kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

悪魔・小沢一郎と組んだ過去を悔やむ野中広務(朝日新聞インタビューより)

朝日新聞(7/18)オピニオン面に野中広務のインタビュー記事が大きく出ている。タイトルは「老兵は闘う」で、「集団的自衛権行使 公明はなぜ折れた ブレーキ役を担え」との見出しがついている。

しかし、当エントリでは、野中広務のインタビューのうち、小沢一郎に絡んだ部分を取り上げる。以下、野中広務が語った部分を引用する。

 「集団的自衛権の行使容認に至る道のりは、1991年の湾岸戦争から始まっとるんです。日本の関与は当時、財政支援にとどまったけれど、次第に人的な貢献が課題になった。僕が官房長官になった98年、公明党と連立を組む布石として『悪魔にひれ伏してでも』と当時の自由党党首の小沢氏(現生活の党代表)に連立を呼びかけた。しかし、彼は次々と危険な要求を突きつけてくる。そのひとつが、その後の自衛隊の活動範囲を広げる流れをつくった周辺事態法です。今さらいうても卑怯に聞こえるかもしれん。でも僕は金融不安の払拭に一生懸命で、法律が成立したあと『ああ、取り返しのつかんことをしたな』と。悔やんでも悔やんでも、悔やみきれない」
朝日新聞 2014年7月18日付オピニオン面掲載  野中広務インタビューより)

私は野中広務がいかにハト派的発言をしようが、1999年の国会で小渕政権が周辺事態法を含むいくつかの悪法を成立させた張本人じゃないか、と常に野中の悪行を思い出していたのだが、悪法の仕掛け人はやはり小沢一郎だった。そうではないかと以前から想像していたが、その通りであったことを野中広務が認めたわけだ。

また、野中は小沢一郎の名前こそ出していないが、小選挙区制を批判している。以下、その部分を引用する。なお、引用文の最初の部分は、インタビュアー(朝日新聞の梶原みずほ記者)の質問である。

 −− かつての自民党は、宏池会(現・岸田派)に代表されるハト派が、タカ派的な勢力とバランスを保ってきました。今は、首相や内閣に注文や批判をすることはほとんどありません。

 「自民党の多様性が失われてしまったんです。政治改革の名のもと、選挙制度中選挙区制から小選挙区制に変えてしまったから。僕は守旧派というレッテルを貼られたけども大反対した。当尾本部が選挙区の調整やカネの配分に大きな権限を持ち、派閥の存在が薄れた。党総裁である首相の意向に従う議員ばかりになり、党内の左右のバランスは崩れたんです」
 「それを加速させたのが小泉(純一郎元首相)氏だ。あの時、自民党は大きく変わっちゃったね。イラクへの自衛隊派遣に最後まで党内で反対したのは私と古賀(誠・元幹事長)さんら数人。私たちは孤立した。小泉氏が2度目の総裁選を制するとわかり、僕は政界引退を決意したわけですよ」
(同前)

小泉純一郎小沢一郎こそ、90年代から2000年代にかけて、日本の政治を破壊した元凶である。ただし、小泉と小沢のうち、より罪の重いのは小沢であろう。というのは、「政治改革」が議論されていた頃、小泉純一郎小選挙区制に反対していたが、小沢一郎小選挙区制成立の張本人ともいえる人間だからである。

野中広務とは、その悪魔・小沢一郎と組んで致命的な誤りを犯した政治家だったといえるだろう。