kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「謂れのない圧力の中で - ある教科書の選定について」(和田孫博灘中学・高校校長)

第3次安倍再改造内閣の顔ぶれが固まり、今日発足するが、自民党の都議選惨敗前に言われていた三原順子の入閣などの軽佻浮薄のトンデモ人事はさすがに行わなかった。朝日(8/3)の一面トップ記事の見出しになっているのは野田聖子だが、外務大臣河野太郎文部科学大臣林芳正の名前などが目を引く。

同じ朝日の2面記事には、野田聖子(私はこの人を基本的に買っていない)を安倍が入閣させたのは、「小池ファ★スト」(今後「都民ファ□ストの会」と未結成の「国民ファ★ストの会(仮称)」を合わせてこう書くことにした。だって安倍に一歩も引けを取らない独裁者だもんね)と、というか小池百合子とパイプを持つ野田を取り込みたかったからだと書いている。

同じ朝日の記事によると、一方で安倍は石破派から石破茂との事前の相談なしに斎藤健*1農水相に一本釣りした。また、文科相には地元・山口のライバル、林芳正を持ってきたが、この人事は星浩が「厄介な仕事をライバルに押しつけた」と評した通りだろう*2野田聖子斎藤健林芳正らの人事には、安倍の陰険な性格がよく反映している。

とりあえず、この内閣改造安倍内閣支持率が下がる要素はないだろう。それは稲田朋美金田勝年らがいなくなったためだが、特に稲田という巨大なマイナス要因が抜けただけでも大きい。安倍内閣の支持率は下がったといっても30%前後もあるから、本当の戦いはこれからだ。昔の安倍晋三を連想させる蓮舫の代表投げ出しやその前の「国籍問題」で言いがかりをつけた「蓮舫降ろし」をやった民進党は、どんなに強く非難しても足りないほど罪が重い。

さて、安倍晋三だの民進党右派が応援した横浜市長の林文子だのが育鵬社の教科書導入に血道をあげていることは周知だが、昨日になって突然、灘中学・高校(神戸)の和田孫博校長が昨年書いたと思われる「謂れのない圧力の中で -- ある教科書の選定について --」と題された文書がネットで注目されたようだ。

ネット検索をかけてみると、横浜市長選の投開票日だった7月30日に、下記Twitterが発信され、和田校長の文書のURLがリンクされている。日付からして、育鵬社の教科書を横浜市の学校に導入するのに血道をあげた林文子の悪行を批判する文脈で発掘されたものと思われる。山尾志桜里はそんな林文子を応援していたわけだ。山尾はやはり、私の認識していた通りの右派政治家だった。もともと山尾を買っていなかった私は、特に怒りの声をあげる気には全くならないが。

https://twitter.com/i/web/status/891806608749019136

細かい情報
@information3264

#灘中学校灘高等学校 #和田孫博 校長
http://toi.oups.ac.jp/16-2wada.pdf
「#学び舎」歴史教科書を採択したところ、#自民党 県会議員から「なぜあの教科書を採択したのか」と詰問、自民党衆議院議員からも「政府筋からの問い合わせなのだが」と断った上で同様の質問を受けた。

16:43 - 2017年7月30日

灘のほか、筑波大付属駒場や麻布といった「名門中学」が「学び舎」(「まなびや」ではなく「まなびしゃ」と読むことは昨日知った*3)の教科書を採択する記事が出たのは昨年3月19日だから、下記和田校長の文書が書かれたのは昨年(2016年)であると推定される。

以下、和田校長の文書を引用する。

謂れのない圧力の中で

-- ある教科書の選定について --

和田孫博


 本校では、本年四月より使用する中学校の歴史教科書に新規参入の「学び舎」による『ともに学ぶ人間の歴史』を採択した。本校での教科書の採択は、検定教科書の中から担当教科の教員たちが相談して候補を絞り、最終的には校長を責任者とする採択委員会で決定するが、今回の歴史教科書も同じ手続きを踏んで採択を決めており、教育委員会には採択理由として「本校の教育に適している」と付記して届けている。

