kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

いっこうに「リベラル・左派」からの批判が出ない池澤夏樹の「左折の改憲」論(=矢部宏治の「トンデモ改憲」論)だが

7日付朝日新聞夕刊に掲載されたコラムを読み終えるや否や、池澤夏樹の朝日新聞夕刊掲載コラム「左折の改憲 考える時」に賛同できない - kojitakenの日記 と題した怒りの記事をブチ上げた池澤夏樹の「左折の改憲 考える時」だが、それから10日経っても、いっこうに「リベラル・左派」からの批判が出ない。私と相性の良くない『世に倦む日日』が池澤を批判したブログ記事は読んだが、ネット検索をかけてもそれ以外の批判記事がなかなか出ないのである。『日本がアブナイ!』が取り上げるはずもないことはよくわかるのだが、村野瀬氏も取り上げていないようだ。「リベラル」が9条改憲論へと雪崩を打つ瀬戸際だと思うのだが。

ようやく見つけた池澤批判の記事を一つ拾っておく。

「左折?右折? 憲法は自動車ではありません。」 - FK元弁護士の雑記帳(2015年4月10日)より

(前略)最後に、9日付*1の「朝日」夕刊「終わりと始まりと」に載った作家の池澤夏樹さんの文章についてコメントしておきたいと思います。池澤さんは、日本国憲法について (1)占領軍が密室で書いて受け入れを強要した、(2)その内容の多くは日本人に書けない良いものだった、護憲派は、(2)を重視して、(1)をないことにしてきたが、(1)を重視して、左折の改憲を考えるべきかもしれない、などと述べています。

 池澤さんには、左折の改憲を考える前に、(1)の占領軍が密室で書いて受け入れを強要したものだとの主張をよくよく吟味された方がよろしいのではないかと申し上げたいと思います。これは佐伯さん*2の主張と本質的に同じですよ。佐伯さんは右から言ったことを、池澤さんは左から言いかえているに過ぎないのではないでしょうか。GHQ草案起草の「密室の10日間」は、天皇から国民に移った憲法制定権力を、国民が行使するのを時の政府が押さえ込んだために起きてしまったことなのです。

 池澤さん、(2)の日本国憲法の内容の多くは日本人に書けない良いものだったというのも少し違いやしませんか。GHQ草案は、高野岩三郎鈴木安蔵らの憲法研究会が起草した憲法草案がモデルとなっていますし、当時の日本政府の中にあっては異色の平和主義者であったといってよい幣原喜重郎の影響も無視できません。さらにGHQ草案から憲法典になるまでには、日本側で真剣に審議されて純日本製にバージョンアップされ、世論の絶大の支持を受けているのです。

 池澤さん、左折の憲法改正などというとカッコいいですが、結局は、右折の憲法改正に吸収されるのがオチでしょう。池澤さんは、外国の軍隊、施設は許可されないというようにする条項を盛り込む憲法改正に言及されていますが、それなら安保条約を破棄したらいいのです。そのように国会で決議できる力を国民が持ってないのに左折の憲法改正なんて、ドンキホーテではないでしょうか。  (了)


私はこの記事に細部では異論があるが、赤字ボールドにした部分は本当にその通りだと思う。

細部で異論があるというのは、たとえば「佐伯さんは右から言ったことを、池澤さんは左から言いかえているに過ぎない」というくだりであって、私には、佐伯啓思池澤夏樹は同じ「右」から物を言っているように見える。もちろん、池澤の自己規定は「左」に違いなかろうが、その思考の中身において佐伯と池澤に差異を見出すことは難しいと思うのである。佐伯よりさらに池澤に近いと思われる保守派は中島岳志であり、中島自身の自己規定も「保守」だが(中島は『リベラル保守』というタイトルの本を出しているが、「リベラル的な要素を持つ保守」という意味だろう)、私の勝手な想像ながら、池澤は中島が保守であるなどとは夢にも思っていないのではないか。つまり、池澤とは「自身をリベラルだと勘違いをしている保守」だと思うのだ。

ちなみに池澤が絶賛した矢部宏治は自らを「中道左派」「リベラル」だとかなんとか書いていたと記憶するが、私には、この男は自らの正体を偽っているのではないかと思えてならない。矢部が売り出した孫崎享は自己規定を表明していないが、岸信介佐藤栄作を絶賛し、山本七平賞受賞歴があることを考えると、間違いなく右翼であろうし孫崎本人もそう自認している(但し「リベラル」相手に商売している都合上明言していない)に違いないと想像している。また、不遇期自費出版本を出した植草一秀は、その本の中で安倍晋三との距離の近さを、小泉純一郎との距離の遠さと対比させている。すなわち、植草もまた明白な右翼とみられる(植草も商売の都合上自らの真の立場を誤魔化していることは確実だ)。孫崎や植草の真の立場を考慮すると、矢部だけが本当の「中道左派」「リベラル」であるとは私にはどうしても思われないのである。

