kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「保守」の正体

今日も「きまぐれな日々」は更新できない。その代わりと言ってはなんだが、加藤紘一の訃報に関して未明にいただいたコメントを紹介する。2000年の「加藤の乱」に関するもの。

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20160911/1473551123#c1473610951

id:murharnstkt 2016/09/12 01:22

目先の秩序回復にとらわれた野中広務古賀誠のつまらない判断と行動が、崩壊の時代の扉を開いた。そして、彼らはいまだにそれを認める勇気もない。
自他ともに認めた叩き上げの重鎮だったが、高度に政治的な判断力を要求される政治的経験にさらされたことは一度もなかったのではないか。自民党政治とは、空気に縛られ惰性に流されているだけの者が自らは政治の現実と情理を知り尽くしていると信じ込めるような、その程度のものだったのだろう。守勢に回った後の旧竹下派の体たらくを見れば、実にあきれた叩き上げというほかない。
政治においては、意志と知性のひ弱さは、それ自体で罪である。


野中広務はその前の1999年の自自連立で、それまで蛇蝎のごとく忌み嫌っていた小沢一郎と「悪魔とでも手を組む」とかなんとか言いながら、小沢一郎率いる自由党の要求を受け入れて、1999年の国会で防衛(軍事)・安全保障に関する悪法を次々と成立させた(当時の小沢一郎は保守政治家の中にあっても群を抜いてタカ派的傾向の強い政治家だった)。昨年安倍晋三が強引に成立させた安保法は、上記小渕政権時代の悪法の延長線上にある。また、古賀誠は2012年の自民党総裁選でも谷垣禎一を引きずり下ろしてあの無能な石原伸晃を総理・総裁に押し上げようとして失敗し、安倍晋三の総理・総裁復帰を呼び込んでしまうという超弩級の誤りをやらかした。

彼らを改めて批判すべきであるのは当然だが、それに加えて私がこのコメントをご紹介しようと思った本当の理由は、赤字ボールドの部分にある。

「空気に縛られ惰性に流されているだけの者が自らは政治の現実と情理を知り尽くしていると信じ込めるような、その程度のもの」というのは、狭く「自民党政治」に限定しなくても、現在猫も杓子も(民進党代表選の3人の候補全員が)念仏のように唱えている「保守」(「ホシュ」と書くべきかもしれない)の正体だと思ったからだ。

彼らは何かというとエドマンド・バークに言及したがるが、フランス革命以前には英国王・ジョージ3世(議会政治に抵抗して強権的な政治をしようとした、独裁志向の強い国王だった)を批判する自由主義者として知られていたバークが、今日本で「保守」を自称する人間に言及されていることをあの世で知ったら、「お前らと一緒にしてくれるな」と激怒するのではないか。

今の日本の「保守」とは、単に惰性(イナーシア=慣性力)の作用するままに身を任せるだけの怠惰な態度、というかどうしようもない怠け者のことを言うんだよ、と強く思う今日この頃。奴らは、戦争をずるずる継続させた戦時中の日本の大半の人間たちと根を同じくしていると私はみなしている。