kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

安倍一強「忖度と崩壊の時代」の諸相(4)

鍵コメ情報はまだまだ続く。そろそろ中断の時刻が迫ってきたが、まだ一昨日(4/20)の分が残っている。

http://www.huffingtonpost.jp/2017/04/19/british-museum_n_16102402.html(ハフィントンポスト日本語版)

山本地方創生相「大英博物館学芸員を全部クビにした」⇒大英博物館"明らかな事実誤認"と全面否定


http://www.kanaloco.jp/article/201102カナロコ

時代の正体〈394〉副読本改訂問題(上)消されゆく「虐殺」


http://synodos.jp/society/11601シノドス

関東大震災における朝鮮人虐殺――なぜ流言は広まり、虐殺に繋がっていったのか

山田 お上の言う事は絶対だと、そういう意識が民衆にありますからね。それから、裁判で「なぜ朝鮮人を殺したか」と問われた時に、「国のためを思って殺しました」と答えるケースが多いんですよ。

荻上 実際に殺した人がそう証言している。

山田 ええ。いわゆる愛国心を叩きこまれているんですよ。今の若い人は、戦前の愛国心教育がどんなにひどかったかもうお分かりにならないだろうと思います。僕の体験を言いますとね、小学校では、毎朝朝礼の時は宮城に向かって敬礼し、それから天皇の写真や勅語をしまっておく奉安殿の前では頭を下げるようにしつけられていました。それから、入学式や卒業式、お正月となると、校長が、教育勅語をおごそかに読みます。小学校1年生2年生とかじゃ、勅語の難しい文章はわからないですよね。だけど感情的にね、天皇や皇后は尊いものだということを、小さいころから叩きこまれるんです。

荻上 山田さんは1930年生まれですから、終戦のタイミングで15歳だった。

山田 ええ、だから、皇民化教育が一番厳しい時ですよ。だって、小学校2年生の時日中戦争が始まります。それで、敗戦の時は商業学校4年生だから、だいたい小学校から中等教育の時期まで戦時下の皇民化教育を受けました。

加藤 そうですね。これこそ研究者の方々が長年にわたって発掘してきた事実なのですが、当時の行政が、流言を拡散してしまい、虐殺に加担しているんです。内務省警保局が通達を出して、不逞鮮人が放火をして暴れているというアナウンスを全国に向けて行うんです。警視庁も管内各署に、不逞の徒が暴れているという趣旨の通達を出しています。これが問題を拡散させてしまったのがひとつ。
警察では、流言を真に受けた巡査がメガホンを持って「朝鮮人が暴れている」とか言って回ったりする。後に読売新聞の社主となる正力松太郎さんは、当時、警視庁の幹部でしたが、一時、朝鮮人暴動の流言を信じてしまったと回想しています。結局、行政のこうした対応が、流言を拡大させることになってしまったわけです。そのことは、震災翌月の10月20日朝鮮人問題の報道が解禁されて以降、メディアで非常に問題になります。自警団だけが裁判にかけられているけど、本当は警察があおったんじゃないかと、当時の新聞でいろんな人が書いています。軍の場合はもっと深刻です。自ら虐殺しているからです。先ほどの内閣府の防災庁会議の報告にも出てきますが、80年代に発見された軍の文書「戒厳司令部詳報」の中の「震災警備ノ為兵器ヲ使用セル事件調査表」にですね、朝鮮人、あるいは朝鮮人と誤って日本人を殺したケース、そして中国人を殺したケースが合わせて20件、記録されているんです。つまり、関東大震災朝鮮人虐殺という問題を、噂に踊らされやすい人々が暴走したという話で片付けてしまうのは、問題の矮小化だと言えます。
山田 お役人なんてみんなそんなものですよ。自警団の問題は、かなり長期的に見ないと理解ができません。自警団は、青年団とか在郷軍人会が母体になっていることが多いのですが、これが国家のために動くようになったのは、日露戦争直後くらいからです。その時期、社会主義団体なんかが出るでしょ。国家がそういった存在を気にして、その対策の一環として、こうした団体の設立があったんですよ。

荻上 もともとお国のためにという形で作られた組織が、自警団のルーツにあったと。

山田 ええ。日露戦争が、更に日本が帝国主義国家として成長するためには、社会主義などを排除して、国民も国家の統制下に置かなければならなかったんです。

山田 教科書では、自警団が殺したことは最低限認めているけど、軍隊や警察が殺したことは隠される傾向があります。
「軍隊や警察が朝鮮人を殺した」という事実を隠してしまいたいのか、と疑ってしまいます。横浜市教育委員会が発行する「わかるヨコハマ」という中学生向けの副読本があります。
2012年版では、自警団や軍隊、警察が朝鮮人を殺したことが書いてあるのですが、それを2013年5月に改悪し、朝鮮人を殺したのは自警団だけということにしているんですよ。

http://synodos.jp/newbook/18028シノドス

関東大震災朝鮮人虐殺の記録』編著者、西崎雅夫氏インタビュー

荒川河川敷で両足首に鳶口を打ち込まれ死体として寺島警察署まで引きずって行かれた慎昌範さんの話をすると、皆顔をしかめます、足首に痛みを感じたかのように。

フィールドワークの最後にいつも言うことがふたつあります。ひとつは事件から93年たった今でも肉親の遺骨を探し続けている遺族たちがいるということです。この9月にも韓国からメールをもらいました。そこには「祖父の兄の遺骨を探してほしい」という依頼が書かれていました。

