松竹伸幸氏の本はまだ買っていないが*1、いずれ買って読もうと思っている。
とりあえず、「はてなブログ」界の超大物にして2018年の福岡市長選に無所属(共産党推薦)で立候補したこともある紙屋高雪氏のツイートと「はてなブログ」記事をリンクしておく。
ブログを更新。 https://t.co/gyujNTfZFs 松竹伸幸『シン・日本共産党宣言』についての感想です。党首公選についてぼくの思うところを書いています。この本、読んでいくと、ぼくの名前も出てくるんですよね…。
— 紙屋高雪 (@kamiyakousetsu) 2023年1月21日
上記記事で紙屋氏は
数年くらい前までは「やらないほうがいい」派であったが、「やったほうがいい」「やらねばならない」「やってもいいのでは」派の人たちの話を聞いてみて、いろいろ考えるうちに「やったほうがいい」派になった。
と書いている。
福岡市長選に立候補したこともある共産党職員がこのように書いた意味合いは非常に重い。いよいよ共産党も変わろうとしていると感じさせる。但し、それが党執行部のナンバー1やナンバー2の意向にどの程度沿っているかは別問題だ。
こう書くのは、松竹氏の本に対して『しんぶん赤旗』にずいぶん手厳しい論評が載ったからである。
本記事ではそれについて、社民党員・まことん氏の下記2件のツイートから引用しながら取り上げたい。
松竹伸幸氏の日本共産党の党首公選制の主張への「赤旗」の反論を読みました。前半部の「党の規約を踏み破る」との批判は、硬直的に過ぎると思いました。が、後半部の、同氏の安保政策が、共産党の「右」への変質を企図しているとの批判は、外れていないと思いますね。https://t.co/vdc7847k12
— まことん┃しばらくお休みします (@makotonch) 2023年1月21日
私が松竹伸幸氏の「日本共産党の党首公選論」自体は評価しつつも、松竹氏を全面支持出来ないのは、松竹氏の「狙い」は、共産党への忌避感を抱く世論を背景に、「新9条論」「護憲的改憲論」など、共産党や憲法擁護運動を、より「右」に変質させる点にある、と感じるからなんですよね。
— まことん┃しばらくお休みします (@makotonch) 2023年1月21日
1件目のツイートからリンクされた赤旗の論評記事は下記。
上記リンクの論評について、なんでの志位和夫委員長自身がコメントするのではなく、それをリンクする下記ツイートを発信してお茶を濁しているんだ、との批判も少なからず発信されている。
《規約と綱領からの逸脱は明らか/――松竹伸幸氏の一連の言動について/赤旗編集局次長 藤田健》https://t.co/TuXeH3gKHA
— 志位和夫 (@shiikazuo) 2023年1月21日
しかしここでは、松竹氏自身が赤旗の論評にさっそく反応した下記ブログ記事を紹介するにとどめる。
特に下記の文章が目を引いた。
でも、このままでは、藤田さんは「赤旗」に長い論文を書いて私を批判しているのに、私は何も「赤旗」に書けない。これって、「循環型」の現行規約では許されないことだと思います。
出典:https://ameblo.jp/matutake-nobuyuki/entry-12785316856.html
『しんぶん赤旗』がどう反応するか。野次馬根性で申し訳ないが興味津々である。なお弊ブログは共産党だろうが党首が右に向かって全力疾走する立憲民主党だろうが組長が恣(ほしいまま)に独裁権力をふるう×××新選組だろうが大いに議論すべきとの立場だ。これらの中から「本当に変われる政党」が出てくるだろうか。
逆に、もっとも好ましくないと思うのは、共産党系とされるアカによる下記ツイートのような態度である。
なんで支持もしてない政党の党首のことが何でそんなに気になるのかほんと不思議。延々と粘着して論って。
— 𝐄𝐌𝐈𝐋 (@emil418) 2023年1月21日
馬鹿野郎、いったい何を抜かしやがる。そんなこと言ってたら岸田文雄や安倍晋三を野党支持者や無党派層は批判できないし、泉健太は立民支持者以外には批判できないし、山本太郎は×××新選組支持者にしか批判できないことになってしまうぞ。こんなツイートは論外だ。
以下は長いおまけ。
