kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

一般紙の発行部数のピークは1990年代後半だったが、赤旗読者数はそれよりも10数年も早く頭打ちとなり、ピーク時からの減り方も一般紙の4割に比べて7割と倍近く大きい (広原盛明氏)

 弊ブログは共産党が2015年に「野党共闘」路線を開始した以降、多少なりとも同党に批判的な記事を書くようになった。それまでの「たしかな野党」時代には、社民(主義者)は科学的社会主義者の党については何も言ってくれるな、という意見を受け入れて批判的論評を控えてきたが、同党が「野党共闘」路線を採るとなればそうはいかない。

 その共産党について、2004年の京都市長選に共産党系候補として立候補した広原盛明氏*1のブログ記事が的を射ているというか、私も普段から薄々感じていたことが整理されて明快にまとめられていることに感心した。

 

hiroharablog.hatenablog.com

 

 引用文をできるだけ切り詰めて、核心部だけを引用しようと思うが、それはブログ記事の終わり近くに書かれた以下の文章だろう。

 

一般紙の発行部数のピークは1990年代後半だったが、赤旗読者数はそれよりも10数年も早く頭打ちとなり、ピーク時からの減り方も一般紙の4割(▲42%)に比べて7割(▲72%)と倍近く大きい。おそらくその背景には、一般的な「新聞離れ」の傾向に加えて「政党離れ」が働いているのではないか――、というのが私の推測である。時代の変化につれて、「国民政党」だといいながら党勢拡大を連呼する赤旗への違和感が大きくなり、共産党権威主義的体質への忌避感も相まって赤旗読者数が激減しているのであろう。

 

党勢拡大運動一本やりの「成長型モデル」の時代は終わった。少子高齢化が加速し、人口が不可逆的に激減していく時代においては、それに柔軟に対応できる「持続可能型モデル」への転換が求められる。(後略)

 

URL: https://hiroharablog.hatenablog.com/entry/20231028/1698438822

 

 そうなんだよな。共産党は明らかに社会の流れから乖離した運動方針を、理想を守ってといえば聞こえは良いけれども実際には惰性力の働きに従って墨守してきた。その矛盾を解消して「130%の党づくり」に代わる新たな目標を掲げる時は、きっと志位和夫体制が終わりを迎える時に違いないだろうし、その時はもうそんなに遠くないだろうとは予想しているのだが、その時になってもなお委員長退任後の志位氏の処遇によっては一時的な延命にしかならないだろうなとも思う。

 たとえば田村智子が後任になったところで、彼女が党の長老たちの言うがままの路線をとるのであれば共産党に明るい未来は訪れない。

 現状の共産党の志位執行部に対しては、宮武嶺氏も下記引用文で批判を行なっている。

 

blog.goo.ne.jp

 

2021年衆院選で立民と共産などが選挙協力したこと自体は肯定的にとらえていますが、枝野代表の立民と志位共産との選挙協力で失敗した部分は「限定的な閣外協力」まで約束したことだと思っています。

それが立憲共産党麻生太郎氏らに揶揄されたのが拙かったのではなく(あいつらは何をしてもディスるのだから)、まだ立民自体に政権構想も政権を取れる見込みがなく、両党が政策面でのすり合わせがあまりできていないのに、今後の両党の協力関係についてだけ踏み込み過ぎました。

あれでは責任ある野党の選挙態勢には見えず、枝野代表も今ではあれを後悔しているように言葉の端々からうかがえます。

それまでも立民は共産に我慢させ続けていたので、志位氏らが共産の支持者の方々に立民との選挙協力をご納得いただくためには、閣外協力という「リップサービス」をせざるを得なかったのだと思っています。

あのとき志位委員長ら共産執行部は「画期的」だと自画自賛し、共産支持者も大前進したと喜び、志位氏らはいまだに成果として誇っていますが、結果としてはぬか喜びになりました。

そして枝野代表はたいした「敗北」でもないのに選挙で負けた責任を取って辞任。志位委員長らは「後退」について全く責任を取りません。

私は志位委員長らが共産が「前進」したという実績を党員らに形として見せるために、枝野代表に「閣外協力」まで言うように強く求めたんだと思うんですよね。

今まで書きませんでしたが、私には当時から強い違和感がありました。

まして立民の代表が枝野氏ではなく泉氏になっているのですから、共産支持者の方には立民に対してはもちろんのこと、今の共産執行部に対してもかなり警戒感を持っていただきたいと思っています。

 

URL: https://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/0de089854e5ef8a09e8ff1e3dec10a0a

 

 引用文中で青字と赤字のボールドにした部分には全面的に同感で、あの選挙の後始末は立民も共産も最低だったとは私も思っている。それをずっと書いてきたから現在では立民支持層からも共産支持層からも総スカンを食っていると思っているけれど。

 枝野前代表時代にも立民の比例票が伸びなくなっていたことは事実で、泉現在票を含む立民右派は、かつての長島昭久細野豪志前原誠司らと同じように、立民党内に「j左バネ」(いわゆる今でいう「立憲共産党」路線)をとってきたからであるとした。メディア各社もその論調に乗ったし、何より旧希望の党泉健太小川淳也がともに選挙以前からの党内権力工作によって、泉は当長老の岡田克也をはじめとする中間派に、小川はサンクチュアリに代表される党内リベラル派にそれぞれ取り入っていた結果、立民代表選は旧希望の党勢に終始主導権を握られ、選挙結果も前記2人のうちより右派的にして新自由主義的である泉健太が勝った。あんな結果になるんだったら、衆院選は宮武さんが書く通り「たいした『敗北』ではない」惜敗だったのだから*2枝野が辞める必要などなかった。ましてや共産の志位委員長は敗北の責任を認めなかった。これでは先が思いやられると思ったものだ。

 宮武さんには

立民と共産の「連携」についてどう書かれるのか楽しみな

とまで書いていただいたのにこれまで反応できずに申し訳なかったが、泉健太の単なる挨拶回りに共産党が「立憲と合意」と発表し、民民の玉木雄一郎が「立憲共産党」だとか言って泉健太との面会を拒否するなど、3党とも何やってんだよとしか思えず、何も書く気になれなかった次第。

 ここらへんに関しては時間もないし月末でもあるので、朝日新聞デジタルの有料記事プレゼント枠(月5件以内)は月が変わったらリセットされるかどうかも知らないけれども、リセットされなくても月5件のプレゼントはなかなかする機会がないので、下記リンクの記事をプレゼントして記事の引用はしないでおく。

 

digital.asahi.com

 

 思えば2019年末には志位和夫玉木雄一郎がピアノの鍵盤を前に談笑する動画を玉木が自身のYouTubeチャンネルで発信したこともあるくらいだから、玉木の「反共」の信念などその程度の「薄っぺらい」ものであることはあまりにも明らかなのだが、もはや自民党というか自らもそれに加わりたい野望を隠せなくなった玉木の民民はもはや論外として、共産にせよ立民にせよ自らが大きく、そして劇的に変わることにしか活路の見出しようがない。そのことは私から見れば自明でしかないのだが、両党ともその方向には向かいそうにない。このところずっとこのことしか書いていないような気もするのだが、何度でも繰り返して書くしかない。

*1:https://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-02-10/02_01.html

*2:泉健太が代表になってからの翌年の参院選の方がよほどひどい惨敗だった。三春充希氏らが指摘する通りだ。