kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

オバマの広島訪問/アメリカも日本も先の戦争の総括が全然できていない

日米首脳会談、伊勢志摩サミット、オバマ米大統領の広島訪問と続いた「政治ショー」には、「なんだかなあ」という感想しかなかった。文章を起こすのも億劫なくらい。

米軍属が沖縄の女性を殺害した事件が起きたあとにもかかわらず、安倍晋三日米地位協定の見直しを要請さえしなかった。だから、オバマが「ゼロ回答」をしたのも当たり前である。「ゼロ回答」も何も、「回答」というのは「要求」があって初めてなされるものだからだ。安倍晋三はそんなことはしていない。ただ、殺人事件に関して「断固抗議」とやらをしてみせただけだ。

伊勢志摩サミットについては、以前安倍晋三が会場を神道の本家本元である伊勢神宮を含む伊勢志摩に選んだことを批判したが、内容も空疎だった。今回に限らず、サミットに国際政治を大きく動かす力がどれだけあるか自体疑問だが。2000年の沖縄サミット以来、特に日本で行われるサミットについては「見世物」の色合いが濃厚になっている。それでも曲がりなりにも会場に沖縄を選んだ故小渕恵三(この首相も私は買っていないが)と比較しても、伊勢志摩を選んだ安倍晋三の「基地外」じみた極右イデオロギー(というより、日本会議ネトウヨなどの極右に対する安倍晋三の媚態。安倍自身は心から極右イデオロギーを信奉しているわけではなく、ただ単に「祖父愛」があるだけだろうと私は想像している)には強い嫌悪を催す。

オバマの広島訪問。アメリカによる広島・長崎への原爆投下は、ナチスユダヤ人大量虐殺や日本の南京大虐殺、それにスターリンの大粛清や毛沢東文化大革命の名を借りた自国民大量虐殺に匹敵する、20世紀屈指の極悪な犯罪(大量殺人)行為であると私は考えているが、戦後71年経ってようやく戦争犯罪を犯した国の大統領が被爆地を訪れただけが辛うじての一歩前進というお寒さだった。広島市民の全部ではなかろうが、テレビに映された人たちが感激しているのにも、正直言って「なんだかなあ」と思った。敗戦直後に日本人がマッカーサーを大歓迎したこと、あるいは東京大空襲を受けた東京の下町を昭和天皇が訪れた時に被災した人々が大いに感激したことなどが思い起こされ、ああ、権力者に弱い日本人の心は今もそのままなのだなあと思った。そんな具合だから、オバマから謝罪の言葉を求めるなんて「畏れ多い」といわんばかりの空気があって、そんな状況下でオバマが謝罪の言葉を発するはずもなかった。

アメリカも日本も先の戦争の総括が全然できていないことを再認識させられた。