kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「天皇による時間支配」にも「安倍晋三による日本支配」にもノーを!

秋篠宮家の長女・眞子氏「出会いは『2012年…』」(笑) - kojitakenの日記(2018年7月30日)のコメント欄より。

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20180730/1532909043#c1532966931

id:urinarazuke 2018/07/31 01:08

そもそも「西暦」という呼称自体が時代遅れ。本当は「共通暦」あるいは「公暦」というのが正しい(中国語では「公元」という)。
英語圏でも、従来のAD(Anno Domini)/BC(Before Christ)の代わりにCE(Common Era)/BCE(Before Common Era)と表記することが多くなっているし、特に学術分野ではこちらの方が標準。


未だに「西暦はキリスト教云々」など、何周回も遅れた時代錯誤もいいところで、学者の議論とは到底思えない。
加地伸行も、儒教研究者としての矜持があるのなら、こんな駄文を書き散らしていないで、ケント某の儒教を騙る嫌中韓トンデモ本を論難・退治するのが先だろう。


http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20180730/1532909043#c1533055480

id:bluenote1969 2018/08/01 01:44

素朴過ぎる意見、というか感想で恐縮なのですが、本当に元号は今すぐ廃止すべきだ、いや、廃止しなければいけないと、改めてつくづく思います。多くの日本人が、無意識のうちに、あるいは意識的に天皇制の呪縛にひれ伏し、ひいては絶対的なものとして扱うようになってしまった過程で、元号、特に「明治」以降の一世一元の制度がもたらした悪弊は、あまりにも大きいです。


私が意識して元号を使わず、意識して西暦(せっかくのurinarakazeさんのご指摘ですが、ここでは慣例に従って「西暦」と記します)を使おうと心に決め、それを実行し始めたのは、元号法制化の議論が盛んになる少し前の1978年(「昭和53年」)の初め頃でした。

その後過ごした長い年月において、日常生活で無意識に西暦を使っていると、危険思想の持ち主みたいに言われることがたまにありました。その最も遅い経験は1998年(「平成10年」)でしたが、それからさらに20年が経ち、今では極右といわれる総理大臣が主に西暦を用い、その妻に至ってはほとんど元号を用いないうえ、ついに天皇家の人間までもが普通に「2012年」と発話するようになったことには感慨ひとしおです。


しかし、最近「元号」の罪深さを改めて痛感させられるできごとがありました。オウム真理教の死刑囚13人に下された死刑執行です。

これは、いうまでもなく「ハレ」の代替わりの時までに「ケガレ」であるサリン事件実行犯の死刑執行を済ませてしまおうという動機に発した日本政府の行為ですが、今回の死刑執行によって、象徴天皇明仁が今でも(明仁氏自身の意思はどうあれ)時間と人命を支配している事実を冷厳に示したものといえるでしょう。

時間と人命のうち、天皇の時間支配をはっきり示しているのが「元号」です。従って、こんなものは廃止しなければならないし、意に反して廃止されないうちは、できるだけ使わないことで抵抗するほかないと考えています。

一方、天皇による支配に抵抗している人間のうち、もっとも強い権力を持っているのが内閣総理大臣である安倍晋三だといえます。

昨今の自民党総裁選で対立候補の出馬を阻止しようと必死になっていることからも、安倍の支配欲の並外れた強さが感じられますが、先月には他の憂慮すべき例がありました。

夜のテレビ朝日のニュース番組『報道ステーション』の突如の右傾化・スポーツバラエティ番組化です。

私は最近報棄てを番組開始から見る習慣をすっかり失っていたのですが、リテラ(これも私が全然評価しないサイトですが)の記事*1で知りました。

そういえば、先日途中から見たら、五輪のチケットの予約をサブキャスターの小川彩佳が「実際にやってみた」などという愚にもつかない特集が流れていて、いったい何やってんだといぶかっていたのですが、なんと他の日には、プロ野球の極悪球団・読売の所属で、昨年には暴行事件を引き起こした投手が最下位球団を相手にノーヒットノーランをやった、などという本当にどうでも良いことを番組の冒頭で取り上げたのだとか。開いた口が塞がりませんでしたし、当該の時間帯に番組を見なくて良かったと心から思いました。昔、この時間帯の番組が久米宏司会の『ニュースステーション』だった頃、当時はプロ野球(というより読売球団)の人気が今よりずっと高かったこともあって、よくプロ野球のニュースが冒頭で取り上げられたものですが、それは四半世紀ほど昔のことで、その頃にタイムスリップしたかのようです。

番組が右傾化した理由は、チーフプロデューサーが代わったからだそうです。評判のかんばしくない富川悠太も、昔から田原総一朗に強い調子で言い返したりした経緯からか富川よりはかなり評判の良かった小川彩佳も、ともに基本的には書かれた原稿を読み上げるのが仕事の局アナですから、原稿が変わってしまえばひとたまりもありません。

安倍晋三の場合は、報棄ての例に見られるようにメディアと、与党内、さらには官僚機構を強力に支配しています。その安倍が張り合おうとしているのが天皇家で、おかげで代替わりは1月から4月に、さらには5月に延期になりました。私は天皇の代替わりが1月とか年度替わりの4月にならなくて良かったと思っています。なぜなら、そうなっていたら次の元号の利便性が増し、元号制度の維持に貢献してしまうからです。

いったいに今の右翼には2つの系列があって、天皇制を絶対視する昔ながらの右翼と、もう一方の安倍晋三による支配を絶対視する「安倍信者」(いわゆる「ネトウヨ」を含む)ですが、前者は天皇制の神秘性を守るために、後者は自らの支配力を天皇と張り合うために、ともに新元号の発表を遅らせました。これも、私のような元号反対派には好都合です。来年4月から始まる新年度が「××元年度」と表記される機会がそれだけ減るからです。NHK産経新聞を除くメディアの大多数は「2019年度」、NHKと産経は「平成31年度」と(当面)言うでしょうし、それだけ新元号の浸透が疎外されます。

まあ、いくら元号が法制化されても不便なものは不便だから使われなくなるのは当然のことではありますが。

もちろん、並外れてモラルが低く頭も悪く、何より危険極まりない安倍晋三によるこの国の支配は、一日も早く終わらせなければなりません。

しかし、「リベラル・左派」が安倍晋三に頼る手段として「リベラルな天皇・皇后両陛下」とやらに頼るのはいい加減に止めてもらいたい。それをやっているうちは「安倍信者」とどっちもどっちでしかない。

そう強く思う8月最初の日の暑い朝です。