kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

南原繁は「憲法第9条第2項の改正」に反対していた

南原繁について調べていたら、ノビー(池田信夫)の記事が引っかかった。ノビーは、1989年に出版された『南原繁回顧録』を引用している。


聞き書 南原繁回顧録

聞き書 南原繁回顧録


池田信夫 blog : 南原繁はなぜ憲法第9条に反対したか(2015年9月7日)より

南原繁はなぜ憲法第9条に反対したか

支離滅裂な一国平和主義を得々と語る木村草太氏や、彼に同調している国分功一郎氏をみると、彼らのような団塊ジュニアには団塊の世代の平和ボケが遺伝したんだと思う。

私の世代は極左内ゲバ連合赤軍を身近に見て、左翼がいかにおぞましいものかを知ったが、90年代以降に大学生活を過ごした世代は、その時代を美しい青春物語として聞かされ、朝日新聞を読んで日教組の「平和教育」の優等生として大人になったのだろう。

彼らも「復初の説」で、憲法の生まれたときに立ち返って、その精神を学んだほうがいい。この点で、憲法制定議会で野坂参三と並んで2人だけ第9条に反対した南原繁の証言は貴重だ。彼は当時をこう回想している。

戦争放棄はもちろん当然なさるべきことですけれども、一兵ももたない完全な武装放棄ということは日本が本当に考えたことか、ということを私は質問したわけです。つまり私の考えでは、国家としては自衛権をもたなければならない。ことに国際連合に入った場合のことを考えるならば、加入国の義務として必ずある程度の武力を寄与する義務が将来、生じるのではないか(p.350)。

つまり南原は一国平和主義をとなえたのではなく、国連中心主義の立場で第9条に反対したのだ。したがって彼は、吉田茂がなし崩しに進めた再軍備には、強硬に反対した。それには憲法の改正が不可欠だと考えたからだ。
(以後は有料記事)


この後ノビーが何を書いているか知る由もないし、また知りたくもないが、この文章だけを見ると南原繁が「9条改憲論者」であるかのように見える。しかし、私の手元には立花隆が編集して2007年に東京大学出版社から出版された『南原繁の言葉』がある。そこには、1962年に南原が「憲法問題調査会」で発表した内容に加筆した「第九条の問題」が収録されている。それを読むと、確かに1946年には共産党野坂参三とともに9条に反対した南原が、1946年及び1962年に9条をどう考えていたのかがわかる。


南原繁の言葉―8月15日・憲法・学問の自由

南原繁の言葉―8月15日・憲法・学問の自由

 

以下抜粋して引用する。

 私が当時、貴族院で第九条を問題としたのは、戦争放棄も軍備廃止も賛成であるが、それが一兵の武力も持たぬことを意味するとすれば、国家としての自衛権との関係をいかに考えるかという点であった。特に説明に当たった幣原国務相の言によれば、たとい自衛のためとはいえ、なまじ日本が僅少の武力を備えても、それが火を呼ぶことになるから、結局、一兵もおかない方が安全であると、それは本会議ならびに委員会において、吉田首相によっても同様くり返し答弁されたところである。そして、そのことは、第九条第二項に、例の「前項の目的を達するため」という修正が衆議院で加えられた後も変りはなく、完全非武装を意味するということであった。(301-302頁)

(中略)

 ただ、当初から今に至るまで抱いている一つの疑問――それを今日提出して、批判を請いたい問題――は、以上述べて来たった関係において、何らかの意味で最小限度の武力を持ち、将来もし不法の侵入または不測の緊急事態が生じたとき、その防止に備える必要はないか。ことに将来、国際連合との関係において、国際的警察力の組織される場合、それに参加するためにも、それは必要ではないのか。それが憲法にかかげる非武装の原則と矛盾せずに、いかにして可能であるかが問題であると思う。(304頁)


     

 そこで、私は率直に一つの提案を試みたいが、およそ、第九条に関しては、(戦力を認めようとする論者の間に=引用者註)現在二つの考えがあるようである。第一は、いわば極右的意見で、主権国家として日本が軍備を持つのは当然であって、国権の発動としての交戦権はもとより、国際紛争解決の最後の手段のためにも必要とするというのである。彼らは、そのために憲法第九条の全面的改正を要求する。この考えを持つ人は国会の中にも相当数あり、憲法調査会の中にも若干あると伝えられる。第二は、とくに自衛権のための軍備を認めようとするもので、その方法に二種の考え方がある。その一つは自衛権行使のための軍備ということを憲法第九条に除外例を設けて明文化しようとするものであり、その二は現在のごとき軍備が自衛権の名のもとに、現行規定においても解釈上可能であるならば、とくに憲法を改正する必要がないとするものである。

