市などでも震度6弱となるなど熊本県を中心に西日本の広い範囲で強い揺れを観測した。県内では午後10時7分ごろにも震度6弱を観測するなど、その後も余震とみられる強い地震が続いた。県災害対策本部によると、15日未明までに県内の病院で9人の死亡が確認された。

 気象庁によると、日本国内で震度7を観測したのは東日本大震災の2011年3月11日以来。蒲島郁夫知事は14日午後10時40分、自衛隊益城町への災害派遣を要請。九州各県の消防に緊急消防援助隊の派遣を求めた。15日午前2時現在、県内の避難者は約2万3千人。

 益城町では、家屋が10戸以上倒壊して多くの住民らが下敷きになったとみられる。熊本市でも一部で家屋など倒壊。病院で手当てを受けた人は少なくとも100人以上に上るとみられる。

 JR九州によると、九州新幹線熊本市熊本駅─熊本総合車両所間で、下り回送列車が脱線。新玉名駅近くで緊急停車した影響で乗客58人が同駅まで歩いて移動した。15日は始発から運転を見合わせる。

 県内の九州自動車道、南九州道は通行止め。一般道では陥没や亀裂が生じた。一部では停電、断水も続いている。15日の休校を決めた小中高校も相次いだ。

 気象庁によると、震度7地震震源地は熊本地方で、震源の深さは約11キロ。地震の規模を示すマグニチュード(M)は6・5と推定される。後から発生した震度6弱地震は余震とみられ、その後も各地で強い地震が続いた。

(くまにちコムより)

昔は「震度7の判定は震度6までとは異なり、気象庁の機動観測班が後日行う実地調査に基づく判定に限られ、具体的には「家屋倒壊率30%以上」などの基準が設けられていた」(Wikipedia「気象庁震度階級」より)。そのさらに昔は震度7はなかったのだが、震度7が創設されたのは「家屋倒壊率90%を超えた地区があった1948年(昭和23年)6月28日の福井地震の被害を、震度6では適切に表現できないのでは、という声が上がったからだとされている」(同)。1995年に起きた阪神淡路大震災の「震度7」は、この基準で決定された。その通り、神戸や阪神間の家屋が激しく倒れていた。

それをよく覚えているから、テレビに映し出された熊本市中心部のアーケード街の映像を見て。あれっ、これでも震度7なの?、とか菅義偉が「震度7強」と言っているのを見て、震度7って家屋の倒壊率で決めるんだろ、「震度7強」なんてないんじゃないのかと思ってしまったのだが、調べてみると「震度7強」は確かになかったけれども、今の「震度7」は震度計による測定値で決定される。この方式に切り替わったのは阪神淡路大震災翌年の1996年であり、それが初めて適用されたのは2007年の新潟県中越沖地震だった。そういえばそうだったな、とやっとこさ思い出したのだが、人間歳をとってくると昔の記憶ばかりよく覚えていて、少し前の記憶は曖昧になっている。

なお新潟の地震のあと、言うまでもなく2011年の東日本大震災があり、今回の熊本の地震で「震度7」は4例目とのことだ。

今回の地震は浅い震源直下型地震だから、益城町の被害は激甚であって、昔の基準でも「震度7」に該当したのではないかと想像される。だから私は「益城町震度7」との見出しがついた記事を選択した。同様の見出しは読売もつけていたが、熊本日日新聞と読売との選択で私が読売を選ぶはずがないのは当たり前である。

遅ればせながら、被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。