kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

1980年の衆参同日選挙で「中立・自衛」を唱えていた日本共産党

 ネットで面白いツイートを見かけた。それを紹介する前に、そのツイートが槍玉に挙げた、どうやら「御用人士」であるらしい人間が発したツイートを最初に挙げる。これ自体はごくつまらないものだ。

 

 

 この加藤清隆なる政治評論家の名前を私は知らなかったが、2010年に時事通信田崎史郎の後任として解説委員長に就任した人物らしい。2012年に定年になって「特別解説委員」という名誉職に就いていたが、2014年に慰安婦問題で朝日新聞を攻撃するために退社し、現在は拓殖大学客員教授を務めるという、絵に描いたような右翼人士だ。

 上記加藤のツイートには、野坂参三なんていつの話だよ、という突っ込みが多数入ったが、旧民主・民進クラスタの「軍畑先輩」氏が別の視点から下記の突っ込みのツイートを発した。

 

 

 上記ツイートには2つの画像が貼り付けられているが、右の画像は1980年6月18日付朝日新聞に掲載された日本共産党の広告で、その4日後に投票が行われた衆参同日選挙のための候補者の宣伝だ。また左の画像は、記事の内容や別の記事に「大平内閣」という文言があることから、1980年5月25日付朝日新聞に掲載された記事と推測される。

 後者の記事には下記の見出しがついている。

 

自衛措置検討盛る

共産が発表 「民主連合政府綱領」現代版

憲法改正論議も辞さず

 

 さらに記事のリード部分に続く本文には、

 共産党は、これまで「中立・自衛」を基本政策としており、今回の選挙政策でも「最小限の自衛措置をもつことを展望し将来、国民の合意による法制的措置をとる」と明言している。

と書かれている。

 記事も指摘しているが、これは1980年以前には非武装・中立を党是とする社会党との連携を考慮して自衛措置の議論を棚上げにしていたが、1980年1月に「社公合意」が成立して社会党が「社公民路線」に舵を切ったために共産党がもともとの主張を前面に打ち出したものだ。

 この記事にはうっすらと見覚えがあった。だから懐かしいなとも思ったが、何も日本国憲法の成立時に遡らなくとも、1980年の時点では共産党が「改憲政党」だったという事実を「軍畑先輩」氏は突きつけたものだ。

 

 上記ツイートへの反応も面白い。

 

 

 

 

 まあ今でも共産党の「全千島返還」や香港デモへの連帯感表明などに見られる姿勢は40年前と変わっていないと思わせるが、当時と違うのは小沢一郎や旧民主・民進などの「右側」への配慮が目立つことだろうか。

 最近の共産党の「右転落」は大問題だが、昔の「中立・自衛」については議論の余地があるのではないか。保守側から出された別の案として、南原繁石橋湛山による国連警察への参加の議論も歴史的にはあった。ただ、南原繁はそれを唱えながらも憲法9条2項の改定には反対していた。そのことについては4年前に書いた。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 昔の共産党が唱えた「中立・自衛」か、それとも南原・石橋の「国連警察への参加」か、はたまた昔の社会党の「非武装中立」かという議論は今でもされて然るべきではないかと私は考えるのだが、問題は共産党が過去の自党のありようを「黒歴史」にしたがる傾向が強いことだ。これは「民主集中制」の弊害だろう。

 

 

 9条以外についても、共産党が「脱原発政党」に転換したのが東電原発事故後の2011年になってからであって、原発事故直後には「直ちに原発ゼロというのは現実的ではない」と言っていたのが世論を受けて短期間で「直ちに原発ゼロ」に政策を転換したという例もあるし、少し前にこの日記で取り上げた通り、70年代には同性愛をブルジョアの堕落と断じていた例もある(この弊害は社会党にもあった)。

 また、共産党はプロレタリア作家に「社会主義リアリズム」を強いるという、スターリンと同じこともやっていたらしいのだが、これについてはこのあとに書いて公開する読書ブログの記事に譲ることにして、この記事はここで終わりにする。