 そこで、私の意見は、新憲法における戦争否定と軍備廃止の精神はあくまで維持すると同時に、憲法制定のとき以来問題になっている厳密な意味の自衛のための最小限の武力の保持は警察という名分と機能において認めることである。すなわち、それはあくまで、いわゆる戦争のための軍備でないことが重要である。言いかえれば、単に名義だけでなく、警察的目的と機能から来たる必然の限界と程度がその行動と装備の上にもある筈である。

 新憲法のもとにおいては、周知のごとく、この問題に関し、わが国の辿った過程に三段階あった。最初は終戦後間もなく「警察予備隊」の名によって発足し、次は「保安隊」、そして現在の「自衛隊」に発展したのである。それぞれ法律によって、各段階に応じて、目的ならびに装備が定められている筈である。問題の解決は、将来の「国際警察」の観念につながる警察を前提として、警察の目的及び機能の範囲において考えてはどうか。具体的には、以上の最初の段階の警察予備隊、せいぜい保安隊のある程度にとどめてはどうか。人員についていえば、現在のごとき二十数万にも及ぶ兵力ではなく、十万前後が適当ではないのか。

 以上のごとき範囲と程度においては、日本国憲法における戦争否定と非武装の宣言と矛盾せず、したがって憲法を改正しないで可能であろう。最も重要なことはこの宣言を変更しないことである。(後略)(304-307頁)

(中略)

 かようにして、戦争放棄と完全軍縮は、まさに現実政治の綱領(プログラム*1)となっている。もとよりその達成には時を要するであろうが、何人もこの歴史の動向を変えることは出来ないであろう。そのとき、あたかも同じ綱領と理想を憲法にかかげた日本は、いかなる意味においても憲法を改正し、公然と再軍備する必要はないと思う。憲法第九条第二項に禁止する近代戦における戦力と区別して、狭義の自衛のための最小限の武力は、現行規定のもとにおいても可能であることは、前に述べた。

 第九条を中心とする憲法改正について、何よりも考慮すべきことは、それが海外に与える反響である。現在の時点において、この世界に宣言した不戦・非武装に関する条項の修正は、いかなる形においてであろうと、日本における反動勢力の支配と好戦的思想の擡頭として解釈される恐れが多分にある。殊に、それが東南アジア諸国に与える印象は、決して軽視されてはならないだろう。(307-308頁)


つまり南原繁は、自衛隊が「保安隊のある程度」を持ち、かつ将来的な「国連警察」への参加を見据えた「警察の目的及び機能の範囲において」であれば合憲であるとの解釈に立った上で*2憲法9条2項の改正に反対している。

しかし、ノビーの記事からはそれが読み取れない。ノビーは安保法に賛成する人間だから、意識的に「南原繁=9条改憲論者」の図式を読者に印象づけたいのであろう。

なお、南原繁と同様の主張をした人として石橋湛山がいる。以下、『石橋湛山評論集』(岩波文庫,1984)より。


石橋湛山評論集 (岩波文庫 青 168-1)

石橋湛山評論集 (岩波文庫 青 168-1)

(前略)世界の実情から判断して、国の独立安全を保つのに必要な最小限の防衛力はこれを備える国際義務を日本国民は負うものと信じます。(266頁,「プレスクラブ演説草稿」1957年1月25日)

しかし、それだからとて私は俗に向米一辺倒というがごとき、自主性なき態度をいかなる国に対しても取ることは絶対にいたしません。(同前)

(前略)世界に対しては、国連を強化し、国際警察軍の創設によって世界の平和を守るという世界連邦の思想を大いに宣伝し、みんながそれに向かって足なみをそろえるよう努力する。これ以外に方法はない。(282頁,「日本防衛論」、1968年10月5日号「時言」)


