kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「日本の教科書では語られない 人種差別のおそろしい真実」(BuzzFeed News)

これはさすがに「楽をしてもクロウ、クロウ」などという冗談を飛ばせられるような話ではないな。

下記記事にはおぞましい画像が満載されている。記事の最初の方のテキストだけを下記に抽出する。

日本の教科書では語られない 人種差別のおそろしい真実

たった60年前のこと。アメリカ人は凄惨な歴史の再来を恐れている。
posted on 2017/02/18 11:01


アメリカは根本的に白人の国だということを体現すると極右は喜んだ」。
著名な権利擁護団体「南部貧困法律センター(SPLC)」が指摘するトランプ大統領当選後のアメリカ。白人ナショナリズムの台頭を指摘する。


1970年に4.7%だった外国生まれの住民は2015年に13.7%まで増えた。移民が押し寄せた1910年(14.7%)や1920年(13.2%)と同水準だ。白人の割合は減り続け「白人アイデンティティの崩壊を生んでいる」という。


そして人々は恐れている。ジム・クロウと呼ばれる人種差別の再来を。白人と黒人を分けるアメリカ南部の州法。1964年の公民権法によって違法になったが、いまでも差別はアメリカ社会に根深く残る。


「ジム・クロウ時代」に、どんなに憎しみが広がり、暴力が横行していたかは、日本はおろか、アメリカでも伝えられることは少ない。

BuzzFeed Newsより)


リンク先の写真は、「ラストベルトの白人労働者たちの気持ちがわかる」と感じるような人たちに是非よく見てもらいたい。「ラストベルトの白人労働者たち」は搾取される側であるのは確かだが、有色人種を差別し、搾取しようとしている側でもあるのだ。

もちろんその際、日本人は中国人や韓国人やベトナム人、フィリピン人、インド人その他と同じようにトランプに投票したアメリカの白人に差別される側の人種に属することを忘れてはならない。昔の日本には、南アフリカに「名誉白人」扱いされて喜んでいた下司どもが多数いたらしいが。

ジム・クロウ法についてはWikipediaから引用する。

ジム・クロウ法


ジム・クロウ法(ジム・クロウほう、Jim Crow law)は、1876年から1964年にかけて存在したアメリカ合衆国南部の州法。


概要

主に黒人の、一般公共施設の利用を禁止制限した法律を総称していう。しかし、この対象となる人種は、「アフリカ系黒人」だけでなく、「黒人の血が混じっているものはすべて黒人とみなす」という人種差別法の「一滴規定(One-drop rule)」に基づいており、黒人との混血者に対してだけでなく、インディアン、ブラック・インディアン(インディアンと黒人の混血)、黄色人種などの、白人以外の「有色人種」(Colored)も含んでいる。


経緯

南北戦争後の南北統合期(1865)に、北部州は(共和党)「奴隷制廃止」を掲げていた。しかし伝統的な南部11州(民主党)は反対に「奴隷制維持」を掲げていた。この対立の元に、南部11州は先手を打って黒人の準奴隷システムを正当化するような「黒人法(英語版)」(英語: Black Codes、黒人取締り法とも)を制定した。当時工業で発展し始めていた北部都市(デトロイト・シカゴなど)と異なり、南部では黒人労働力による農業が依然として経済の基礎であった。そのため「黒人が白人と平等になっては困る」というのが南部経済を支える有力な白人農園主たちの本音であったと考えられる。この黒人取締り法がジム・クロウ法の礎になっていった。

黒人取締り法は1866年の公民権法によって廃止されたが、南部再建後の連邦政府の干渉が少なくなった中、南部諸州では次々とジム・クロウ法が制定された。

1945年以降、公民権運動が高まるとジム・クロウ法に対して裁判闘争が行われ、1954年から1955年にかけて、連邦最高裁判所は、プレッシー対ファーガソン裁判で確立された 「分離すれども平等(separate but equal)」という判例法理を覆し、公立学校における人種別学制度は違憲とする判決を下した(ブラウン対教育委員会裁判、Brown v. Board of Education of Topeka (Brown I) 347 U.S. 483, 74 S. Ct. 686, 98 L. Ed. 873 (1954)、Brown v. Board of Education of Topeka (Brown II) 349 U.S. 294, 75 S. Ct. 753, 99 L. Ed. 1083 (1955))。1964年7月2日、リンドン・ジョンソン政権は公民権法(Civil Rights Act)を制定し、南部各州のジム・クロウ法は即時廃止となった。


名の由来

ジム・クロウという名は、ミンストレル・ショー(Minstrel Show、白人が黒人に扮して歌うコメディ)の1828年のヒット曲、『ジャンプ・ジム・クロウ(Jump Jim Crow)(英語版)』に由来する。コメディアンの“ダディ”トーマス・ダートマス・ライス(英語版)(Thomas Dartmouth "Daddy" Rice)が演じて人気を博し、顔を黒塗りして黒人に扮するブラックフェイス・パフォーマンスを全米に広めた。ジム・クロウは田舎のみすぼらしい黒人を戯画化したキャラクターであり、着飾った都会の黒人であるジップ・クーン(Zip Coon)とともにミンストレル・ショーの定番キャラクターとなった。1837年までに、ジム・クロウは黒人隔離を指す言葉としても使われるようになっている。


プロ野球の読売球団にいたウォーレン・クロマティの愛称は「クロウ」で、アメリカ(というよりカナダか。彼はモントリオール・エクスポズに所属していた。但しクロマティ自身は米フロリダ州出身)ではカラスがクロマティのトレードマークだったが、彼も黒人だった。クロマティの肌の色と真っ黒なカラスのイメージをダブらせたものなんだろうなと昔から思っていた。

1983年までMLBで活躍したクロマティに対して、ファンが人種差別意識を持っていたかどうかは知らないが、19世紀の1828年の黒人「ジム・クロウ」はCromartieではなくCrowだから、差別意識を持った命名であることは明白だろう。アメリカの漫画で日本人が出っ歯で眼鏡をかけた人間として描かれるようなものだ。

こんな人種差別時代をトリモロス方向性を持つトランプを日本人が支持することが、いかに倒錯した愚行であるかがよくわかるだろう。