 ところが、昨年末にある会合で、自民党の一県会議員から「なぜあの教科書を採用したのか」と詰問された。こちらとしては寝耳に水の抗議でまともに取り合わなかったのだが、年が明けて、本校出身の自民党衆議院議員から電話がかかり、「政府筋からの問い合わせなのだが」と断った上で同様の質問を投げか
けてきた。今回は少し心の準備ができていたので、「検定教科書の中から選択しているのになぜ文句が出るのか分かりません。もし教科書に問題があるとすれば文科省にお話し下さい」と答えた。「確かにそうですな」でその場は収まった。

 しかし、二月の中頃から、今度は匿名の葉書が次々と届きだした。そのほとんどが南京陥落後の難民区の市民が日本軍を歓迎したり日本軍から医療や食料を受けたりしている写真葉書で、当時の『朝日画報』や『支那事変画報』などから転用した写真を使い、「プロデュース・水間政憲」とある。それに「何処の国の教科書か」とか「共産党の宣伝か」とか、ひどいのはOBを名乗って「こんな母校には一切寄付しない」などの添え書きがある。この写真葉書が約五十枚届いた。それが収まりかけたころ、今度は差出人の住所氏名は書かれているものの文面が
全く同一の、おそらくある機関が印刷して(表書きの宛先まで印刷してある)、賛同者に配布して送らせたと思える葉書が全国各地から届きだした。

 文面を要約すると、

 「学び舎」の歴史教科書は「反日極左」の教科書であり、将来の日本を担っていく若者を養成するエリート校がなぜ採択したのか?こんな教科書で学んだ生徒が将来日本の指導層になるのを黙って見過ごせない。即刻採用を中止せよ。

というものである。この葉書は未だに散発的に届いており、総数二百枚にも上る。届く度に同じ仮面をかぶった人たちが群れる姿が脳裏に浮かび、うすら寒さを覚えた。

 担当教員たちの話では、この教科書を編集したのは現役の教員やOBで、既存の教科書が高校受験を意識して要約に走りすぎたり重要語句を強調して覚えやすくしたりしているのに対し、歴史の基本である読んで考えることに主眼を置いた教科書、写真や絵画や地図などを見ることで疑問や親しみが持てる教科書を作ろうと新規参入したとのことであった。これからの教育のキーワードともなっている「アクティブ・ラーニング」は、学習者が主体的に問題を発見し、思考し、他の学習者と協働してより深い学習に達することを目指すものであるが、そういう意味ではこの教科書はまさにアクティブ・ラーニングに向いていると言えよう。逆に高校入試に向けた受験勉強には向いていないので、採択校のほとんどが、私立や国立の中高一貫校や大学附属の中学校であった。それもあって、先ほどの葉書のように「エリート校が採択」という思い込みを持たれたのかもしれない。

 三月十九日の産経新聞の一面で「慰安婦記述三十校超採択 --「学び舎」教科書 灘中など理由非公表」という見出しの記事が載った。さすがに大新聞の記事であるから、「共産党の教科書」とか「反日極左」というような表現は使われていないが、この教科書が申請当初は慰安婦の強制連行を強くにじませた内容だったが検定で不合格となり、大幅に修正し再申請して合格したことが紹介され、本年度採用校として本校を含め七校が名指しになっていた。

 本校教頭は電話取材に対し、「検定を通っている教科書であり、貴社に採択理由をお答えする筋合いはない」と返事をしたのだが、それを「理由非公表」と記事にされたわけである。尤も、産経新聞がこのことを記事にしたのには、思想的な背景以外に別の理由もありそうだ。フジサンケイグループの子会社の「育鵬社」が『新しい日本の歴史』という教科書を出している。新規参入の「学び舎」の教科書が予想以上に多くの学校で、しかも「最難関校と呼ばれる」(産経新聞の表現)私学や国立大付属の中学校で採択されたことに、親会社として危機感を持ったのかもしれない。

