kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

GWに読んだ本/読んでいる本

GW期間中に読んだ本と読んでいる本。


パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い

パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い


↑は、黒岩比佐子(1958-2010)の遺作となった大変な労作。これがGW期間中の読書のメインディッシュ。この本の概要を知りたい方は、アマゾンカスタマーレビューから選んだ下記の書評をご覧ください。
http://www.amazon.co.jp/review/R38VJQW9TDF89S/


事変の夜 満州国演義二 (新潮文庫)

事変の夜 満州国演義二 (新潮文庫)


↑は、船戸与一(1944-2015)の遺作ともいうべき全9巻の大作の第2巻*1。まだ3分の1ほどを残している。



↑は立憲主義系の憲法学者を代表する左(護憲派)の樋口陽一と右(改憲派)の小林節という大物2人の対談。彼らより左にはマルクス主義法学(長谷川正安ら)が、また彼らより右には日本会議御用達のトンデモ極右法学(百地章ら)がある。昨年の今頃、「右」の文芸評論家・江藤淳が1980年に書いた改憲本『一九四六年憲法――その拘束』にマルクス・レーニン主義者を自称する白井聡が解説をつけて文春学藝ライブラリーから再版されたものを買ったが、今年は「左」の長谷川正安の岩波新書『日本の憲法 第三版』に「白井聡氏、推薦! いま求められる憲法論」との帯がつけられて増刷されていたので買った。江藤本は買ってから2,3か月放置したあと、昨年夏に読んだが、長谷川本を読むのも同様にしばらく先になるかもしれない。読んだらまた何か書くかもしれないし、何も書かないかもしれない。ただマルクス・レーニン主義者であるらしい白井聡が真ん中の立憲主義憲法学をすっ飛ばして右の江藤淳と左の長谷川正安を推していることは興味深いと思った。そういや連休の前に、というか先々週に白井聡が3年前に出して評判をとった『永続敗戦論』を読んだんだった。面倒臭いし今日これから図書館に返しに行かなければならないので詳細な感想文は書かないが(一言だけ書いておくと、白井聡の主張の中には傾聴すべき部分もあるとはいえ、基本的には眉に唾をつけながら読んだ)リンクだけ張っておく。



樋口陽一小林節の対談本に話を戻す。下記にこの本のアマゾンカスタマーレビューを例示する。青字ボールドは引用者によるもので、この日記の読者に注意を喚起したい部分である。

http://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2EC7CT0X3UNS8/

★★★★★ 自民党改憲草案の本質が分かる, 2016/4/30
投稿者 K田代Amazon カスタマー

親友に勧められて本書を読みました。お二人の碩学の掛け合いが絶妙で、大変読みやすく、分かりやすかったです。内外の法制、学説、思想、文化についての広い知識をもとに、自民党憲法改正草案の問題点を鋭く分析しています。私が「なるほどそうだったのか」と納得したり、感心したことの一部を紹介します。

  1. 憲法を敵視する自民党の実体が分かります。推進勢力の中心は戦前の支配層の子孫である安倍晋三氏や麻生太郎氏のような世襲議員です。
  2. 立憲主義と民主主義は対立することもあが、日本は戦後、立憲、民主、平和という三つの価値を同時に追求し、実現させてきた。それを支えてきたのが日本国憲法である。
  3. 明治憲法天皇は「神聖ニシテ侵スヘカラス」とされているが、これは天皇の神権を規定したものではない。フランスの憲法で王を「不可侵にして神聖」としているのと同じで、王は民事・刑事の裁判に服さないという意味の法律用語だった。
    明治憲法立憲君主体制の憲法としては世界基準を満たしていた。天皇が「現人神」とされ、立憲主義が機能しなくなったのは、1935年に天皇機関説が否定された後の10年間だった。
    自民党案は立憲主義を軽視している点で明治憲法にも及ばず、江戸時代の御触書レベルである。
  4. 自民党案では「個人」が消え、単なる「人」になっている。自覚的で個性を持った「個人」を敵視し、国民すべてを無個性な「人」に統一しようとしている。
  5. 自民党案には道徳が持ち込まれている。道徳を法にしてはならないというのが近代法の原則である。明治時代でさえ教育勅語は道徳規範であって法ではなかった。
  6. 自民党案には新自由主義の価値観が持ち込まれている。前文に「活力ある経済活動を通じて国を成長させる」とあり、経済成長が国是になっている。本文でも経済的領域における権利は公正や安全のための規制を取り外し無制限にしている。