私は必ずしも社民党支持者ではないが考え方はほぼ社民的なので*2、前記まことん氏のツイートにかなり共感するのだが、ただ一点、まことん氏が松竹氏を「右」と論評した一点にだけは違和感がある。というのは私が必ずしも好まない松尾匡の分類によると「内か外かで内を選ぶのが『右』で、上か下かで下を選ぶのが『左』」とのことだから、旧社会党や社民党流の「非武装中立」と、かつての共産党や現在の松竹氏が志向していると推測される「中立・自衛」の違いを「右」「左」の言葉で論評するのは適切ではないと思われるからだ。
この点に関して興味深いのは2016年に松竹氏自身が旧ブログに公開した下記記事だ。
上記記事で松竹氏はかつての共産党が「国民の命を守る」ために「中立・自衛」政策をとるとともに、安全保障政策を立案する上で「立憲主義を守る」、つまり「憲法に合致した手段で戦う」ことを基礎としていたと書いている。
これは、マルクス主義憲法学を批判する立場の学者、たとえば水島朝穂氏らが「マルクス主義憲法学には『立憲主義』の考え方がない」と批判していることへの反論でもあろうかと思う。
弊ブログは2016年に下記記事を公開したことがあった。
以下上記記事から引用する。
なお、長谷川氏の憲法観について、水島朝穂氏が下記のように書いている。以前にもこの日記に取り上げたことがあると思うが再掲する。
直言(6.3) 『あたらしい憲法のはなし』からの卒業―立憲主義の定着に向けて(2)(2013年6月3日)より戦後、日本平和委員会の復刻版(『あたらしい憲法のはなし』=引用者註)が1972年11月3日に発刊された。それには、長谷川正安氏(名古屋大学名誉教授)の「解説」が付いている。きわめて政治的な解説で、日本国憲法とそれをめぐる状況の外在的な批判はあるものの、立憲主義についての理解を助ける叙述は皆無である。それもそのはずで、長谷川氏はマルクス主義憲法学の代表格で、立憲主義に対して当然批判的である。日本国憲法も階級支配の道具であり、その「民主的・平和的条項」は擁護の対象となるが、将来の「民主的権力」が自衛措置を行う際には、9条2項は改正の対象となるという理解である。いかなる権力も憲法に縛られるという発想をとらない以上、「解説」に立憲主義という言葉が出てこないのはある意味で当然だろう。
この水島氏の文章中にある
将来の「民主的権力」が自衛措置を行う際には、9条2項は改正の対象となる
とは、岩波新書には表立っては書かれていない。しかし、下記の文章がそれを暗示する。
(日本国憲法第9条=引用者註)第一項後段が、自衛戦争および自衛権を否定していないという解釈は、憲法制定当時の吉田内閣の解釈であり、私も当時からそれに賛成していた。
(長谷川正安『日本の憲法 第三版』(岩波新書,1994)85頁)(かつては?)共産党系の憲法学者が立憲主義をとらず、将来的な9条2項の改定を視野に入れていたことを、「リベラル・左派」は歴史的事実として正しく認識しておいた方が良いと思う。おことわりしておくが、私はそれが「悪い」とは言うつもりは全くない。ただ、たとえ無知に基づくものであれ、歴史を捻じ曲げるようなことはやるなよ、と言いたいだけである。
出典:https://kojitaken.hatenablog.com/entry/20160528/1464399084
こうした批判に対し、松竹氏はいや、共産党も昔から立憲主義の立場に立っていたと言っていると思われる。
「右」「左」問題からは少し逸脱したかもしれない。
昨今はロシアのウクライナ侵略戦争が大きな問題になっているが、弊ブログも自衛する権利は全く否定しないし、「戦争反対」よりも「侵略反対」を優先させるべきだとはずっとブログ記事に書き続けていることだ。
しかしその一方で、弊ブログは軍事費の大幅な増額自体にも絶対反対である。その最大の理由は、急激な人口減少に見舞われて近未来の経済力に大きな懸念が持たれるこの国において、軍事費を聖域として財政支出の増加を行うことは国家の自殺行為でしかないと考えるからだ。日本の近くにはその悪い見本のような国もある。日本が何よりも優先して行うべきことは国の土台となる経済力の回復であって、その間にやるべきことは軍事費の激増や原発の新増設などといったリスクを拡大させる自民党的逆噴射政策などではなく、民力を高めるための政策立案と財政支出の増額であり、リスクを低減するための脱原発政策であり、戦争を起こさせないための外交努力であろうと考える次第。自民党や維新の政策はそのすべてに逆行するから全く支持できない。維新にすり寄る現在の立民代表・泉健太を全く支持できないのも同じ理由による。