7月8日に書いた記事 「政治と芸術、結びつく先は 自民党の『文化芸術懇話会』」(朝日) - kojitakenの日記 で、7月6日付朝日新聞文化面に掲載された守真弓記者の「政治と芸術、結びつく先は 自民党の『文化芸術懇話会』」を紹介したが、その記事が載った6日後の7月12日に、同じ朝日新聞の前田直人編集委員が同じテーマで書いた記事は見逃していた。今日、古紙回収に出そうと思って古新聞を整理していた時に気づいた。前田記者は、昨年(2014年)、同紙の連載「プロメテウスの罠」で細川護煕と小泉純一郎の「元首相」コンビがタッグを組んで「脱原発」を掲げて東京都知事選に立候補したことを美化する記事を書いていた悪印象が強かったので、記事の署名だけ見て読まずに済ませていたものと思われる。細川と小泉の礼賛記事に感心しないことは今も変わらないが、政治と芸術をテーマとした今回の記事は強く共感できるものだったので、遅ればせながら紹介する。
幸いというべきか、前田記者の記事を転載したブログをネット検索で見つけたので、下記に孫引きする。
科学と芸術・科学と政治・政治と芸術・・さんすくみ - gooブログはじめました!(2015年7月12日)より(一部省略、また引用文の体裁に若干手を加えた=引用者註)。
(前略)
朝日の編集委員、前田直人のコラムにこの政治と芸術という話が載っていた
「政治断簡:政治と芸術 全体主義の教訓」
「なぜ政治記者に?」と、よく聞かれる。私は大学は美術大学でデザインを学んでいた経歴を持つので、不思議に思われても無理もない。
政治を強く意識するようになった原点の一つに、19歳のときに経験したソ連旅行がある。まだ東西冷戦時代、「怖いもの見たさ」もあったが、現代のデザイン表現に大きな影響を与えた20世紀初めの美術運動、ロシア・アバンギャルドへのあこがれがあった。
でも、期待は裏切られた。古典芸術は素晴らしかったけれども、街の風景やインテリアは何とも殺風景。現代アートらしい息吹はまったく感じられなかったからだ。
帰国後、無知だった私は本を読みふけった。ロシア・アバンギャルドは1930年代にスターリンに排斥され、封印されていたことなどを知る。その後は労働者や農民を写実的に描く社会主義リアリズムという様式が公認され、迫害作品の多くは米国に流れた。
さらに私は東西統一直後の旧東独地域に足を運んだ。20世紀初めに近代デザイン・建築の礎を築いた美術学校、バウハウスがあった地。私もその教官が編んだ理論書でデザインの基礎を学んだ。その伝説の学校もナチスの弾圧で、もぬけの殻になっていた。
政治権力が気にくわない芸術を「難解」「退廃」と排撃。意に沿う芸術家の表現力を権威の宣伝に使う――。全体主義の弾圧・統制プロセスを学び、背筋が寒くなった。
あれから四半世紀。政治権力の恐ろしさと表現の自由の有難さを胸に刻んだ初心を、ハッと思い出した。自民党議員の勉強会で、報道威圧発言が飛び出したからだ。その勉強会の名は「文化芸術懇話会」。ゾッとして、学生時代から著作を愛読してきたデザイン評論家に会いに行った。私の母校・武蔵野芸術大学の柏木博教授(69)。権力と芸術の歴史に詳しい。
「気味悪くないですか」
「不気味です。言っていることが、スターリニズムやナチズムの道と同じ。言論の自由は権力の側ではなく、個人の表現者のためにあるのに逆転している。いちばん怖いのは、政治的な力で個人の表現を圧殺することなんですよ」
個人の心をつなぐ芸術は人間の尊厳の象徴だが、そこで柏木さんが「恐ろしい」と指摘するのは、自民党の新憲法草案。「表現の自由」の保障の例外として、「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」を禁じる。
「既存のシステムに対抗するのは、現代芸術の根幹ですよ。ロックだって、ジャズだって。草案は個人主義にも否定的だけれど、芸術家は常に個人の表現。それを根底から否定することにもなる」
そうだ。学生時代に大好きだった英国のパンクロックなんて、「公の秩序を害する」と見なされそうな歌ばかり。でもそれが世界の若者の心を結び、元気づけた。自民党は、国家が個人の表現を縛る危うさを本当に理解しているだろうか。この問題の根は、あまりに深い。(朝日新聞2015年7月12日朝刊4面)
20世紀の冷戦時代、東側の社会体制は自由がなく反体制的な芸術家は発表の場を奪われたり、牢獄に繋がれたりするひどい社会で、西側の日本は言論の自由が保障される幸福な社会であると言われていた。本当に自由な言論があったかは怪しい点もあるけども、少なくとも特定の表現を政治権力の恣意的判断で規制したり禁止したりはしなかった。それが今や危うい。
要するに東京都江戸川区(東京16区)選出の自民党衆院議員・大西英男ら安倍晋三親衛隊の議員や百田尚樹らのやっていることはスターリンやヒトラーの手下や信奉者と何ら変わりないということだ。前田直人記者の政治記事にはあまり感心しないけれども、美術大学卒のジャーナリストだけあって政治と芸術の関係の把握はさすがだ。こんな感性の人がもっと多くいてくれたら日本の政治も文化もここまでひどいことにはならなかったと思うのだが、残念ながら現実はそうではない。
早い話、少し前まで4割以上いた「安倍内閣を支持する」人たちにはスターリンやヒトラーや毛沢東の悪逆非道さは決して理解できないし(だから安倍晋三なんかを平然と支持できるのだ)、スターリンや毛沢東の生前にスターリンや毛沢東に対する批判者を罵っていた昔の左翼や、小沢一郎を個人崇拝していた(今もか?)「小沢信者」たち*1も安倍支持者と「同じ穴の狢」と言うほかない。