 しかしこれが口火となって、月刊誌『Will』の六月号に、近現代史研究家を名乗る水間政憲氏(先ほどの南京陥落写真葉書のプロデューサー)が、「エリート校―麻布・慶應・灘が採用したトンデモ歴史教科書」という二十頁にも及ぶ大論文を掲載した。また、水間政憲氏がCSテレビの「日本文化チャンネル桜」に登場し、同様の内容を講義したという情報も入ってきた。そこで、この水間政憲氏のサイトを覗いてみた。すると「水間条項」というブログページがあって、記事一覧リストに「緊急拡散希望《麻布・慶應・灘の中学生が反日極左の歴史教科書の餌食にされる;南京歴史戦ポストカードで対抗しましょう》」という項目があり、そこを開いてみると次のような呼びかけが載っていた。

 私学の歴史教科書の採択は、少数の歴史担当者が「恣意的」に採択しているのであり、OBが「今後の寄付金に応じない」とか「いつから社会主義の学校になったのか」などの抗議によって、後輩の健全な教育を護れるのであり、一斉に声を挙げるべきなのです。
 理事長や校長、そして「地歴公民科主任殿」宛に「OB」が抗議をすると有効です。

 そして抗議の文例として「インターネットで知ったのですが、OBとして情けなくなりました」とか「将来性ある若者に反日教育をする目的はなんですか。共産党系教科書を採用しているかぎり、OBとして募金に一切応じないようにします」が挙げられ、その後に採択校の学校名、学校住所、理事長名、校長名、電話番号が列挙されている。本校の場合はご丁寧に「講道館柔道を創立した柔道の神様嘉納治五郎が、文武両道に長けたエリート養成のため創設した学校ですが、中韓に媚びることがエリート養成になるような学校に変質したようです。嘉納治五郎が泣いていますね......」という文例が付記されている。あらためて本校に送られてきた絵葉書の文面を見ると、そのほとんどがこれらの文例そのままか少しアレンジしているだけであった。どうやらここが発信源のようだ。

 この水間氏はブログの中で「明るい日本を実現するプロジェクト」なるものを展開しているが、今回のもそのプロジェクトの一環であるようだ。ブログ中に「1000名(日本みつばち隊)の同志に呼び掛け一気呵成に、『明るい日本を実現するプロジェクト』を推進する」とあり、いろいろな草の根運動を発案し、全国にいる同志に行動を起こすよう呼びかけていると思われる。また氏は、安倍政権の後ろ盾組織として最近よく話題に出てくる日本会議関係の研修などでしばしば講師を務めているし、東日本大震災の折には日本会議からの依頼を受けて民主党批判をブログ上で拡散したこともあるようだが、日本会議の活動は「草の根運動」が基本にあると言われており(菅野完著『日本会議の研究』扶桑社)、上述の「日本みつばち隊」もこの草の根運動員の一部なのかもしれない。

 このように、検定教科書の選定に対する謂れのない投書に関しては経緯がほぼ解明できたので、後は無視するのが一番だと思っているが、事の発端になる自民党の県会議員や衆議院議員からの問い合わせが気になる。現自民党政権日本会議を後ろ盾としているとすれば、そちらを通しての圧力と考えられるからだ。ちなみに、県の私学教育課や教育委員会義務教育課、さらには文科省の知り合いに相談したところ、「検定教科書の中から選定委員会で決められているのですから何の問題もありません」とのことであった。そうするとやはり、行政ではなく政治的圧力だと感じざるを得ない。

 そんなこんなで心を煩わせていた頃、歴史家の保坂正康氏の『昭和史のかたち』(岩波新書)を読んだ。その第二章は「昭和史と正方形 - 日本型ファシズムの原型 -」というタイトルで、要約すると次のようなことである。

 ファシズムの権力構造はこの正方形の枠内に、国民をなんとしても閉じこめてここから出さないように試みる。そして国家は四つの各辺に、「情報の一元化」「教育の国家主義化」「弾圧立法の制定と拡大解釈」「官民挙げての暴力」を置いて固めていく。そうすると国民は檻に入ったような状態になる。国家は四辺をさらに小さくして、その正方形の面積をより狭くしていこうと試みるのである。

 保坂氏は、満州事変以降の帝国憲法下の日本では、「陸軍省新聞課による情報の一元化と報道統制」「国定教科書ファシズム化と教授法の強制」「治安維持法の制定と特高警察による監視」「血盟団五・一五事件など」がその四辺に当たるという。

