kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

続・「保守」の正体

この日記に寄せられたコメントによると、石破茂が「保守とはイデオロギーではなく感覚」だと宣ったとのことだが、私見では「感覚」ほどたちの悪いものはない。

日本軍の兵士を次々と死へと追いやった辻政信だの牟田口廉也だのといった輩は、まさに「感覚」というか感性の赴くままに好き勝手な(=根拠のない楽観的な見通しに基づいた)「作戦」を立てたというべきだろう。現実離れしていて、かつ自軍の兵士の人命を全く顧慮しない奴らの「作戦」によって犬死にさせられた兵士たちにとっては取り返しのつかないことだった。然るに、現在でも検索語「作戦の神様」でググると、辻政信が筆頭で引っかかる(私はこれを確認した時頭に血が昇った)。半藤一利が「絶対悪」と評した辻政信を「つじーん」などと親しげに呼ぶ軍事マニアないし日本軍マニアも未だに少なからず存在するようだ。

そもそも、石破茂が本当にそう言ったとすれば、石破は「イデオロギー」よりも「感覚」の方が上等だ、という「感覚」を持っているとみなして差し支えないようだ。しかし私にはそんな「感覚」は「イデオロギー」よりもっと危険だとしか思われない。「感覚」とやらと比較すれば、まだしも「イデオロギー」の方が、少なくとも100倍は上等であろう。