kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

復刊された渡邉恒雄『派閥 - 保守党の解剖』(1958)を読む;(上)戦後保守政治とマルクス経済学者

衰えが著しいといわれる88歳のナベツネ渡邉恒雄・読売新聞主筆)だが、1958年に書いた彼の旧著が復刊された。


派閥―保守党の解剖

派閥―保守党の解剖


私は、ナベツネプロ野球の読売球団に関わる以前の1978年頃からの、年季の入ったアンチナベツネであり、2000年以降には、ナベツネが出した本を買って読んでいる。しかし、1999年の『反ポピュリズム宣言』(2000年1月4日に購入した)以前に書かれたナベツネの本を読んだことはなかった。そこに、今回ナベツネの処女作が復刊されたのを書店で目撃したので、買ってしまった。「はてなダイアリー」でこの本を取り上げた人はまだいないようで、私は相当酔狂な人間といえそうである。ウェブ日記には未公開の読書記録を参照すると、7月9日に読了しているが、7月12日付読売新聞の解説面に、この本の紹介記事が出たらしい。いかにもナベツネの独裁支配下にある新聞社らしい振る舞いだ。

本の内容は、56年前の政界読み物に過ぎず、この時点でナベツネマルクス主義から足を洗っていたが、文章の端々に元マルキストらしい言い回しが出てくる。この本は、よほどのナベツネマニアか戦後の保守政治に関心のある人以外はわざわざ買って読むほどの価値はないと思うが、私はその両者に該当するので買った。本書から、興味深いと感じた点を2点について、駄文を書いてみる。

まず、175頁の「『鳩山流産内閣』の顔ぶれ」という項で、公職追放されるとは夢にも思っていなかった鳩山一郎が、

自由党を創立して「鳩山内閣」の組閣にかかったとき、彼の選んだ閣僚名簿が「鳩山一郎回顧録」に書き残されている

という。その中には、大蔵大臣に大内兵衛、無任所大臣に美濃部達吉の名前がある。へえ、戦前に浜口雄幸内閣の統帥権干犯を言い立てていた鳩山一郎が、その同じ時期に軍部や(鳩山一郎の属する)政友会に責め立てられていた美濃部達吉を大臣にしようとしてたのかと思ったが、鳩山一郎は思想的には結構いい加減な人間だったのであろう。なお、鳩山の公職追放は、統帥権干犯を声高に叫んだ件などが理由だったとされるが、鳩山はこれを恨んで、以後反米的なスタンスをとるようになったようである。もっとも、終戦を機に大々的に転向を遂げた政治家はあまたいて、岸信介を筆頭にして鳩山よりもっと悪質な政治家も多数いた。

また、マルクス主義経済学者(労農派)の大内兵衛は、鳩山一郎のほか吉田茂からも入閣の打診があったが、大内はいずれも断っていた。但し、当時のマルクス主義経済学者というか東大経済学部のマル経の教授は戦後の保守政治にかかわっていた。その有名な例は(ナベツネの本には出てこないが)、吉田茂政権時代に傾斜生産方式を立案した有沢広巳(大内兵衛の弟子)であろう。Wikipediaを参照すると、この有沢は、戦時中に治安維持法で起訴されて東大教授の職を失ったあと、大日本帝国陸軍の「秋丸機関」に所属し、欧米と日本の経済比較を行うなどの怪しげな行状でも知られる。このあたりの事実は、立花隆の『天皇と東大』にも書かれている。また有沢は原発推進にも注力し、やはりWikipediaによると、

1986年4月8日の日本原子力産業会議年次大会では、「安全確保に役立っていない過重な付属設備は除去すべきである」と語り、その例として軽水炉の緊急炉心冷却装置をあげ、その設計が「オーバー・デザイン」ではないか、配管の瞬時破断は実際には起こりえない、などとし、「ある面だけ丈夫にしても安全上意味がなく、無駄な投資だ」と述べた*1

有沢広巳とは、まことにとんでもない野郎であった。

とにもかくにも、戦争を挟んで活躍したマル経の学者は、良くも悪くも戦後保守政治に影響を与えていたのだった。大内兵衛社会党左派のブレーンとしても知られた。その社会党は今では見る影もなく、機関紙『社会新報』に、トンデモマルキストの元しんぶん赤旗記者・今田真人の記事を載せるていたらくである。以前にも紹介したことがあると思うが、下記は(社会新報に載った記事ではないが)「『賃金の下落がデフレの原因』論の荒唐無稽」*2と題された、それ自体が荒唐無稽な今田真人の駄文の一部である。

 〈賃金カットは何の根拠もない〉

 では、3番目の因果関係「価格が下がれば…賃金のカットが避けられない」は、どうでしょうか。
 そもそも、労働者が生産する商品の価格(価値)の変動と、労働者の賃金(労働力の価値)のアップ・ダウンとは、直接的な関係はありません。このことは、マルクス主義経済学のイロハです。〈注1*3
 商品の価格(価値)=売上高=は、その商品の生産に投入された労働の量(労働時間で測る)で決まります。
 一方、労働者の賃金は、「総売上高」が「労働者の賃金」と「資本家の収入(株主配当・役員報酬・銀行への支払い利息など)」にどう分配されるかという問題であり、労働者と資本家のたたかい、いわば階級闘争で決まるものです。
 需要不足で商品価格が若干下がっても、その商品の価値は変わりません。
 この商品1単位を生産する労働者の労働の量も、変わりません。
 需要不足で1単位の商品価格が下がり、総売上高が若干減ったとしても、労働者の賃金(労働力の価値)を下げる根拠はなく、資本家の収入を若干減らせばいいだけのことです。
 先の1番目の因果関係「賃金が下がれば、勤労者は購買力を失う」のところで触れたように、賃金を引き下げた際に、資本家は収入を増やしています。
 今回、総売上高の減少で資本家の収入が若干減っても、それをあてればいいはずです。
 このように考えれば、商品価格の下落を理由にした賃金の引き下げは、何の根拠もなくなります。

