kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

石破茂を「護憲派」扱いする「安倍信者」と「リベラル」(呆)

自民党総裁選は本当にどうでも良いが、「安倍信者」どもが石破茂を「護憲派」呼ばわりしてこき下ろしているという。下記は神子島慶洋氏のツイート。

https://twitter.com/kgssazen/status/1029321500539510784

石破茂氏がネット右翼にたたかれているようだが、「護憲」というのは事実誤認だろうし、本人も会見で緊急事態条項の新設を明言した。ほかにもテレビ番組で核容認発言していた。そんな石破氏を右派がたたき、左派が賛美するのは、あべこべな感じがする。

3:59 - 2018年8月14日

このツイートにあるように、石破はつい最近も憲法を改定して緊急事態自公を新設したいと言ったばかりだ。いったいこんな石破のどこが「護憲派」だろう、どんな報道に接したらそんな馬鹿げた思い込みが出てくるのだろうと呆れるのだが、その手のことを言っているのは、何も「ネット右翼」(この日記の最近の表現では「安倍信者」)に限らない。いわゆる「リベラル」(この日記の最近の表現では「都会保守」)も同じだ。

下記は、ブログ『日本がアブナイ!』に見られるその典型例。

石破公約は、安倍への当てつけ?「正直、公正、謙虚、透明」&安倍自民、地方・参院選で負けの観測 : 日本がアブナイ!(2018年8月12日)より

(前略)mew(ブログ主の自称=引用者註)は、石破茂氏とは「政治のあり方」とか、経済や社会に関する考え方は7〜8割合うのだけど。何分にも安保軍事に関する考え方が2〜3割しか合わないので、全面的に応援しにくいところがあるのだが。<あと石破氏が15年の総裁選に出なかったのは、罪深いことだと思っている。(-_-)>

 何より今回の総裁選にはよくぞ出馬してくれたと思うし。実際のところ、安倍氏に勝つのは難しいだろうけど、圧力やいじめ、中傷にめげずに、頑張って欲しいと応援している。o(^-^)o

 そして、どうか安倍政権の問題点、政策だけでなく、上から強権をふるって周辺の声に耳を傾けない&不都合なものは隠すような政治のやり方の問題点をどんどんとオモテで語って、国
地方の議員、党員そして国民みんなに「日本は安倍首相のままでいいのか。こんな政治のやり方に党員や国民は納得しているのか」、是非、問いかけて欲しいと願っている。

 まあ、前から書いているように、石破氏はできるだけ現場も見て、また理論的に考えて、周囲の議員にも国民にも、できるだけわかりやすくきちんと説明しようとするタイプなので、ひとりの政治家としては、どちらかと言えば、好きなタイプだしね。"^_^"

 また安保軍事政策では、いわゆるタカ派なのだが。安倍首相&仲間たちのように超保守派ではなく、憲法や日本の戦後体制、社会をきちんと認識した上で、まずは外交重視の安保政策を考えているので、その点では安倍首相より安心できる部分がある。(・・)

安倍首相の場合、戦前志向、国家主義志向が強いため、ともかく現憲法や戦後体制(政治、社会、教育、「個」の人権など)を認めようとせず。それらを破壊して、明治のようにお国のために国民が奉仕して富国強兵を目指す社会を理想としているわけで。そんな人たちが、日本の首相や閣僚+αとして、政府を6年も主導しているかと思うと、ぞ〜っとしてしまう。 _(。。)_ >

 それに、mewは「アンチ安倍自民党」ではあるが、「アンチ自民党」ではないわけで。<とはいえ、自民党を積極的に支持した記憶もないけどね。^^;>

 自民党は政権与党になる機会がある(実際はかなり多い)ことを思えば、しっかりと現憲法の下、国民主権、平和主義、人権尊重の精神を大切にして、その名の通り、自由&民主主義をしっかりと具現化する政党であって欲しいと願っているし。
 ひとりの国民として、政権与党が、今のように、党内でものが言いにくく、逆らえば干されるという感じの、官邸主導の恐怖政治、独裁支配を許すような政党であっては困るのである。(-"-)(後略)

(『日本がアブナイ!』より)

青字ボールドにした部分など、目が点になってしまう。この文章を読むと、ブログ主は「安倍晋三は極右だが、石破茂は『フツーの保守』だ」*1と言わんばかりだ。

これは、全くの事実誤認だ。下記の共同通信電(2018年2月20日)が「安倍信者」や都会保守氏らが事実誤認をしている動かぬ証拠である。

自民党石破茂元幹事長は19日までに、憲法9条自衛隊の存在を明記する改正私案をまとめ、党憲法改正推進本部へ提出した。2012年の党改憲草案をベースに、戦力不保持や交戦権否認を定めた9条2項を削除して「陸海空自衛隊を保持する」と明記した。自衛隊を巡って国会による統制や、最高指揮官を首相とする規定なども盛り込んだ。

一読して明らかなように、石破はあの悪名高い2012年の自民党改憲草案(これは谷垣禎一が野党・自民党の総裁だった頃に策定された)に強く固執している。この改憲草案は、『日本がアブナイ!』が以前から「自民党のアブナイ改憲案」として批判していたはずのものだ。