 私は現憲法のもとで育ちましたので、現憲法は空気のような存在です。いつ誰に教えられたのか記憶にありませんが、戦争放棄主権在民、個人の尊重、思想信条の自由などの現憲法の理念は当たり前のこととして私の人格の一部になっています。
 戦後、焼け野原の中からの復興となりましたが、空腹に苦しみながらも、新憲法により軍や特高などの監視・弾圧体制から解放された喜びは何ものにも替え難いものであったと思います。連合軍占領下で作られた憲法でしたが、多くの国民が歓迎していたのは間違いありません。
 そんな憲法を変えようとする動きが現実的になってきました。安倍政権は非常に巧妙です。黒を白と言いくるめるようなレトリックで国民をだまします。マスコミに圧力をかけて不利な報道には圧力をかけます。このような改憲勢力に対抗するためには本質を見抜く力が必要です。この本はその理論的根拠を与えてくれます。値段も手頃です。ぜひご一読を。


http://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RSLDT4HL94B7Y/

★★★★★ 安倍政権の改憲案で日本は「北朝鮮」になる, 2016/4/15
投稿者 JUNJUN

自民党の政治家の正体を知り尽くしている小林節氏(自民党改憲ブレーンだった。)と樋口陽一氏(「護憲派の泰斗」と帯封にある。)の二人の対談で、掛け値なしで「『改憲論議の決定版!」だと思う。小林氏は「自民党案なら日本は先進国の資格を失う」と言い、樋口氏は「国家の根幹を破壊されてしまう」とまで、危機感を率直に語っている。わかりやすく言えば、「安倍政権の改憲案で日本は『北朝鮮』になる」ということである。
北朝鮮」が危ないと盛んにマスメディアでは言うが、日本国民にとっては安倍政権の方がはるかに危険極まりないということである。自民党公明党などの人たちこそ、必読の本だと思う。もちろん、安倍政権に対決している「野党共闘」に望みを託している人にとっても、必読の書だと思う。日本を「北朝鮮」ようにしないためには、安倍政権を打倒する以外にないということである。大日本帝国憲法の積極面を完全に破壊したのが、治安維持法が吹き荒れた1935~1945年の軍事独裁体制であり、安倍首相にとっては、その暗黒時代の日本を、「美しい国」と呼んでいる。ここを見ないで「改憲」を論じてはならない。


要するに自民党改憲派の理想は、1935〜45年の軍事独裁体制、というより、坂野潤治が言うところの「異議を唱える者が絶え果てた『崩壊の時代』」である1937〜45年であり、当時の日本に対応する、現存する他の国として北朝鮮が例示される。それを護憲派並びに「安倍政権のアブナイ改憲」に反対する人々の基本的な認識とすべきではないかと考える次第だ。「明治憲法に戻すのが基本」という認識では甘過ぎるのであって、自民党をはじめとする極右政治勢力、ならびにそれを後押ししている日本会議の目標は、自分たちの権力が憲法なんかに制限されることのない「イクミナ(征く皆)」1937年から1945年にかけての日本への回帰に他ならない。それは日本史では17世紀の「慶安の御触書」(あとで江戸幕府によって捏造された偽書らしいとの話もあるようだが)、また東アジアの近隣国では北朝鮮金王朝と比較されるレベルであって、曲がりなりにも権力者(伊藤博文ら)が立憲主義に基づく政治を目指した明治時代どころの話ではない。しかし、そんな目標を隠そうともしない安倍晋三の政権を、この国では約4割から5割もの人間が支持しているという恐ろしい現実がある。

なお日本会議がなぜ「崩壊の時代」である1937〜45年の日本への回帰を目指すかといえば、それこそ彼らが持つ「敗戦のルサンチマン」に他ならない。だからこそ彼らはA級戦犯岸信介の孫である安倍晋三を担ぐのだ。

なお、樋口陽一小林節の対談本では「緊急事態条項は『お試し』ではなく『本丸』だ」とのタイトルを掲げる第五章も重要だ。憲法記念日(5/3)の読売新聞の紙面を眺めてみたが、読売はずばり緊急事態条項にターゲットを絞った「憲法改正」への誘導を狙っている。読売の紙面は朝日や毎日みたいな甘っちょろい「両論併記」などではなく、緊急事態条項改正論者の意見しか紙面に載せていなかった。不偏不党から大きく逸脱している偏向新聞とは、朝日や毎日ではなく読売のことだろう。また民進党が読売から「緊急事態条項の改正」に「理解を示す」勢力とみなされていることにも注目した。なおナベツネの寿命にも限りがあるだろうが、仮にナベツネが死んでも読売の論調は変わらないどころか、靖国問題などに一定の歯止めをかけていたナベツネがいなくなったあとの読売は、今よりもさらに右に暴走するのではないかと私は予想している。

*1:第2巻の単行本刊行は2007年だったから、遺作というには早すぎるかもしれない。船戸与一は2009年に胸腺癌を告知されてからもかなり長く生き、『満州国演義』全9巻の完成にこぎ着けて亡くなった。一方、黒岩比佐子は同じ2009年に膵臓癌を告知されてから1年も経たずに世を去ったが、遺作『パンとペン』を完成させた。ともにたいした作家魂というべきか。