kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

支持者向けの説明会で、長妻昭氏は(井戸まさえ氏に対する)全力での支援を約束したが、申し訳ないが、十分だったとは言い難い。(常見陽平氏)

 3連休は年末年始まで続いた仕事の疲れをとる絶好のチャンスだったのに、3日間ずっと泉健太を批判する記事を書き続けたので全然疲れがとれなかった。もちろん自分の意志でやったことだから自己責任そのものではあるが、心情的にはどうしても泉健太を恨まずにはいられない(笑)

 その中でももっとも力を入れて書いたのが下記記事だった。エントリのURLに2023年1月9日午前8時19分3秒のタイムスタンプが残っている。その前の記事が6時9分56秒のタイムスタンプで、その公開直後から書いた記事だから、6時10分頃から2時間ばかりずっと書き続けていた記事だ。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 この記事にはほとんど反応がなかった。泉健太ネトウヨ仕草云々などと書き飛ばしたどうでも良い記事ばかりがバズった。いつもこんな具合だ。

 しかし思いがけず上記記事に下記のコメントをいただいた。

 

 はんわか

ブログ主さんの権力観に同意します。
井戸さんは合意の文書をとるなりしなかったのが
ご自身で認められているように「人がよい」あかしなのでしょう。
正義感や人の良さとしたたかさは両立しがたいものですね。

 

 井戸まさえ氏の人物評はさておき、私の権力観にご賛同いただいたことは心強かった。コメント主は私とは大いに異なり、むしろ泉健太に肯定的な方だと私は思っており、本件の他にいただいた主のコメントは私には同意しがたい内容だったが、それには他にコメントいただいた方の反論があった。これもたいへん良かった。最近は(雲行きが怪しくなってきたとはいえ)Twitterが全盛で、ブログのコメント欄での議論はあまりなくなってきたが、弊ブログはコメンテーター同士の議論は、たとえそれが喧嘩に至ろうとも大歓迎である。

 上記記事で言いたかったことは、権力者は心を鬼にして非情な権力行使をすることが宿命である以上、たとえ支持者であろうが「権力者を疑う」姿勢が欠かせないということだ。

 上記記事にも書いたが、「山本太郎を疑え」とあのポピュリズム政治家(必ずしも悪い意味ではない)も言ったではないか。私は山本のあの発言は彼の本心から出たものであることを信じて疑わない。山本も本心では緊張関係を保ちつつ議論し合う仲間が欲しかったのではないか。しかし皮肉にも、彼の党には特に「イエスマン」ばかりが目立つし、支持層も「信者」としか言いようのない人間の比率が他党とは比べものにならないほど高い。意見が合わない人間は党(組)から出て行くばかりであるようにも見える。山本が共同代表を2人(大石晃子と櫛渕万里)置いたのは、そんな現状に嫌気がさして自らが政界から退く準備を始めたものではなかろうかと私は推測している。

 しかし党の執行部と支持者との間に緊張関係が欠けるのは、何も新選組ばかりではない。「ボトムアップ」を掲げた旧立憲民主党もその理想とはほど遠い枝野幸男の個人商店になっていて、現在立民支持層で泉執行部を批判する人間の多くも枝野のカムバックを願っている。しかし泉の強権的な党運営が枝野執行部に戻ったところで元の枝野個人商店的なあり方のままでは党勢低下に歯止めはかからないだろう。

 党の大きな改革が求められるのはやはり党勢低下が著しい共産党も同じだが、年初からの同党の動きは望ましい方向とはむしろ逆方向に向かっているように見える。

 各党の支持者に求められるのは、山本太郎の言い方を借りれば「権力を疑え」ということだろうか。ここでいう権力とは党執行部のことだ。政策の基本は支持しつつ、常に権力に対するチェック機能を働かせることが肝要だと思う。言ってみれば、政治権力に対するジャーナリズムの本来のあり方みたいなイメージだ。党の指導者たちと支持者たちの間には一定の緊張関係が必要だと思うのである。なぜなら、どんなに「いい人」が党首や幹部を務めていようが、非情な人事件の発動を含む権力の行使をしなければならず、その過程では理不尽なことも生じるからだ。

 最初にリンクした記事で取り上げた井戸まさえ氏の事例でいえば、「非情な人事権の不行使」をやった責任者は疑いもなく泉健太である。権力と関係ない時の泉氏は、あるいは安倍晋三がそうだったといわれているのと同じ「いい人」なのかもしれないが、だからといって「泉さんが(井戸まさえ氏との口約束を違えるような)無慈悲なことはしない」とは絶対にいえない。なぜなら、情に流されるようなことをやっていたら自らの足もとをすくわれ、権力を政敵に奪われてしまうからである。だからこそ、支持者による冷静なチェック機能が絶対に必要なのだ。

 なお、今井瑠々氏の件について書かれた下記記事に、思いがけず井戸まさえ氏の転区についての話が出ていたので以下に紹介する。引用に当たっては今井氏に関する本論は省略する。

 

news.yahoo.co.jp

 

 以下、井戸氏の転区に関する部分を引用する。

 

立憲民主党の女性議員支援は十分だったか?

 

 なお、至近距離で見聞きしてきた立場から、立憲民主党女性候補者擁立の動きについては、強く批判したい。女性候補者を数多く立てたことや、泉代表が誕生した際に執行部の女性比率を高め、パリテを目指したことは評価する。一方で、当選するようにバックアップしないのならば、それは犠牲者を増やしているだけではないか。

 

 私自身、友人の井戸まさえ氏が長年活動していた選挙区から、衆院選直前に転区を打診された一部始終を間近で目撃している。支持者向けの説明会で、長妻昭氏は全力での支援を約束したが、申し訳ないが、十分だったとは言い難い。

 

出典:https://news.yahoo.co.jp/byline/tsunemiyohei/20230109-00332161

 

 井戸に転区後も総支部長につけると口約束をしたのはやはり長妻昭だった可能性が高いようだ。「やはり」というのは私もそうだろうな想像していたからだが、裏が取れないので昨日の記事には書かなかった。

 しかし、井戸氏が発信した下記のツイートで氏に対応したのが誰なのかは想像がつかない。

 

 

 

 特に「某議員」が誰かは全くわからない。私は立民の支持者ではなく、立民の都連が泉体制になってから変わったかどうかも知らなかったのでネット検索をかけて調べたが、今も都連の会長は長妻昭のままだ*1。しかし、権力闘争を十八番(大の得意)にしていると思われる泉健太が表向きのルートとは異なる権力構造を作っている可能性も考えられるから、なおさらわからないのである。仮に某議員が長妻昭であるとしたらとんだ食わせ者だということになる。

 いずれにせよ、井戸氏の一件は「権力を疑え」というテーゼの正当性を示す恰好の例ではないかと思う。