もっと長文の記事として、昨年8月の下記記事を挙げておく。

石破茂氏 「戦争経験者に納得頂けるような憲法改正を」│NEWSポストセブン

石破茂氏 「戦争経験者に納得頂けるような憲法改正を」
2017.08.08 16:00

 支持率急落に直面した安倍首相は、政局の場面転換を図るように憲法改正へと走りだした。秋の臨時国会改憲案を提出し、来年中に「国民投票」にかけるという“駆け足改憲”だ。

 だが、その内容は政権の公約と大きく違っている。9条を改正して「国防軍」を創設する自民党草案ではなく、9条を残して「自衛隊」を条文に追加するという安倍私案が打ち出されたからだ。自民党草案の9条改正部分の起草委員である石破茂・元幹事長は「改憲議論は粗略にすべきではない」と訴える。

──改憲論議は安倍私案をもとに進もうとしている。国防軍創設を盛り込んだ自民党草案はどうなったのか。

石破:今も自民党憲法改正案は2012年に党議決定したあの草案のままです。安倍総理の提示された内容は、まだ党で正式に議論されていないし、草案を変える手続きは何もやっていない。

 総理が「よく読め」と仰せだからと読売新聞の記事を読み、総理の考えを忖度して議論を進めようというのはいかがなものか。中には、「草案は野党時代につくったから、ピュアな内容のものを出せた。でも、今は与党になった。政治は妥協だからね」という人もいる。

──若手議員は「草案」を理解できていないし、「安倍私案」も読売新聞で読んだだけ。そんな実情で秋の臨時国会改憲案を提出とは拙速ではないか。

石破:以前から私は、1日も早く改正したいと考えている。安倍総理も私も戦争を知らない世代だが、空襲の戦火の中を逃げ惑ったり、原爆でご自身が被ばくしたり家族を失ったりされた方々がまだご存命のうちに、納得頂けるような憲法改正をしなければならないと思っている。

 ただし、早く改正することと議論を粗略にすることとは違う。時間がないなら集中的に討論すればいい。私が知る自民党の伝統は、米価の決定や政治改革などで議論が沸騰した時は議員全員で口角泡を飛ばして明け方3時や4時まで議論し、次の日も朝8時から続け、いったん決まったら、異論なしに結束して賛成する。それが党の活力につながった。

 今、国会議員は夏祭りとか選挙区回りで忙しいかもしれないが、憲法改正は重要な政治課題だ。自民党はこの夏に「禁足令(※注)」を出して全国会議員を1週間くらい東京に集め、総裁の案であろうと草案であろうと、とことん議論すればいい。議論のプロセスを国民に見せることで憲法改正の本気度が伝わり、信頼回復にもつながるはずだ。

(※注)/党が所属国会議員に対して国会から離れることを禁止し、定められた採決や議論に参加することを命じること。禁足令を破ると党から懲罰を受けることもある。

(『NEWSポストセブン』より)


さらに悪いことに、石破茂財政再建原理主義者でもある。これについては、石破自身のブログ記事が証拠としてあげられる。

改めて憲法改正論議など: 石破茂(いしばしげる)ブログ(2017年11月2日)より

(前略)自民党憲法改正草案においては、財政の健全化も新しく盛り込まれています。
 異次元の金融緩和により円安が起こり、外国人投資家がお買い得となった日本の株を買い、株価が上昇するのは自然の成り行きですが、日銀が民間銀行の保有している国債を買い、日銀にある民間銀行の当座預金口座に資金を供給することには自ずと限界があり、地方創生や規制緩和によって潜在的な成長力を最大限に引き出すとともに、医療を主体とする社会保障改革は避けては通れません。経済政策は情緒論に堕することなく、すべて数字を基に議論されるべきです。

(『石破茂オフィシャルブログ』より)

財政再建志向」イコール「福祉・社会保障の政府支出削減志向」であることはいうまでもない。

ここまで見てきた通り、憲法についても経済政策についても、つまり政治思想軸上でも経済政策軸上でも、石破茂は「おじいちゃんができなかった改憲をやりたい」感情ばかりが強くてさしたる思想面でのバックボーンを持たない安倍晋三と比較して、政治思想的にも経済政策的にも強い信念を持ち、いずれにおいても安倍晋三よりずっと「右」に位置づけられる「究極の極右政治家」だと断定できる。

問題は、そんな石破を応援する風潮が、何も前記『日本がアブナイ!』のブログ主氏のような市井の「リベラル」(都会保守)の人たちに限らず、立憲民主党の政治家を初めとする括弧付きの「リベラル」界におけるかなりの大物たちにも広く見受けられることだ。

だから「安倍でなければ誰でも良い」というあり方は危険なのだ。

今の括弧付き「リベラル」は、1970年代の尺度に当てはめれば「極右」以外の何物でもあるまい。

*1:思い出したが、『日本がアブナイ!』はかつて橋下徹を「フツーの保守」と評したこともあった。