巷では大谷翔平の話題で持ち切りだが、その影に隠れて昨年1勝2敗ペースにも満たず歴史的惨敗で最下位に沈んだヤクルトが、セ・リーグの単独2位に浮上した。しかも読売との最初の3連戦に連勝するという珍しい展開。
読売戦開幕連勝で思い出すのは、その後が対照的だった1991年と2008年だ。
野村克也監督2年目の1991年、神宮球場で行われた読売との3連勝に1回戦、2回戦と連勝した時、ヤクルトが読売にシーズン初対戦から連勝するのは、あの金田正一が長嶋茂雄から4連続三振を奪った1958年以来だと知って、ヤクルトが読売に負け続けた伝統に呆気にとられたものだ。この時には3戦目に勝って読売に3タテし、それが6月の12連勝(今も球団記録。東京ドームの読売戦での長嶋一茂のエラーで連勝が止まった)を含む前半戦の快進撃、さらには翌年のリーグ優勝、翌々年の日本シリーズ優勝につながった。
しかし、元読売の高田繁が監督になった2008年は、開幕の読売3連戦に全勝したものの、その後の読売戦21試合に3勝18敗と大敗し、シーズンの成績も5位に沈んだ。高田ヤクルトは翌年、クライマックスシリーズに進出したものの読売戦は5勝18敗1引き分けと、前年よりさらにひどい惨敗。この年のクライマックスシリーズにはヤクルトは勝たなくても良いと思ったものだ。仮に第1ステージで中日に勝っても、ファイナルで読売に勝てるとは到底思えなかったからだ。
少し前に高田繁の悪口を書いた時、なぜ高田をそんなに嫌うのかとコメント欄で訊かれたが、それは下記の2つの理由による。
まず第一に、高田繁は柴田勲や故土井正三らとつるんで、外様の選手に嫌がらせをすると聞いていたことがある。発言の主は張本勲で、それは張本がサンデーモーニングのコメンテーターになるよりずっと前のことだった*1。柴田は関東人だが、高田は少年時代は大のホークスファンだった大阪人、土井はどこのファンだったかは知らないが兵庫県人だった。そんな彼らが東京の読売の権威を笠に着て威張り散らしていることが我慢ならなかった。
もう一つがヤクルト監督時代の読売戦でのローテーションや采配の覇気のなさだった。
大体、地力に劣る球団が優勝を本気で目指すなら、地力のあるチームに照準を絞る戦略を立てなければならないというのが私の確信するところだ。徹底してそれをやったのが野村克也や落合博満であり、近年では広島の緒方孝市の名前が挙げられる。緒方は監督初年度の2015年、読売と阪神に勝ち越しながらヤクルト、中日、DeNAに負け越して4位に終わった*2。緒方は気の短いカープファンから「辞めろ」「ノムケンの方が良かった」などと罵声を浴びたが、私は「わかってない人たちだな、緒方は来年から結果を出すぞ」と思ったものだ。結局その通りの経過をたどり、カープはリーグ2連覇を果たし、今年も好スタートを切っている。
2010年、チーム成績をいっこうに上向かせられない高田繁が休養した時に代理を務めた小川淳司(のち正式に監督に就任)は、「どこに勝つのも同じ1勝」とばかりに読売戦に全然力を入れなかった高田の方針を一転させ、2010年8月には読売と中日をそれぞれ神宮球場で3タテするなど、別のチームかと思わせるくらいにヤクルトを変貌させた。そして翌2011年にはリーグ優勝寸前にまでこぎ着けたが、落合博満を引きずり下ろそうとした中日フロントの妄動が、逆に「ここで監督が代わったら当分優勝できなくなる」と思ったであろう*3中日の選手たちの危機感に火をつけ、中日の大逆転優勝をもたらしてしまった。この経緯は今もトラウマになっている。その後、小川淳司の采配は年々冴えなくなり、2013年、14年と連続最下位に落ちて監督を首になった。
一度凋落した小川淳司のカムバックに、私は正直言って全く期待しなかったし、開幕から8試合までは結果を出している今も、長続きはしないのではないかと恐れているのだが、それでも最初だけは良い思いをさせてもらっただけでも去年よりずっとマシだ。
で、高田繁の話に戻ると、現役時代には読売の権威を笠に着て、ヤクルトの監督になってからも読売をアシストしまくった高田繁は今でも許せない思いなのだ。なにしろ、高田が監督をやっていた頃にはヤクルトの応援をやめていたくらいなのだから*4。