 では、現在に当てはめるとどうなるのだろうか。第一辺については、政府による新聞やテレビ放送への圧力が顕在的な問題となっている。第二辺については、政治主導の教育改革が強引に進められている中、今回のように学校教育に対して有形無形の圧力がかかっている。第三辺については、安保法制に関する憲法の拡大解釈が行われるとともに緊急事態法という治安維持法にも似た法律が取り沙汰されている。第四辺に関しては流石に官民挙げてとまではいかないだろうが、ヘイトスピーチを振りかざす民間団体が幅を利かせている。そして日本会議との関係が深い水間氏のブログからはこれらの団体との近さがにじみ出ている。もちろん現憲法下において戦前のような軍国主義ファシズムが復活するとは考えられないが、多様性を否定し一つの考え方しか許されないような閉塞感の強い社会という意味での「正方形」は間もなく完成する、いやひょっとすると既に完成しているのかもしれない。

いや、なかなか見事な文章だ。灘など私立の「名門校」には、昔の旧制高校の気質が残っていると評されることがたまにあり、それが妥当な評価かどうかは私にはわからないが、和田校長は確かに昔の旧制高校の校長によく見られたタイプの人であるように思われる。

それと好対照なのが水間政憲とかいう極右人士の品性下劣さだ。その水間が意見を発信している「チャンネル桜」の常連コメンテーターが(今はどうだか知らないが)あの自民党衆院議員にして、かつて「政権交代を求めるブロガー」らから熱烈な応援を受けていた城内実だった。今また、ほんの少し前まで「野党共闘」派の人々から熱い応援の声を受けていた山尾志桜里が、育鵬社の教科書導入に狂奔した林文子を応援したことによって、和田校長側ではなく水間政憲側の人間である本性を露呈した。

ところで例によって私は「和田校長に電話をかけた灘高出身の自民党議員って誰だろう」と思ってネット検索をかけたら、安倍晋三側近の大物が引っかかった。

それは私の天敵の一人である西村康稔である。この男は、安倍晋三の関与が疑われた2006年のライブドア事件において、ライブドア投資事業組合にもっとも深く関わっていたのではないかとの疑惑を抱かれたことがあるが、当時も民主党の得意技だった安倍晋三擁護弾の極致ともいうべき「永田偽メール事件」によって、ライブドア事件追及の機運が一気にしぼんでしまったため、西村に傷を負わせることはできなかった。当時私は、なんたることと切歯扼腕したものだ。ライブドア事件追及の失敗の2か月後、私はブログ『きまぐれな日々』を開設し、ブログ開設2か月後の2006年6月から安倍晋三批判の記事を書くようになって今に至る。

もっとも、西村が和田校長に電話をかけた議員かどうかは断定できない。西村は安倍の側近中の側近ともいえる大物だから、さすがに自分では直接動かず、「灘高の後輩」の自民党議員(どうせいるだろ、そんな奴)に電話をかけさせたのではないかとも疑っている。和田校長の反論に対して、「確かにそうですな」などと引き下がったあたり、西村本人がかけた電話とは思えないものがある。だが、西村が少なくとも一枚噛んでいた可能性は相当に高いだろう。

安倍極右政権に対する怒りがさらに高まる今日この頃なのだった。

*1:斎藤健は昔、小沢一郎民主党代表になったばかりの頃の2006年4月の衆院千葉7区補選で、武部勤に「最初はグー、サイトウケーン」とかいう意味不明の応援をされたのが災いして?太田和美に負けた。太田は2012年に日本未来の党から衆院選、13年に生活の党から参院選に立候補して連敗後、14年に維新の党から衆院選に立候補して比例復活で当選、その後の民主党との合流で今は民進党にいるようだ。

*2:但し、星は加藤勝信の外相就任を予想して外した。外相には河野太郎を持ってきたが、父の河野洋平とは全然違って河野太郎は右翼にして新自由主義者であり、私はこの人も全然買っていない。

*3:私が4年生まで通っていた小学校の校歌に「まなびや」が出てきたのだった。当時は意味がわからなかったが。