あいちトリエンナーレの一件で、参議院議員になりやがった音喜多駿がふざけたツイートを発した。
概ね同意見ですが、度を超えてここまで批判を巻き起こしたアートに公金を支出した責任は当然問われるべき。自由には責任が伴う。作品撤去の強制まではせずとも、本件は事後に議会でも徹底的に追及し、公金支出の妥当性を検証すべき案件だと考えます。 https://t.co/2JTZu58DmB
— 音喜多 駿(参議院議員 / 東京都選挙区) (@otokita) August 3, 2019
さすがは極右の音喜多のツイートだ。私は参院選の東京地方区では、この音喜多を落とすために、今回も鼻をつまんで立憲民主党の山岸一生に投票したが、山岸は落選した*1。それどころか仮に山岸が当選していたとしても代わりに落ちたのは音喜多ではなく自民党の武見敬三だった。音喜多は定数6の東京選挙区で5位当選してしまっていた。山本太郎が立候補していれば山本に流れたであろう票の一部も音喜多に流れた可能性がある(もちろん山岸にも流れただろうが)。
「右へ右へ」と流れる時流に迎合したとしか言いようがないこの音喜多のふざけたツイートは、平河エリ氏に批判された。その批判はまっとうなものだったが、この記事で言いたいのはそのことではない。音喜多を批判した平河氏のツイートに噛みついた「ポジティブリベラル」と名乗る人物が発した醜悪なツイートに、私は目を剥いた。
僕は税金を使うイベントは皆が喜ぶものでなければいけないと思います。
— ポジティブリベラル (@verypositiv) August 3, 2019
税金を使って企画された不快なものを拒否するのは納税者に許された自由だと思います。
違ってますか?
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これへの対応を音喜多氏は言ってるのです。
この「ポジティブリベラル」とやらは、「東京在住愛知出身の大学生」とのことで、こういう人間が音喜多に投票して日本維新の会だのを支えているんだろうな、と苦々しく思った。この人はTwitterのプロフィール欄で下記を標榜している。意識としては「リベラル」そのものなのだ。
日本維新の会に期待中。多様性・地方分権・選択的夫婦別姓・同性婚・反ヘイト・脱原発・反自己責任論・労働生産性向上・自由貿易推進・規制緩和・自由経済推進・行政効率化・改憲派・労働者を保護した上での雇用流動化なら賛成・非正規の待遇改善・教育無償化。ADHDセクマイ当事者。日和見主義。倫理の上での自由経済。
しかし、上記に引用したツイートは、この人間が表現の自由も、それどころかアート・芸術とは何なのかを一切理解していないことを示す、寒心に堪えないものだ*2。だがそういう人たちが相対的に多数だからこそ、参院選で音喜多が当選できたのだ。
2016年の東京都知事選では「宇都宮健児氏が立候補しないんだったら小池百合子を選ぶ」と公言した人間*3が異常発生し、小池百合子の票を大きく押し上げた。「野党共闘」系が推した鳥越俊太郎には私も大いに不満があったが、どう考えても小池百合子よりはマシだったので、私はこの時も鳥越に投票したが、小池ブームには全く歯が立たず惨敗した。
何度も書くけれども、許せないのはこの都知事選の少しあとに、当時小池の側近として名を売っていた音喜多駿と文藝評論家の斎藤美奈子が対談して意気投合していたことだ。斎藤がまさか上記「ポジティブリベラル」のように、表現の自由も「芸術とは何か」も理解していない人間であろうはずもなかろうが、そんな人士までもが時流に迎合するのかと驚き呆れたものだ。
「リベラル」人士のこうしたていたらくが、今回の「政治史或いは国家史にも及ぶ日本史上の転換点として記述」されるかもしれない一件の遠因になったと言ったら言い過ぎだろうか?
私はそうは思わない。