kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

杉田水脈と大差ない? 新日本出版社(共産党系)の『愛とモラル』(1976)

 先週のことだが、「野党共闘」の「軍師」と目される中野晃一が下記の呟きを発した。

https://twitter.com/knakano1970/status/1027356508097458176

翁長さんを「本物の保守」と褒めそやすなら、身じろぎせずに共産党と組んでみろよ。コソコソとじゃない、勝手に下りてでもない。それぐらいの判断力と胆力を身につけてから「本物の保守」を語れよ。今がどういう政治状況かわかっていれば、保守から左派までつなげる知恵と勇気を絞るしかないんだよ。

17:50 - 2018年8月8日


 翁長雄志を「本物の保守」と「褒めそやし」たのは枝野幸男だから、上記は枝野と立憲民主党に向けて発した呟きだろう。

 おそらく福山哲郎を中心とした、旧来民主・民進党の惰性で動いているとしか思えない政治家の差配が目立つとともに「下からの」「草の根」民主主義の看板倒れがはっきりしてきた(だからこそ政党支持率も急落した)立憲民主党のあり方は、もちろん大問題だし、私もこのところ繰り返し同党を批判している。

 しかし、「保守から左派までつなげる知恵と勇気」の美名の下で、昨年秋に小池百合子前原誠司による「希望の党」設立工作に加担したあげく、自らの人気が逃げてしまうことを恐れた小池百合子によって弾き飛ばされた小沢一郎を「お帰り」とばかりに「温かく」迎え入れて小沢の責任を不問に付し、あまつさえ岩手3区で小沢への選挙協力までして差し上げた共産党と「市民連合」のあまりにも醜い姿を思い出すと、中野の呟きに賛同する気など全く起きない。

 その共産党に関して、下記くろかわしげる(黒川滋)氏のツイートに注目した。

https://twitter.com/kurokawashigeru/status/1028887352683319296

今も使われているのか知りませんが、私が10代後半の頃の民青同盟および共産党員の性モラルの教科書とも言える「愛とモラル」を待機中に読み進む。高度成長期の科学神話ってこんなことも言っちゃうのかと思う内容。ネトウヨが科学成果をつまみ食いして自説を正当化する感じによく似ています。

23:13 - 2018年8月12日


https://twitter.com/kurokawashigeru/status/1028890556460544002

推奨される話としては、宮本顕治野坂参三の恋愛話ばっかりだし、性マイノリティーに対しては「全く健全ではない」さらに獣姦SMは「人間廃業」みたいな表現も。杉田水脈みたいな世界。浮気も人を傷つけるからダメじゃなくて、集団婚への逆戻りを最大の問題視。婚前交渉も不真面目だとか云々・・・。

23:26 - 2018年8月12日


 うひゃあ、と一瞬驚いたが、でも70年代、80年代の共産党なら大いにあり得るな、とすぐに思い直した。

 アマゾンのサイトを参照すると、『愛とモラル』は共産党系出版社として知られる新日本出版社から1976年に刊行されている。



 この本に1件だけ「アマゾンカスタマーレビュー」がつけられているが、星1つの最低点をつけたこのレビューが笑える。

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2Q8IQTAPND39M

★☆☆☆☆ 封建的性道徳
投稿者 ZYX 2009年12月3日

この本と、同じく新日本新書の『愛と自由』『愛と自立』は、当時民青内で「愛の三部作」と呼ばれ読むことが推奨されたものである。しかしその内容は、婚前交渉を悪としたり、同性愛をも異常視したりと、まったく封建的なものであった。読む価値はまったくないから時間を浪費しないように。


 いやあ、1976年の共産党と2018年の杉田水脈との間にいくらの差もないんだね。

 くろかわしげる氏のツイートからもう1件。

https://twitter.com/kurokawashigeru/status/1028890931024474113

地方議会のなかでは、複雑で大変な思いをしている家庭などへの支援など積極的に取り組んで頭が下がる思いをしていて、現場レベルではこんな思い込みみたいな世界は克服されていると思います。ひとまず自己批判して否定しておいた方がよいのではないかと思ったりして読んでいます。

23:28 - 2018年8月12日


 共産党の地方議員や末端の共産党員の活動には高く評価されるべきものが多いのは事実だろう。

 しかし、そんな彼らを無理矢理服従させるのが「民主集中制」だ。SEALDsをだしにして「市民連合」と共産党小沢一郎が主導して2015年に「野党共闘」が始まって以降の共産党の急速な右傾化によって、「民主集中制」の弊害は、曇りなき、いや曇りの少ない*1目を持つ人間にとっては誰にも明らかになった。

 おそらく、いや間違いなく共産党がこれまでに『愛とモラル』に書かれた内容について自己批判したことなどあるまい。

 それは、100歳になってからソ連のスパイ(それどころかアメリカを含む多重スパイ)だったことが明らかになって共産党から除籍処分を受けた野坂参三*2はともかく、今も党内で偉人とされているであろう宮本顯治のエピソードが書かれているらしいことを根拠にしての私の推測だ。

 杉田水脈顔負けの記述が満載されているらしい、かつての「必読書」の問題点など、それこそ「下からの」「草の根の」批判が出てきて、真剣に議論されるべきなのは当たり前だと私は思うのだが、それを阻んでいるのが「民主集中制」なのだろう。

 マルクスにではなくレーニンに由来していると聞く「民主集中制」の是非も、今の共産党内にいる人間には論じられないのだろうから、せめて党外の人間は大いに議論すべきだ。それをせず、「野党共闘」を強要するばかりではあまりに能がない。それ以前に翼賛的で危険だとさえ思う。これでは、無党派層の心など永久につかめず、いつまで経っても選挙で自公に負け続けるだけだ。

 現状では、自らの誤りを認めたり総括したりすることができない点にかけては、共産党や「市民連合」は、自公与党や民主・民進系(立憲民主党・国民民主党自由党、それに現在無所属の連中)と寸分違わない。私はそう断言する。

*1:誰にだって間違いはあるからね。

*2:野坂参三が終生共産党員だった伊藤きみ=伊藤律夫人=に対して、律の帰国前後からかけた圧力は、人間業とは思えない最低のものだったという。