kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

個人崇拝は悪。泉健太だろうが玉木雄一郎だろうが、そして枝野幸男だろうが。個人に縋る運動は必ず行き詰まり、その教祖の思想を巡って内部抗争が生まれます。(レバ子氏のX)

 これは本当にそうだ。

 

 

 2017年の衆院選で熱い支持を受けた旧立憲民主党(私は比例区で投票しなかったし東京15区にはこの政党の候補者もいなかったけど)の党勢が頭打ちになった原因の一つが、枝野幸男を個人崇拝する人間が多数出てきたことだと思っている。これについては当時散々批判した。なお立民失速のもう一つの要因として、枝野が(右側に)門戸を広げ過ぎたことがあった。あれで何をやりたいのかよくわからない政党になった。

 ましてや泉健太のような組織内での権力工作に長けた人物(としか私には思えない)を個人崇拝するのはリスキー極まりない。

 昨年1月にも書いたが、権力者というのは時には心を鬼にして非情な行いをしなければ、権力闘争のライバルに権力を奪われて失速してしまう。だから、たとえ「本当はいい人」であろうが、冷酷非情なことをやらざるを得ないのである。

 昨年1月に公開した記事へのリンクを張っておく。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 個人崇拝というとあそこは、とか、冷酷非情な人事が日常化しているといえばあそこは、とかいろんな話が派生して出てくるが、やめておく。ちょっと私の尻にも火がつきかかっているもので。