kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

笠谷幸生死去

 1972年札幌五輪金メダリストの笠谷幸生が亡くなった。

 笠谷氏の死去自体よりショッキングだったのは下記の情報。

 

sumita-m.hatenadiary.com

 

兄の笠谷昌生氏、一緒にメダルを獲った金野昭次氏、青地清二氏がみなとっくに鬼籍に入って「故人」となってしまっているということに哀れさを感じる。

 

 えっ、そうなのか。

 調べてみると、笠谷昌生(あきお)氏が2009年没(享年74)、金野昭次氏が2019年没(享年75)、青地清二氏が2008年没(享年66)。

 

札幌五輪」は既に半世紀以上昔の出来事である。「札幌五輪」を回想しているというのは、その頃の(ティーンエイジャーの)私からしたら、大正時代のことを考えているに等しいのだった。因みに、「札幌五輪」の1972年は連合赤軍あさま山荘事件が起り、沖縄が返還された年でもある(Cf. 坪内祐三『一九七二』*2)。

 

 上記に書かれたような思考は私もしばしばやるので、大いに共感した。

 1972年は田中角栄が総理大臣になった年で、秋には日中国交回復もあった。なぜか佐藤栄作が大嫌いだった*1私はこの首相交代に大喜びしたのだった。物心ついた時には佐藤栄作が首相だったから、角栄に代わって本当に良かったと思ったのだ。プロ野球・読売の湯口敏彦が死んだのはこの年だったかなと思って調べてみたら翌1973年だった。私が読売球団に疑問を持つようになったのは湯口の死が最初のきっかけだったから*2、1972年に8連覇した時にはまだアンチではなかった。あとから思い出すとあの年も読売が優勝しやがったんだなとネガティブな印象を持ってしまうので、記憶が多少混濁しているけれども。

 1972年は今から52年前。1972年の52年前は1920年で、元号でいえば大正9年だ。そういえば私が元号に疑問を持つようになったのは、改元で変わってしまったら計算が面倒だよなあと気づいたことがきっかけだった。この頃はまだその意識はなかったが、西洋のクラシック音楽を聴くようになって、その世界では元号はほぼ用いられないことから元号を疑問視するようになったものかもしれない。遅くとも高校生時代の1977年秋には明確に元号不要論を意識するようになっていた。

 元号に関しては下記記事にいただいた檜原転石さんのコメントの通りだと思う。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 檜原転石

元号を使うと、過去を振り返らない悪弊が身につく
「令和4年」「平成26年」「2024年」→「2022年」「2014年」「2024年」
■同じ学校で生徒2人相次ぎ自殺 横浜市教育委 重大事態で調査へ
2024年4月24日 21時43分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240424/k10014432131000.html

横浜市教育委員会横浜市立の同じ学校に通う生徒2人が令和4年度に相次いで自殺していたことを、24日明らかにしました。1人については遺族からいじめの訴えがあり、今後「重大事態」として調査することを検討しています。

横浜市教育委員会は4年前、市内の中学校の2年生の女子生徒がいじめを理由に自殺した問題を受け、平成26年以降に起きた児童・生徒の自殺41件のうち、学校の調査のみで終わっていた事案については、いじめの疑いがなかったか外部の弁護士による点検を行っています。

こうした中、教育委員会は24日会見を開き、41件の中に横浜市立の同じ学校に通う生徒2人が令和4年度に相次いで自殺した事案があったことを明らかにしました。

このうち1人の生徒については遺族からいじめの訴えがあり、いじめ防止対策推進法で定める「重大事態」として今後調査することを検討しているということです。

法律では、いじめによって自殺や不登校などが起きた場合、再発を防止するため速やかに「重大事態」として調査するよう義務づけています。

その調査をまだ始めていないことについて、教育委員会は「遺族の意向を最優先に判断したが、国のガイドラインに合っていないところもあるかもしれない」と話しています。

また、もう1人の生徒については、専門家による詳細な調査をすでに行っているということです。

同じ学校で生徒の自殺が相次いだことについて、横浜市教育委員会は「あってはならない事態で、大切な子どもの命を守れなかったことを深く反省している」と話しています。

 

 ああ、NHKはいまだに国内のニュースでは元号を使ってるんだね。同じNHKでも解説や企画ものでは西暦しか使われていないニュースが増えた印象はあるけど。

 上記コメントは天皇制に関する記事。天王星が自然消滅するかどうかは議論が分かれているようだけれども、少なくとも1972年当時と比較したら、元号の使用頻度が極端に少なくなっていることは、朝日新聞毎日新聞、というか産経(放送ではNHK)を除く一般紙や経済紙で当時の紙面と今の紙面を比較すれば一目瞭然だろう。元号は確実に廃れつつある。

 その流れに強情に逆らっているのが山本太郎元号新選組だ。何度書いたかわからないが、あの党名(組名)は本当になんとかしてもらいたい。

*1:理由はよくわからないが、私は子ども時代のその頃からあの一族を嫌悪していたのだった。

*2:あと、1972年から家で購読するようになった毎日新聞が、それまでとっていた朝日と比較して読売球団にネチネチ絡むような記事をよく書いていた印象があるので(たぶん当時毎日が読売に部数を多く奪われたことと関係があるのだろう)、その影響を受けた可能性がある。