上記の南原繁石橋湛山も、私は2007年に読んだ。そのすぐあとに、小沢一郎が例のISAFへの自衛隊派遣論を唱える「論文」を『世界』に発表した。私はまだ「反小沢」を打ち出す前だったし、本心を言えば自民党時代や新生党新進党時代の小沢の悪行を忘れてはいなかったものの、同年の参院選民主党を圧勝させて安倍晋三を総理大臣辞任に追い込んだ実績と「変わらなければいけない」という小沢の言葉をある程度あてにしていたので、価値中立的に小沢の「論文」を読んだが、残念ながら南原、石橋の二者と小沢とでは、その思想は似て非なるものだと思った。「文は人なり」というが、その「人」について、南原や石橋からは誠実さが感じられたが、小沢の文章から感じたのは、何としても自衛隊を海外派遣したいという強い執念が先に立っていて、それに基づいて理屈を組み立てているな、ということであり、「小沢は本当に心から平和を求めているのだろうか」という疑念だった。当時持った感覚で覚えているのは、「これはとても硬質な文章だな、南原繁石橋湛山の文章とは肌触りがずいぶん違うな」ということだ。もっとも、一応は小沢にも「対米自立」の名目はあった。小沢と南原の関連については、前述の立花隆編集の『南原繁の言葉』に姜尚中が書いた「南原繁憲法九条」に指摘がある(197頁)。しかし、小沢の論文をめぐる議論はすぐに中断された。『世界』に「小沢論文」が発表されてから1か月も経たないうちに、小沢と福田康夫の「大連立構想」が露見し、小沢は民主党代表辞任に追い込まれている。この時、ブログ開設後としては初めて、私は小沢支持派(当時はまだ「小沢信者」といえるほど凝り固まっておらず、対話も可能だった)と意見を異にして、小沢論文ではなく「大連立」の是非についてだが議論を交わした。もちろん私は小沢を批判し、小沢の民主党代表辞任を求める記事を書いた。

例によって話がそれた。一言書いておかなければいけないのは、南原繁加藤典洋の『戦後入門』との関係である。


戦後入門 (ちくま新書)

戦後入門 (ちくま新書)


加藤の言うところの「左折の改憲」の提言は、南原の思想をベースにして、ロナルド・ドーアの2冊の本(『「こうしよう」と言える日本』1993,朝日新聞社、『日本の転機――米中の狭間でどう生き残るか』2012,ちくま新書)と矢部宏治の『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』2014,集英社インターナショナル)の計3冊の本に刺激を受けたものだという。


「こうしよう」と言える日本

「こうしよう」と言える日本


日本の転機―米中の狭間でどう生き残るか (ちくま新書)

日本の転機―米中の狭間でどう生き残るか (ちくま新書)



このうちドーアの2冊は未読だが、矢部宏治の本は読んだものの全く感心しなかった。矢部の本は特に原発について書いた章がひどくて、アメリカの圧力で日本が脱原発に踏み切れないのだと矢部は書くのだが、日本の原発維持とは日本の核武装へのポテンシャルを保つものであることにほかならないから、それを好まないに違いないアメリカが日本の「脱原発」を阻んでいると矢部が考える理由が私には理解できなかったのだった。原発論への違和感ばかりが印象に残っていてそれ以外の内容は実はよく覚えていないのだが、加藤の本によると、矢部は憲法9条2項の改正によって個別的自衛権を認めることを提言していたとのことだ。加藤はこれに南原繁の思想に基づく歯止めをかけ、将来の国連軍への参加(国際連合待機軍)を新第二項に、国連軍に参加する部分を除き、治安出動を禁じる「国土防衛隊」を第三項に、非核三原則を第四項に、外国の軍事基地の禁止を第五項に盛り込むとしている。つまり、矢部案が認める新第2項に歯止めをかけるとともに、南原繁(や石橋湛山)の理想に近づくというものだ。

まず第一に、これを「左折の改憲」というのはおかしいだろう。南原繁石橋湛山もともに、保守の中ではもっとも良質な人たちだとは思うが、明確に「保守」の範疇に属し、「左」とはいえない。加藤の提言は「保守」である南原の思想の上に立つものだ。

それに何よりも、加藤の9条改憲案は、前述の南原繁の指摘(下記に再掲)に抵触する。

現在の時点において、この世界に宣言した不戦・非武装に関する条項の修正は、いかなる形においてであろうと、日本における反動勢力の支配と好戦的思想の擡頭として解釈される恐れが多分にある。


南原繁が言う「現在」とは1962年であり、半世紀以上前のことではある。しかし、当時と比較しても今は「日本における反動勢力の支配と好戦的思想の擡頭」が世界から懸念されている。

そんな時に加藤典洋が提言する「左折の改憲」は、改憲を提言すること自体によって「反動勢力(安倍政権、自民党日本会議など)が主導する反動的な改憲」に手を貸す以外の結果は何ももたらさないと私は考えるのである。

よって、加藤が提言する「左折の改憲」に、私は反対である。

*1:原文では「綱領」にルビ=引用者註

*2:南原の影響を多分に受けたという立花隆も、「自衛隊合憲論に基づく護憲派」である。「立憲主義」を唱える憲法学者でも長谷部恭男は自衛隊合憲論をとる。しかし、樋口陽一自衛隊合憲論はとらないようである。