今田真人の理論によると、マルクスは資本家を、自らが経営する企業の売り上げが減っても、自らの取り分を減らして労働者を賃金の低下から守る寛大な存在だとみなしていたことになる。なんと牧歌的な理論だろうか。これでは革命はおろか、それを招くとする労働者の窮乏化も起きようがあるまい。私はマルクスの『賃金、価格および利潤』を読んだことはないが、マルクスが労働力の価格は不変の定数であると唱えていたという話は寡聞にして知らない。たとえば外国から安価な労働力が導入されたりしたら(これは安倍政権が現在やろうとしていることだ)、労働力の価格は当然低下するだろう。しかも、今田真人の理論は、結局富裕層が得をするデフレを擁護しているのだからたちが悪い。

一方、マルクスの労働価値説は成り立たない*4が、資本の蓄積が進むにつれて労働者が窮乏化するという窮乏化理論は今なお有効であるとする見方がある。たとえば元マルキスト新自由主義者池田信夫(ノビー)がそうだ。それを主張するノビーのブログ記事「マルクスは正しかった」*5のタイトルを見て笑ってしまった。というのは、ノビーがかつて原作を書いた漫画本の中に、ハイパーインフレ*6が起きて「金田勝也」という名前の経済学者が「資本主義の終わりだ」「やっぱりマルクスは正しかったんだ」「今まで生きててよかった!」と叫ぶくだりがあるが(下記リンク先の漫画本の57頁)、この漫画本の出版からまだ丸3年も経過していないのに、金子勝をもじったと思われる「金田勝也」ではなく、ノビー自身が「マルクスは正しかった」と自分のブログに書いているのだから。


もし小泉進次郎がフリードマンの資本主義と自由を読んだら

もし小泉進次郎がフリードマンの資本主義と自由を読んだら


上記ブログ記事でノビーは、現在話題のトマ・ピケティを「マルクス主義者」と決めつけて書き、今年12月に日本語版刊行予定のピケティの『21世紀の資本*7の英語版からの重訳による翻訳者・山形浩生氏に小馬鹿にされているが、ピケティがマル経の学者ではなく主流派経済学者であることは確かなようだ。もちろんノビーもそれを知りつつ書いているのだろうけれど。かつて(2007年頃まで)の新自由主義全盛時代、ノビーは多くの信者に取り巻かれて肩で風を切って歩いていたが、2008年頃から新自由主義、そしてノビーに対する逆風が強まった。その間、はてブのコメントを非公開にするなどの措置をとった時期を経て、現在のノビーは自分が書きたいことを自由に書き散らしているのではないかと思われる*8。もっともノビーの意見には賛成できない部分の方が今なお圧倒的に多いけれど。

さて、ずいぶん脱線したが、話を社会党に戻す。かつて自党左派のブレーンが保守政権に影響を与えていた社会党は、社民党と党名を変えた現在では、チンピラの元共産党所属マルキストの駄文を載せても、それに対する内部からの批判が起きないほど弱体化しているということなのだろう。これは、何も世の中が右傾化してマルクス主義が顧みられなくなったという話ではあるまい。マルクスが主に論じていたのは19世紀イギリスの産業資本を中心とした資本制経済のあり方だったから、戦後の荒廃から日本を再建する時代には、マルクス主義経済学者による保守政権の政策への関与が有効だったと思われるが、その後高度成長期が終わり、バブル経済の勃興と崩壊の時期を経て、産業資本よりも金融資本の支配力が強まっていった時期に、それに対応して自党の理論を変容させる必要があったのだ。しかし社会党社民党)はそれを怠り、後身の社民党に至る同党の経済政策は全く磨かれてこなかった。同党は、形だけは社会民主主義を標榜するようになったが、全く内実を伴っていなかった。それが、機関紙がチンピラのトンデモマルキストの駄文を載せて平然としている現在のていたらくを生み出したのであろう。一方で同党が小沢一郎*9と何やら癒着していることは周知の事実である。社民党(旧社会党)はもはや歴史的使命を完全に終えた。私は過去の選挙で何度か社会党社民党)に投票してきたが、今後同党に投票することは二度とないだろう。

以上、長くなったので記事を二つに分ける。後半の記事で紹介したいのは32歳のナベツネが書いた小選挙区制論である。

*1:1986年4月8日付朝日新聞より。

*2:http://masato555.justhpbs.jp/newpage76.html

*3:今田真人はここで、マルクスの『賃金、価格および利潤』を参照せよ、としている。

*4:たとえば、分析的マルクス主義や数理マルクス主義の学者たちは、労働価値説は成り立たないと考えているようである。

*5:http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51896883.html

*6:いかにも反リフレ派のノビーらしい想定だ。

*7:書名は当初報じられた『21世紀の資本論』から「論」が抜けているが、この方が原題に即している。マルクスの『資本論』も正しくは『資本』と訳されるべきであった。

*8:ノビーはマルクスを一種のリバタリアンとしてとらえているようだ。

*9:小沢一郎は、一部から「ルンペンプロレタリアートのアイドル」と揶揄されている。