kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

室井佑月が日刊ゲンダイのコラムで酒井菜摘をdisったあと、昨夜遅くXで山本太郎と元号新選組を爆撃しまくった

 下記政治おじいちゃんお化け氏のXをきっかけに、室井佑月日刊ゲンダイに酒井菜摘を批判するコラムを載せたことを知った。

 

 

 私など室井佑月日刊ゲンダイというだけでもうげんなりだが、しょうがないので少し調べてみた。

 本多平直の一件については弊ブログも批判する側に回ってしまった口だが、あの件の事実関係は今に至るまでよくわからない。結局処分は枝野幸男が決めた。私としては事実関係がわからない以上何も書けないので、過去に本多氏を批判した記事は削除もしないで放置している。もちろん本多氏の配偶者が誰かも知っているが、あの件に関しては経緯が今もはっきりしない以上何も書きようがない。

 酒井氏はもう衆院議員という立派な権力者なので、批判されるべきところはされて当然の立場にいる。ただ、一般人時代の2012年に発したツイート(現X)は、2012年という悪夢の年(読売なんとか軍が最後に日本シリーズに勝った年でもある)の空気がよく現れているよなあと思った。あの年には自民党の第2次憲法草案がまとめられた。石破茂などはあれに心酔していたとんでもない右翼だ。一方、2014年の都知事選に勝った舛添要一は、その翌月に講談社現代新書から『憲法改正のオモテとウラ』という本を出した。 

 

bookclub.kodansha.co.jp

 

 舛添はこの本で2012年自民党改憲草案のアブナさを厳しく批判している。またさらに遡れば、2008年だったか政権交代の起きた翌2009年だったかに、日本(人)には高福祉高負担が合っているとも発言したことがある。後者については舛添自らの5年間にわたる介護の経験が考え方に反映されていると思われる。こうした点では極右にして強度の新自由主義者である小池百合子と比較すればよほどマシな人だと思うので、2016年に都知事が舛添から小池に代わったのは最悪だと思ったが、あの2016年7月からの1年3か月ほどの期間も小池人気が爆発した悪夢のような時期だった。

 小池が東京都知事という地位に目をつけるまでのテレビのワイドショーによる舛添批判も激烈であり、何度か書いたと思うが私がよく覚えているのは、2016年5月に丹沢山地の主稜を縦走して山小屋で一泊する登山から下山した時に地元の中年女性たちと交わした会話で、彼女たちが舛添を口を極めて罵っていたことだった。確かに舛添には批判されるべき点が多々あったが、その後彼女たちは高い確率で小池百合子に好感を持ったのではないかと私は思っている。それどころか、リベラルのはずのブログ『日本がアブナイ!』が小池を翼賛する記事を頻繁に載せていたので、当時まだトラックバック機能を持っていたはてなダイアリーに小池を批判する記事を書いて、同ブログに何度かトラックバックしたものだ。このことを書いたらさるブログの常連コメンテーター(オザシン兼ヤマシンの人)にさんざんあげつらわれたものだが。

 前述の2012年には、私の身近にいた、ふだん小沢一郎を熱烈に応援しているような人たちまでもが、舛添の元妻である片山さつきの「生活保護不正受給」叩きに熱く共鳴していた。そして2016〜17年にはリベラルのはずのブロガーまでもが小池百合子に熱狂していた。それどころか、斎藤美奈子が当時まだ小池の側近だった音喜多駿と意気投合していたこともあった(下記リンクを参照)。

 

gendai.media

 

 ブログ内検索で下記記事が引っかかったので一部を再掲しておく。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

URL: https://kojitaken.hatenablog.com/entry/20161201/1480550191

 

 こういう悪例が多数あった(上記引用文中の最後の例はブログ『日本がアブナイ!』である)。音喜多と上田令子はその後小池百合子と訣別したが、音喜多は維新に入り、上田は落ちぶれた渡辺喜美とつるんで「日本を守る会」を立ち上げた。後者から三戸安弥という彼らにとっての有望株が出てきて、江東区議選や江東区長選で酒井菜摘と戦い、得票数で1勝2敗の成績を残していることは何度か書いた。三戸は7月の東京都議補選に出てくるので、その時にもブログに名前が出てくることになろう。

