自民党総裁選で安倍晋三が勝ったが、党員投票で石破茂に「肉薄」される予想外の結果となった。
安倍晋三は何もやらなきゃ圧勝だったのに誰の目にも明らかな形で変な圧力をかけたもんだから総裁選中に支持が離れたんだろう。これまでの各メディアの世論調査(「誰が総理にふさわしいか」という質問に対する自民党支持者の回答)とかけ離れた党員票の結果になった。笑えたのは小泉進次郎で、最後の最後に石破に走った。
本当に強い者は動かないものだ。思い出したくないがV9時代のプロ野球・読売軍の監督・故川上哲治みたいに。1975年に読売の監督が川上から長嶋茂雄に代わったとたん、監督が動きまくって読売が最下位に落ちたことを思い出す。負けると金権補強に走る読売の体質はその頃から強まった。読売は最下位に落ちたシーズンオフに張本勲を日本ハムからトレードで獲り、翌1976年にリーグ優勝した。その後の第2次長嶋政権時代には、負けると金権補強に走る読売の体質は極限にまで強まり、読売に「巨大戦力」を現出させた。そのピークが「ONシリーズ」と呼ばれた読売対福岡ダイエーホークスの日本シリーズに読売が勝った2000年だった。2001年に長嶋が退任すると矛盾が噴出して読売は弱くなった。以後、原辰徳監督時代に一時読売の中興期があったものの、長い目で見れば読売の没落が続いて現在に至る。
長嶋茂雄と読売球団は金権補強に頼ったが、安倍晋三の場合はNHKや読売新聞を使った嘘宣伝や、陰に陽にかける圧力によって自らの内閣支持率を保ってきた。プロ野球でも政治でも同じ読売が悪事を働いていることが注目されるが*1、それはともかく、読売新聞の報道やNHK・岩田明子の布教に任せておけば自民党員も易々と同調圧力に屈しただろうものを、わざわざ安倍とその取り巻きが自分から動きまくって圧力をかけたものだから、斎藤健のようにブチ切れて公然と反旗を翻す人間が現れた。斎藤健は記者会見でも前言を撤回しなかったが、よほど頭にきていたのだろうし、斎藤が記者会見でそんな発言をするのを許容する程度には「空気」が変わってきたのだろう。
思い出すのは1989年のルーマニア大統領、ニコラエ・チャウシェスクだ。当時、東欧で共産党政権が次々と倒れる中、チャウシェスクのルーマニアだけは大統領への個人崇拝が極端に強まっていると報じられた。ベルリンの壁が壊されたあとの1989年11月だったと記憶する。そこから、チャウシェスク夫妻が銃殺されるまで1か月しかかからなかった。
もっとも、その当時どうなるのだろうと言われていた北朝鮮の「金王朝」が今も存続していることを思えば、安倍晋三がチャウシェスクと同じ道をたどるとはまず考えられないが、いつか安倍政権も何らかの形で倒れるだろうと予感させる。それを安倍自身もうすうすと感じているらしく、奴はついに自らの彼岸、もとい悲願である「改憲」に挑戦すると宣言した。
この安倍晋三の人生最大の挑戦は、間違っても侮れない。何事にも不真面目な安倍が唯一真剣なのが、「おじいちゃんの成し遂げられなかった『憲法改正』を、僕ちゃんの手で成し遂げるんだ」という妄執というか強い情念だからだ。下手な政治哲学なんかより情念の方がよほどエネルギーが強くて突破力がある。これまでも安倍は教育基本法改悪をはじめとして安保法その他の数多い「突破」を成し遂げてきた。
他国の悪例として、東アジアと同じ「姓−名」の順に名前を呼ぶハンガリーがある。余談だが、比較的最近、20世紀ハンガリーの作曲家であるバルトーク・ベーラの難解な音楽論をちくま学芸文庫で読んだが、著者名が「ベーラ・バルトーク」と表記されていた*2。これは安倍晋三を「シンゾー・アベ」と呼ぶような「欧米迎合的な人名表記」*3(笑)の見本だと思ったが、ブラームスが「編曲」した「ジプシー」*4の音楽を「反ハンガリー的」とこき下ろすバルトークの稚気愛すべしと思ってしまった。本にブラームス編曲のハンガリー舞曲第1番の譜例が示されていたが、あの曲の「ミーーレミーーレファーーミシーードラーー」のような順付点音符が続く音型はハンガリーの民族音楽のものではなく、どこかに逆付点音符のリズムが出てくるのだそうだ。そういやバルトークの盟友として本でも何度も言及されているコダーイ・ゾルターンの名曲「ハーリ・ヤーノシュ」*5の「間奏曲」はそんなリズムだったなと思い出した。バルトークやコダーイによれば「ジプシー音楽」は西洋音楽の影響を受けた「反ハンガリー的」な音楽という位置づけなのだろう。
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バルトークの音楽を愛してやまないのが、安倍晋三の天敵・福田康夫だということは音楽愛好家の間では結構知られている。なお共産党の志位和夫はショスタコーヴィチの大ファンらしいから、彼も本音では「民主集中制」に懐疑を持っているのではないかと私はひそかに想像している(笑)。なお私はバルトークもショスタコーヴィチもかつては結構聴いたが、最近はほとんど聴かない。
話が野球へ音楽へとそれまくったが、ハンガリー人がフン族だの匈奴だのの末裔だという俗説は実は相当怪しいらしいけれども、それでも東洋人には人名表記順の共通点などによってどこか親近感を感じさせるハンガリーにトンデモ極右憲法が現れてしまったことは本当に痛恨事だし、今の「野党共闘」や「市民連合」の惨状を思えば、日本も同じ道をたどりかねないと深く憂慮する。