6月はくそ忙しかったりヤクルトが弱かったりで(今夜も読売に負けて5位中日との差を広げられた。腹が立つ)、散々だった。
むしゃくしゃするので、6月19日に発信された原武史の下記ツイートに八つ当たりしておく。
「平成は大地震が起きると必ず犠牲者が出たが、今回の地震は震度6強でも犠牲者が出なかった。改元の効果が表れている」と言う人はいないのだろうか。
— 原武史 (@haratetchan) June 19, 2019
「平成」の時代にも、震度6強だったのに犠牲者がでなかった地震があったんだよ。2000年10月6日に起きた鳥取県西部地震がそれだ。
めんどくさいからWikipediaから引用する。
概要
1996年の震度階級改正以来初めて震度6強を記録した。気象庁マグニチュードが7を超す大地震だったにもかかわらず、何人かは生き埋めとなったが救助され、死者は無かった。これは、震源地が山間部であったことや市街地の一部を除き、人口が密集していない地域であったこと、積雪の多い地域のため頑丈な造りの民家が多かったこと、そして地盤が比較的強固であったことも挙げられる。
鳥取県ではこの地震の二ヶ月前に震度6強の震災が鳥取県西部で発生することを想定して防災訓練を実施しており、訓練の成果として地震発生から10分後には行政および消防当局が対策を実施することができた。しかし、境港市街の液状化を始め、日野町、米子市などで住宅の倒壊、損壊など物理的な被害は顕著であった。また震源地が大山にほど近い事もあり大山の噴火も懸念されたがまったく火山活動は無く、津波は観測されていない。
当時私が住んでいた岡山県倉敷市でも震度4を記録したらしいが体験していない。休暇をとって北アルプスの山の中にいたからだ(翌日、槍ヶ岳の山頂を踏んだ)。地震がは山小屋の主人に聞いて知ってびっくりしたが、3日後に帰宅したら何も変わっていないし、死者も出なかったらしいと知って拍子抜けした。しかし、上記Wikipediaにも記載されている通り、物的損害は決して小さくはなかった。
とはいえ、この地震によってこの年の6月上旬の山開きの日(2000年6月4日)に登ったばかりだった伯耆大山の標高が1メートル低くなったくらいの大地震だったのだ*1。万一大山が噴火していたら大変な損害を引き起こしただろう。島根原発もどうなっていたことやら。
2000年の鳥取県西部地震でも今回の新潟の地震でも、死者が出なかった最大の要因は、当たり前だが過疎地で起きた地震だったからだろう。