kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

長谷川正安著『日本の憲法 第三版』(岩波新書)にはやっぱり「立憲主義」の4文字はなかった

前々から興味を持っていたマルクス主義法学の権威・故長谷川正安(1923-2009)の『日本の憲法 第三版』(岩波新書)を読了。前にも少し触れたが、帯に「ご要望にお応えしてアンコール復刊 白井聡氏、推薦! いま求められる憲法論」とある。


日本の憲法 第3版 (岩波新書)

日本の憲法 第3版 (岩波新書)


堅苦しくて読みにくいかも、という先入観は完全に裏切られた。論旨明快で読みやすく、引き込まれて先へ先へと読み進みたくなって止まらなくなった。著者の主義主張がはっきりしているのが良い。そこは大いに気に入った。もちろんこれは著者が立憲主義の立場をとらないことの是非とは別の問題だ。著者の率直な意見表明からは、専門分野も立場も違う人だが坂野潤治が連想された。坂野潤治は長谷川正安以上に言いたい放題で、「立憲主義なんて、あんな保守思想(は嫌だ)」と言い放って山口二郎の「立憲デモクラシーの会」への参加の誘いを断ったのだった。長谷川正安の上記著作には、そもそも「立憲主義」という言葉自体出てこない。

未読だが、長谷川正安には下記の著作もある。


憲法とはなにか (新日本新書)

憲法とはなにか (新日本新書)


出版元が新日本出版社であることからわかる通り、日本共産党系の憲法論の本。つまり、今では立憲主義の旗を振っている共産党は、2002年には立憲主義の立場はとらなかったことを暗示している。

なお、長谷川氏の憲法観について、水島朝穂氏が下記のように書いている。以前にもこの日記に取り上げたことがあると思うが再掲する。

直言(6.3) 『あたらしい憲法のはなし』からの卒業―立憲主義の定着に向けて(2)(2013年6月3日)より

 戦後、日本平和委員会の復刻版(『あたらしい憲法のはなし』=引用者註)が1972年11月3日に発刊された。それには、長谷川正安氏(名古屋大学名誉教授)の「解説」が付いている。きわめて政治的な解説で、日本国憲法とそれをめぐる状況の外在的な批判はあるものの、立憲主義についての理解を助ける叙述は皆無である。それもそのはずで、長谷川氏はマルクス主義憲法学の代表格で、立憲主義に対して当然批判的である。日本国憲法も階級支配の道具であり、その「民主的・平和的条項」は擁護の対象となるが、将来の「民主的権力」が自衛措置を行う際には、9条2項は改正の対象となるという理解である。いかなる権力も憲法に縛られるという発想をとらない以上、「解説」に立憲主義という言葉が出てこないのはある意味で当然だろう。

この水島氏の文章中にある

将来の「民主的権力」が自衛措置を行う際には、9条2項は改正の対象となる

とは、岩波新書には表立っては書かれていない。しかし、下記の文章がそれを暗示する。

日本国憲法第9条=引用者註)第一項後段が、自衛戦争および自衛権を否定していないという解釈は、憲法制定当時の吉田内閣の解釈であり、私も当時からそれに賛成していた。

(長谷川正安『日本の憲法 第三版』(岩波新書,1994)85頁)

(かつては?)共産党系の憲法学者立憲主義をとらず、将来的な9条2項の改定を視野に入れていたことを、「リベラル・左派」は歴史的事実として正しく認識しておいた方が良いと思う。おことわりしておくが、私はそれが「悪い」とは言うつもりは全くない。ただ、たとえ無知に基づくものであれ、歴史を捻じ曲げるようなことはやるなよ、と言いたいだけである。

他に最近読んだ本。


喪失の儀礼 (新潮文庫)

喪失の儀礼 (新潮文庫)

↑今年初めにテレビ東京でドラマ化されたらしい。それに便乗して改版されて文字が大きくなったのが、もう図書館に入っていた。


地域再生の経済学―豊かさを問い直す (中公新書)

地域再生の経済学―豊かさを問い直す (中公新書)


バイエルの謎: 日本文化になった教則本 (新潮文庫)

バイエルの謎: 日本文化になった教則本 (新潮文庫)


不安の世紀から (角川文庫)

不安の世紀から (角川文庫)