現在、矢部や孫崎や植草は、鳩山由紀夫グループに属するとみられる。彼らと距離の近い位置にいるのが内田樹である。池澤夏樹は、これらのグループのオルグに引っかかったように私には見える。鳩山由紀夫の外交・安全保障に関するコンセプトは、安倍晋三にも似てひたすら祖父の鳩山一郎に対する崇拝に根ざす、歪んだものである。鳩山一郎というのは、戦前に民政党政権を「統帥権干犯」論で攻撃して戦前の議会政治を破壊した人間である。坂野潤治によると、鳩山一郎の「統帥権干犯」による民政党政権攻撃は、一般に北一輝の発案、つまり鳩山は北一輝に利用されたとみる立場が主流だが、そうではなくむしろ鳩山一郎自身が主犯(つまり北一輝は従犯)だったとの「鳩山主犯説」もあるという*3。もっとも北一輝鳩山一郎のどちらが主犯だったかはこの際どうでも良い。北一輝鳩山一郎が同じ側にいたことが問題なのである。幣原喜重郎が本当に「平和主義者」であったかどうかについても私は疑問を持つが、少なくとも幣原が対米戦争を回避しようとしたこと、その幣原を打倒しようとしていたのが北一輝であったこと、及び鳩山一郎北一輝と同じ側にいたことは歴史的事実である。そして、そんな鳩山一郎を崇拝するのが鳩山由紀夫である。こう書くと、風が吹けば桶屋が儲かる式の議論と思われるかも知れないが、幣原喜重郎憲法9条創設の主役だったとまでは私は思わないとはいえ、少なくとも9条創設に一役買ったことは間違いない幣原喜重郎と敵対する側に鳩山一郎が一貫して立っていたという事実はおさえておきたいと思うのである。鳩山一郎は戦後すぐに日本国憲法改正を目指した。鳩山由紀夫とは、鳩山一郎から憲法改正論を受け継いだ政治家なのである。安倍晋三岸信介から憲法改正論を受け継いでいるのと同じことである。

本論で北一輝を引き合いに出したが、最近北一輝に関する本を立て続けに読んだ私としては、池澤夏樹のいう「左折の改憲」とは、北一輝の『日本改造法案大綱』のようなものだとしか思えない。北一輝の『日本改造法案大綱』は、北のシンパ(松本健一渡辺京二など)に言わせれば、その多くが日本国憲法に反映されたという。しかし日本国憲法に反映されていない重大な項目がある。それが軍備である。北一輝は膨脹志向のきわめて強い帝国主義者であった。また、北一輝に関しては、安倍晋三の敬愛する母方の祖父・岸信介が心酔していた人物であることも押さえておかねばならない。そもそも戦後政治において鳩山と岸との距離は、それぞれの吉田茂に対する距離よりずっと近かった。一方、幣原喜重郎吉田茂の後押しによって総理大臣になった人物である。こうして考えると、鳩山由紀夫グループが目指す改憲安倍晋三の目指す改憲に回収されていくことは必然的帰結であるとしか私には思われない。

ここからやっと結論に入る。それは、「リベラル」は鳩山由紀夫グループに騙されてはならないということだ。彼らの狙いは最初から憲法、特に9条の「改正」にある。そのことをまざまざと示したのが矢部宏治のトンデモ本『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』である。これは鳩山由紀夫グループの教義を広めて「リベラル」を「転向」させるためのプロパガンダの書物にほかならない。



今や、鳩山由紀夫小沢一郎同様、政治的には「死んだ」とみなされている。しかし、鳩山由紀夫的思考は、鳩山が小沢と一緒になって菅直人らと激しい政争を繰り広げていた頃には小鳩支持には回らなかった「リベラル」にも今も悪影響を与え続けている。現に池澤夏樹を転向させた。その害毒の強さは、決して侮ってはならない。

*1:東京本社版では7日付。大阪・名古屋・九州本社版については未確認。=引用者註

*2:4月3日付の朝日新聞朝刊に掲載された佐伯啓思のコラム=引用者註

*3:坂野潤治『日本近代史』(ちくま新書,2012)352-355頁