 このように、時期に特有の空気に人々、それも斎藤美奈子のような著名人までもがのぼせ上がったような時期がある。また本多平直の件については事実関係がはっきりしない。私としては下記Xに、最後のセンテンスを除いて強く同意する。

 

 

 最後のセンテンスについては、立民は酒井氏を信じて擁立したのではなく、集票力の高い候補として須藤元気と秤にかけた上で選んだものだ。集票力に関しては須藤元気の方が上だったらしいが、陰謀論者の須藤には共産党が乗ってくれなかった上、党内からも強い反発が出た。その後選挙戦中に山本太郎が「須藤の方から『野党共闘』を蹴飛ばした」と言い出し、ヤマシン(山本太郎信者)たちがそれを妄信しているようだが、状況証拠は党内からも共産からも応援団からも強い反発が出て須藤ではまとまらなかった経緯である蓋然性がきわめて高い。

 前記Xがリンクした室井のXには笑ってしまった。

 

 

 「政治家じゃないならいい」と言って自分を免罪しているわけだ。しかし、その室井自身が昨夜遅く、山本太郎元号新選組を罵倒するXを蓮発していたのにはびっくり仰天してしまった。

 

 

 

 「太郎」「おまえ」だよ。そこまで変わるかと思うくらいの豹変ぶりだ。これには私が昔から嫌ってやまない日刊ゲンダイの編集者たちも頭を抱えてしまうのではなかろうか。

 なお、室井が相手にしている新選組支持者が日の丸アイコンをつけていることにも注目した。

 

 

 「金だよ、金。」かあ。

 「電話にも出ない」で直ちに思い出されるのは小沢一郎だ。

 

 

 どんどんエスカレートしてる。

 

 

 そんなのもったいぶってないで早く言えば良いじゃない。

 こんなリクエストもあった。

 

 

 そうそう、これには私も興味津々だ。

 それにしても、室井の配偶者の政党遍歴はいったいどんなものだったのだろうかとか、室井がかつて信奉していた小沢一郎自民党時代にどうだったかとか、小沢が2012年に口癖のように言っていた「私の意見は橋下市長と同じだ」というのはいったいなんだったんだろうかと思わずにはいられない。特に小沢など20世紀末から21世紀初頭にかけての政治を語るときには絶対に落とせない大物政治家だったが、1980年代末から長い間ネオリベの旗手だったし、今もその思想が少なからず残っている。小沢の「野党共闘」の構想には漏れなく維新が含まれるのである。

 

 下記のnaoko氏のXには考えさせられる。

 

 

 その「決して高いとはいえない」人がネオリベバリバリの現Xを発信し、オザシンが片山さつきの「生活保護不正受給」バッシングキャンペーンに熱く共鳴していた2012年に、自民党があの極悪な第2次改憲草案を発表し、維新が安倍晋三をスカウトしようとして失敗し、町村信孝が急に病気になってしまって安倍が自民党総裁になり、年末の衆院選に圧勝して第2次内閣を発足させてしまった。ついでに読売なんとか軍も日本シリーズに勝った。

 あれほどひどい悪夢のような年はなかった。戦争に負けて焼け野原になったとかいう劇的な事件がなかったために目立たないが、あの年に「崩壊の時代」が始まったと看破したのが今は亡き坂野潤治だった。

 板野がなぞらえたのが1937年7月7日から1945年まで続いた戦前日本の「崩壊の時代」だった。それら「崩壊の時代」の入り口に立った時代の一般人のXをあげつらって何になろうかとはどうしても思う。

 それこそ、敗戦後に戦時中の自らの行いを「黒歴史」にして復活した人物など、岸信介のような反動側に限らず、戦後「進歩的文化人」と呼ばれた人たちの間にもいくらでもいる。たとえば著名な憲法学者の中にも、戦前や戦中には体制に迎合していた人たちがいる。経済学者では東大で極右とマルクス主義系が結託してリベラル系を追い落とした例があった。あまり知られていないが、宇沢弘文は最初マルクス系に入門しようとして挫折し、結局リベラル系の経済学者たちの系譜につながることになった人だ。