荒川河川敷でもそうですが、この事件では犠牲者の名前も遺骨の行方もほとんど分かっていないのが現状です。それは当時の政府が植民地支配への影響を抑えるために虐殺事件そのものを徹底して隠してしまった、そしてその後の政府が真相解明を怠ってきたがゆえの結果です。遺族が今も遺骨を探さざるを得ない状況こそ、この事件の最も罪深い側面だと思います。

もうひとつは、現在の状況です。熊本で地震が起きたとき、ツイッターで「熊本の朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだぞ」と流されたことはご存知の方も多いでしょう。ここ数年のヘイトスピーチのひどさも目に余るものがあります。一緒に会の活動をしている在日朝鮮人2世の女性はいつもこう言います。「私がこの運動をやっているのは、何かあったら自分の子供や孫が殺されてしまうかもしれないからだ」と。

この言葉に対して、ただの杞憂だと言い切れない恐ろしさが日本社会にはあり、今日でも事あるごとにこの攻撃性は頭をもたげてきます。かつて街中で多くの朝鮮人を虐殺した日本社会は、そのことを深く反省することなく、忘れ去ろうとしているように見えます。歴史から学ぶことをやめたら、同じ過ちを繰り返すことにならないか、私は危惧しています。

――最近では、横浜市教育委員会が、中学生の歴史の副読本から関東大震災における朝鮮人虐殺についての記述を削除する方向であるという報道も出ました。ネット上では、「虐殺はなかった」など、歴史修正主義的な動きもみられますが、どのように感じていますか?

加害の歴史を「無かったこと」にしてしまおうとする政治的・社会的圧力が強まっています。具体的には教科書検定や日本史副読本の記述歪曲に現れています。それに対して私は、この証言集もそうですが、事実を積み上げることで対抗できると思っています。そしてそれを伝え続けることが大切だと。

私は34年前大学生の時に荒川土手で「本当にむごいことだった。あんなことは二度と繰り返しちゃいけないと思うから、若いあんたらに話すんだよ」とお年寄りに言われたことを今でもよく覚えています。私の世代は、当時のことを知る人々から虐殺事件の目撃証言を聞いた最後の世代だと思います。だから私は語り続けるのです、「あんなこと」を二度と繰り返さないために。

ここで、ある日のフィールドワークに参加した東京の中学校教員からの報告を紹介します。

「知ってしまった者は、それを伝えなければならない」という西崎さんの言葉が心に刻み込まれました。中学2年生の歴史の授業で、このフィールドワークで知ったことをしっかりと伝えることが出来ました。教科書検定で、犠牲者の数を書くことに対し、検定意見が付きました。歴史学の研究成果として通説となっている“数千人”と書くことが許されず、当時の政府調査の約230人という数字まで並べなくてはならないという現実。せめて本文に“おびただしい”と書くことで抵抗を示しましたが、これは、まさに現在の問題なんだ、と。生徒たちは、食い入るような眼差しで話を受けとめてくれました。

歴史修正主義に対抗するものは、最終的には個々人の日常的な活動だと思います。私はフィールドワークを通して参加者ひとりひとりに語りかけます。その参加者が今度は自分の生活の場で歴史の真実を語り継いでくれています。こうしたフィールドワークは小さな取り組みですが、影響力は大きいと思っています。

――西崎さんは本のまえがきで、証言を集める活動を通して「殺さない」「殺させない」日本人として生きる決意をされたと書かれています。なぜそのように思われるようになったのか、心の軌跡についてお聞かせください。

荒川土手で聞いたり図書館巡りで得た証言のひとつひとつに向き合う中で、私は関東大震災時に東京で何が起きていたのかを知ることができました。たとえば坂巻ふちさんの証言(目撃場所は白鬚橋付近の隅田川)を紹介してみます。

ひもを身体にゆわえて朝鮮人が川にはいって死んでいるのです。[略]そこへ行くまでにも10人くらいの朝鮮人がみんな針金で足をゆわかれ、3人くらいずつ一緒に、多い人は10人くらい一緒に足を少し離してつなげてね、だから皆つながっているのです。[略]お腹の大きい赤ちゃんが生まれるような人が自分のお腹を結わえられて水に投げられ、赤ちゃんが生まれちゃって、赤ちゃんがへその緒でもってつながっているんです。そしてお母さんがあお向けに浮いている、赤ちゃんがフワフワ浮いているんです。

初めてこの証言を読んだとき涙が止まりませんでした。数日後現場に立ってみると上に高速道路が通る殺風景な土手でしたが、川の流れは昔と同じなのだろうと思いました。その場で改めて「こんなことは二度と起こしてはいけない」と腹の底から思ったことを記憶しています。そんなふうに各事件現場に立ちながら証言内容を確認してまわることを数年間続けました。その中で自分は何があっても「殺さない」「殺させない」と自然に考えるようになりました。私がこうした証言から学んだことは、知識や思想ではなく「殺さない」「殺させない」という生き方です。