kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

欧米では田舎にしか残っていない「世間」が日本では「リベラル」界隈でも政権与党でも大手を振る(呆)

 阿部謹也の『「世間」とは何か』(講談社現代新書,1995)を読んだのはいつだっけと思って、2009年1月1日からずっとExcelファイルにつけている読書記録(感想文はつけていない)を参照すると、2009年5月だった。なお記録をつけ始めた2009年元旦に読んだのが阿部謹也の『ハーメルンの笛吹き男』(ちくま文庫)だった。『「世間」とは何か』をまた読み返してみたくなった。

 

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 下記記事のコメント欄より。

 

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蛇にペディキュア

 

コロナが社会の矛盾を顕在化させた、とかいうよな言説がありますが…
「世間」=「ムラ社会」=個人が確立されていない封建的社会、日本はまだまだそうだと実感していて、今回のことで日本ではこれまで水面下にあった様々な(本当は知ってる人はよく知っていた)社会の不公平・不正がようやく暴露されるようになりましたが、その是正を議論するのではなく、違う方にいってしまった日本…
一例として、医療関係者、介護関係者や保育関係者が「コロナ」差別を受けたり、少し前に「自粛警察」なる言葉がメディアでも飛び交ったり、と…オルテガ(私は好きではないですが)の「大衆」そのまんまかな(元そのまんま東を「政治評論家」扱いするTV(名古屋のテレビ局制作番組…愚の骨頂)やら橋下…日本は悪いことで最先端だなと…余談ですいません)、最近はTVの”ニュース”で刑事事件を長々と大きく取り扱って、「犯人」を悪魔扱いしたりと…総花的にもっといえば消費として「世間」から「悪者」として、そして浪費的に「悪者」に関係があるものなら叩いてしまえ!…というのがあるのでしょうか。
これこそ、権力にとって、権力の悪から目をそらさせる絶好の「餌」だと思います。
「歴史は繰り返す」か…ファシズムは「世間」、「大衆」が育て(て最終的には破滅に至)る…暗澹たる思いです。
長々と書いてしまいましたが、なんとかこの状況が少しでもよくなってくれることを祈って(祈るしかないのか(涙))…

 

 要するに、「個人」として元高級官僚だのを批判して対峙すれば良いのに、個人が確立できていないから「世間」として集団で「悪者」を叩き、その際に「『悪者』に関係があるものなら叩いてしまえ!」とばかりに加害者家族に対する差別を行う。そういったことを問題視してブログ記事を公開しているのに、議論をすり替えて「『上級国民』に対する特別扱いはある。だからネットが反応したのだ」という頓珍漢なコメントを寄越す。だから私は大いに苛立つのだ。

 先日からしばしば引用している鴻上尚史佐藤直樹の『同調圧力 - 日本社会はなぜ息苦しいのか』(講談社現代新書,2020)において、かつて阿部謹也らと「日本世間学会」の設立総会を開催したという佐藤直樹は、当然ながら阿部謹也の議論を踏まえていると思われる。

 

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 その佐藤は、「基本的に個人がいない『世間』みたいな関係、今、僕たちが持っている人間関係と同じようなものは、昔は世界中のどこにでもあったと思うんです。ただ、特にヨーロッパの場合は、12世紀ルネサンスなどと言われるように、今から800年、900年前に、インディビジュアルが形成され社会ができてくるんですね」(前掲書43頁)と語っている。

 日本は欧州の900年遅れかよ、と唖然とするが、この本には、ポーランドアメリカの田舎にも「世間」はあるとか、韓国にも「世間」はあるけれども日本語の「世間様」に当たる言葉はない(日本の方が韓国よりも後進的だというわけだ)という話も出てくる。

 そして、欧米では田舎にしか「世間」が残っておらず、韓国も日本と比べれば「世間」の克服へと向かっているというのに、日本では政権与党である自民党が個人を排して「世間」を正当化するイデオロギーを持っている。それをよく示すのが2012年に自民党が発表した第2次憲法改正草案だ。以下に前掲書から佐藤直樹の発言を引用する。

 

(前略)日本人は個人が嫌いなんですよ。2012年に自民党がまとめた「日本国憲法改正草案」のなかでも、これは幸福追求権と言われる部分ですが、現行憲法で「すべて国民は、個人として尊重される」(第13条)と書いてあるところを、草案では「全て国民は、人として尊重される」と書きかえています。自民党も個人が大嫌いなんでしょうね。

 

鴻上尚史佐藤直樹同調圧力 - 日本社会はなぜ息苦しいのか』(講談社現代新書,2020)46頁)

 

 自民党の中でも特に2012年の第2次改憲草案に強く固執しているのが、一部「リベラル」が大好きであるらしい石破茂であることを付言しておく。